「実際はオリジナルSFホラーミステリー映画なのにドラクエ5のゲームの完全映画化であるとカスタマーに誤解させるような詐欺的誇大広告戦略は良くなかったが映画の内容自体は面白くて良かった(長文)」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー eigazukiさんの映画レビュー(感想・評価)
実際はオリジナルSFホラーミステリー映画なのにドラクエ5のゲームの完全映画化であるとカスタマーに誤解させるような詐欺的誇大広告戦略は良くなかったが映画の内容自体は面白くて良かった(長文)
私は2019年の公開当時、ネットの評判の悪さを見てから映画館に行ったこともあり映画ユア・ストーリーは最初の10分見てから残りの時間の3分の1は映画館の座席で寝ていました。当時の感想としてはドラゴンクエストらしくないしラスボスがよくわからないし原作ゲームと全然違うので面白くなかったです。私はドラゴンクエストのゲームシリーズを10作ほど遊んできてこのゲームの大ファンですがこの映画ユア・ストーリーはドラゴンクエストというよりも雰囲気がライバルゲームのファイナルファンタジーに近いと思いました。絵が美麗すぎるし、主人公がしゃべりすぎだと思いました。ですが数年ぶりに有料配信でユア・ストーリーを見返すと大変おもしろかった。特にラストの展開は真の敵とは何かを深く考えさせられました。
ラストの展開ですが主人公リュカと勇者アルスに負けたゲマがミルドラースを呼びそうになり勇者アルスがそれを阻止した瞬間ウイルスと名乗る敵が出現し世界の記録をリセットして消そうとするが主人公リュカがアンチウイルスのスラリンの力を借りてウイルスを退治し世界はリセットされずハッピーエンドとなる。
劇中でウイルスを作成した存在が示唆されそれが真の敵であり真のラスボスということになりますがこの正体をメタ的や社会風刺的になどいろいろと考えるのが映画ユア・ストーリーの真の面白さだと思いました。ウイルスと主人公の会話のなかでしょうもないとかつまらないとか大人になれというセリフがでてきますが、これは大人になった主人公が自分につく嘘、決めつけ、デマのたぐいだと思います。劇中の結婚のシーンでも何度も言われるのがほんとうの心は何かという問いでした。ゲームはつまらない、しょうもないなどと言っても自分のほんとうの気持ちは自分でよく確かめてみないとわからない。ネットでの映画の悪評もほんとうは自分でよく見てほんとうの気持ちを確かめてみないとわからないのにネットの意見にすぐに影響されてこの映画はつまらない、しょうもないと自分で決めつけている。現代社会のこの悪循環こそが作者が描きたかった真のラスボスなのだと私は思います。真の敵は決めつけやネットデマに流される自分自身の信じ込みです。本作はドラゴンクエストでなくてもよかったと思いますが本当の自分の目で見ることがいかに大切かわからせてくれる面白い作品でした。
真の敵:ウイルスの作成者=嘘やデマを広める存在=嘘やデモに流される自分自身
劇中のセリフの「(ゲームなどしてないで)大人になれ。」というセリフ自体が嘘やデマの典型例でありコンピューターウイルスに似ているともいえる嘘やデマによって現実世界さえも壊れてしまう危険を映画は言っていると思いました。
ほかに映画ユア・ストーリーの気になった点は主人公リュカの子の勇者アルスが天空の剣を初めて鞘から抜くシーンですが、あそこは錆で剣が抜けなかったなどの苦労や努力を見せてほしかったです。子供むけ映画ゆえに選ばれし勇者は努力せずになんでもできるというのはよくないと思います。剣が錆びていて抜けないからあれこれと工夫・努力してやっと抜けるようになるほうが教育的にもよかったです。ほかにも過去にもどってドラゴンオーブをすり替えるシーンは過去の自分をだますより正直に理由を言って交換するほうがよかった。主人公やその他のキャラの個性や特徴がでるのが容姿、口調だけなのでキャラがみな同じ性格・中身同じに感じる。たとえば主人公リュカとヒロインのビアンカのかけあいも同じ人が独りでしゃべっている感じがする。
