システム・クラッシャーのレビュー・感想・評価
全5件を表示
めちゃくちゃすごい
主人公のベニーがとんでもないきかん坊で、重度の発達障害がありそうで、本人も辛そうだ。見ていて胸が痛むのだけど実際身近にいたら手に負えない。お母さんもお母さんで、問題人物ではあるのだけど、そこらにいくらでもいるレベルで彼女は彼女で二人の子どもを育てていて大変だ。そこで福祉が手厚く機能しているのがありがたい。
ミヒャが山に連れて行ってそこですっかりいい子になるかと思ったらまったくそうではない。あそこまでやって無理なら、無理なものは無理だ。かかわる人々全員がダメになる。どうしたらいいのか全く分からない。
アフリカに行くかどうかという結末だったが、そこでもダメならどうなるのだろう。ベニーが機嫌のいい時、とてもかわいらしくていい子な瞬間があるのが切ない。
子どもの頃母親によく「そんなに一人がいいなら山に行って暮らしなさい」とよく言われたものだが、実際一人で山で暮らすしかないかもしれない。時々食べ物を届けるとかして、病気になったらお医者さんに連れて行ってもう誰も関わらずに暮らしてもらう。それも残酷なのだけど、隔離施設や刑務所よりはいいのではないだろうか。
子供に罪はない、ないけれど…
療育に携わっている身として、何か仕事のヒントになればと思い鑑賞。しかし想像以上の展開、結末に「いや〜やっぱり難しいよね」という再確認をして終わった。だが、それが良かった。
トラウマから起こる症状。
彼女に罪はない。悪いのは全部大人。
わかってはいるけれど、終盤彼女は死んだのか?と思わせる描写に少しホッとしてしまった。
そして「まだ、生きてたか…」とも思った。
他のレビューを読んでいると、母を責めるものが多かった。
しかし恐らくだが、彼女も障害を持っていると感じた。
彼女自身が不安定で、本来周りの助けが必要な人なのだろう。
それもあり、最初から母子にあまり希望が見えず、あの展開にもほとんど腹が立たなかった。
何というか、「ですよねー」みたいな気持ちが大きかった。
子供を育てる力を持っていないのに親になってしまった人達、実際にたくさんいる。
結局そうなると子供が可哀想なんだよね。
それでもどうにか生きていくしかないんだから、人生苦しいわ。
最後の曲にはすこし救われた。
終始辛い
母親以外誰も悪くないのに、真綿で首を絞められてるような絶望感が良かった。
全員が業務の範囲内でベニーに親身だったし、ベニーも頑張っていたのに事態が好転しない、、、。ベニーの周りにいる同じように預けられている子もそれぞれ問題を抱えてることも回復が難しい一因かもしれない。
救いがない、が。
ベニーに現実で相対すれば、確実に無理って思う。手に負えないし、私に救える(と言ってしまうのはおこがましいが)わけでもなし。
でも9歳から10歳の子どもを切り捨てるわけにもいかない。ほんでベニーの母親よ、あれはあかん。その場しのぎで軽口を叩き、結局逃げる。
母親の家にいた男は、父親ではなく彼氏的なやつよね?弟妹の父親は誰なんかな。
計画的に子を成したとも思えない母親だしなぁ…
母親だけが悪いわけでもないだろうし、ベニーにオムツを押し付けたという父親がどこにいるんだかだし。
数多の施設に断られ、里親も見つからず、治療には住環境整わないととか、一時預かり施設に愛着湧かせたらあかんとか…親身になって愛着を持たれるとミヒャみたく自宅に来られちゃう。
ベニーにとっても支える人にとっても、どうすりゃいいのかわからんよね。
これどうまとめるのかなぁと思ってたら、ケニアの教育か矯正施設に行くことになったけど、搭乗前の手続きの途中で逃げ出すところで終わった。え?そのまま?救いがねぇよと思うが、ここで何らかの希望を見せられても嘘くさい気もするし。
このまま長靴下のピッピよろしく自由に暮せるといいけど、火宅はそうもいかまい。
ベニーの生命力を、ニーナ・シモンのAin’t Got No, I Got Lifeが象徴するエンドロールは、すばらしい。その生命力で生きていけたらいいが…
システムには余白が必要だが、それを認めるとシステムでは無くなるというジレンマが存在する
2024.5.9 字幕 アップリンク京都
2019年のドイツ映画(125分、G)
攻撃的で手に負えない9歳の少女に振り回される大人たちを描いた社会派問題提起映画
監督&脚本はノラ・フィングシャイト
原題は『Systemsprenger』、英題は『System Crasher』で「攻撃的で乱暴なこども」を表す業界の隠語
物語の舞台はドイツのベルリン
幼少期にオムツを顔に押し当てられたベニー(ヘレナ・ゼンゲル)は、顔をさわられるとパニックになり、暴力的になって手に負えなくなる少女だった
母のビアンカ(リザ・ハーグマイスター)は愛情はあるものの、どう接して良いかわからずに福祉を頼っている
支援活動家のバファネ(ガブリエラ・マリア・シュマイデ)はベニーが安心して過ごせる施設を探すものの、どこでも問題を起こして追い出されてしまう
そこでバファネは、ボクシングジムでアンガーマネージメントを教えているミヒャ(アルブレヒト・シュッツ)に通行付添人を頼むことになり、何とか人並みに登校できないかと策を練ることになった
映画は、あるドキュメンタリーの撮影にて「システム・クラッシャー」なる言葉を知った監督が興味を持ち、その実態を描く作品になっている
また、ベニーの演技は多くの地域で高い評価を得ていて、演技なのかガチなのかわからないシーンも多く存在する
子ども同士の殴り合いの喧嘩などは本