最後のほうは慣れましたが3Dアニメは背景とキャラが見分けにくく感じました。私の脳は手書き2Dアニメのほうが見やすいと感じています。人間は写真のようなそのものの映像ではなく脳で処理された映像をいつも見ているので3Dアニメはおそらく脳で処理されにくいのだと思います。それと音楽が場面と微妙にあってないと思う。戦闘シーンはかっこよく爽快感があるが戦闘効果音をゲームのものをアレンジして使うともっと良いと思う。
結論:ドラゴンクエストと思わないで見れば面白いアニメ映画だと私は思う。
2025/08/26 追記1:作者には現代日本人の持つ不安がみてとれる
本映画はコンピューターゲーム「ドラゴンクエスト5」内の物語とは無関係のオリジナル作品である。映画のテーマは「大人になったゲーム少年のノスタルジー」であり、故郷や過ぎ去った過去を懐かしむ気持ちと同様にゲームで遊んだ記憶を賛美している。映画公開の2019年から27年前の1992年にコンピューターゲームソフト「ドラゴンクエスト5」は発売された。当時10歳の人は37歳になっている。日本人男性の平均初婚年齢は31.1歳(2023年の厚生労働省のデータ)であるので幼い子供を連れてこの映画を観てほしいということであろう。しかし、この映画はあまりにも誇大広告をしすぎている。映画の内容と原作ゲームでは扱うテーマが異なっているのに原作ゲームの映画化と間違えるようなまぎらわしい広告を考えた人たちは事前に原作ゲームの物語もできあがった映画の内容も全然チェックしなかったのだと思う。この広告を考えた人たちは映画館に人を集めることしか考えていない。ドラゴンクエスト5のゲームに興味がある人を映画館に呼び集めるにはこの誇大広告が最適解だったのだろう。この映画は広告が悪い。ドラゴンクエスト5のゲーム世界にまた戻りたかった視聴者はこの映画のまがいものを肯定する世界を観てひどくがっかりしたに違いない。映画の主人公がプレイしているゲーム内の世界と主人公が生きている現実の世界と映画館にいる視聴者の世界と合わせ3つも世界が存在していてこれがゲームに没入していた者にとって一番の腹立たしい部分である。ゲームに没入したい者は世界が一つでないといけないと思っている。自分のプレイしているゲームの世界がただ一つの真実である。嫌なことが多い現実世界のほうを暇つぶしの世界くらいにしか思っていない。ゲームは一つの世界に没入するものなので、3つも世界が存在するこの映画はドラゴンクエスト5のゲーム世界に没入していたコアなファンとまったく相性が悪い。ゲーム没入者にとってはゲーム世界がただひとつの真実の世界である。ゲーム世界は宗教でいう天国である。ゲーム世界ではすべての人類が救われている。私とドラゴンクエストのゲームとの付き合いは長く今でも私はドラゴンクエストのゲーム世界がただひとつの真実の世界だと思っている。すべての人類が救われるドラゴンクエストのゲーム世界を否定するこの映画「ユア・ストーリー」がすべての人類の救済を否定するのはこの映画が選ばれた選民思想のエリートたちが作った作品だからであろう。3つも世界を存在させるこの映画「ユア・ストーリー」はたぶん、きっと、選民思想のエリートたちのための作品なのであろう。ゲーム世界がただひとつの真実の世界である。ゲーム世界では悪魔は滅び、善(わたし)が勝つ。しかし現実世界では悪魔が栄えている。現実世界の肯定は善の敗北を認めることになる。キリスト教などの宗教と同じでゲーム世界はただひとつ肯定されなければいけない世界だ。ところがこの映画はおそらくすべての世界を肯定していない。3つも世界を存在させるこの映画は作者自身の世界に対する不安のあらわれとも見ることができる。考えてみれば現在の日本もそうである。現在の日本はアメリカ政府、日本政府、宗教界の3つもの統治世界が混ざり合っている。いったい日本人はどの世界に属しているのかわからない。日本人はどの世界の所属なのかこの映画の作者自身がわかっていないので不安になっているのであろう。映画館の現実世界、映画内のゲーム世界、映画内の現実世界の3つも世界が混在している映画のこの混乱は現在の日本そのものである。この映画の作者は自分がどの世界に属しているのかわからないので不安になっている。日本はアメリカに敗れアメリカ政府の影響下にあるがだからといって日本は全部アメリカの世界ではない。また、日本政府も国民全員を同じ扱いにはしていない。宗教界は種類が多すぎる。いったい日本人はどの世界に所属しているのであろう。この映画の作者は自分がどの世界にいるか不安なのでこのような自分の所属している世界をはっきりと肯定しない不安なジレンマの映画を作ったのだと思う。現在の日本人は日本がどこにあるのかわからなくなっている。現代日本人は江戸時代や明治大正昭和と違い世界全体を意識し、地球という規模でものを考えることが多くなった。核家族化がすすみ、家族関係も希薄で、転職も多く会社や自治体に忠誠を誓う人も少ないと思われる。現代日本人は世界を積極的に肯定できなくなっている。
追記2:自分の世界を肯定するには他の世界を否定しなくてはいけない
この映画「ユア・ストーリー」は子供の頃ゲームに没入していた人がゲーム世界をいつまでも肯定する物語である。一見この映画はゲーム世界を素晴らしいものと肯定している体裁をとっているが、作者の深層心理の根底に不安・焦り・ゲームへのあざけりなどが見え隠れしている気がする。ほんとうにゲーム世界を肯定するためには現実世界を否定しないといけないと思う。現実世界を作者が捨てきれないのは作者の所属する日本という世界が複雑な社会の世界であるからであろう。世界を肯定するためには他の世界をぜんぶ捨てなければならない。本来なら自分の世界は他人を否定することで肯定できる。他人の世界を自分の世界だと誤認しているから自分は他人と仲良くやっていけるのだ。しかしそれは自分に嘘をついているのである。自分の世界を肯定するには他の世界を否定しなくてはいけない。たとえば、戦前のほとんどの日本人はメディアも新聞くらいでまだまだ他の海外の国を意識していなかったと思う。だから他国の世界を否定しても生活に支障はなく日本という国を全肯定できた。世界の常識のようになっているすべての国が仲良くするというのはまやかしである。現代の日本人は他の複数の世界も肯定しているゆえに中途半端な心理状態になっている。昔のように排外主義がはやろうとしているのは自分がどこの世界に属しているのか不安だからである。この映画「ユア・ストーリー」は現実世界を全否定して初めてコアな「ドラゴンクエスト」ファンに受けたであろう。この映画のクライマックスでは主人公が「大人になれ(現実に戻れ)」と言われてそれを否定しウイルスを消滅させるが、これだけでは中途半端だった。この場面は主人公が「現実世界などいらない」と言って乗っている未来のゲームマシンで現実世界を地球ごと破壊するような超展開でないとファンは満足しなかったと思う。現実世界を否定してはじめてゲーム世界を肯定することができるのである。
追記3:英雄を作るゲーム
この映画のモチーフとなった平成の名作ゲーム「ドラゴンクエスト5」も取り上げねばなるまい。ゲーム「ドラゴンクエスト5」はテレビの画面を見ながらゲーム機のボタンを押して操作しテレビのゲーム画面内のただひとり操作できる自分の分身「自分のキャラクター」がゲーム内に再現されたファンタジー世界を移動しながら敵と戦ったり他の「他のキャラクター」と会話したり冒険し与えられた目的を果たすゲームである。このゲームを遊ぶ人はあたかも自分がファンタジー世界で暮らしているような錯覚をおぼえる。ゲーム内の自分の分身である「自分のキャラクター」は現実世界にいる自分とゲーム世界をリンクする役割を果たす。物語は行方不明の母を探す父と一緒にいる父子家庭の息子である主人公が成長していって困難を乗り越え母を探し出し世界の危機を救う物語である。この物語はよくある自分が最強の英雄になる典型の話からはずれており、自分は最強の英雄をつくる父になれるという重厚で壮大な話であった。何かを作れる人は偉大である。どんなスポーツの名選手もそれを育てた人や環境が必要であって、そのことをクローズアップしたこのゲームは名作とよぶにふさわしい。この映画「ユア・ストーリー」もこの「英雄を作る」ことに焦点をあてて欲しかったと思う。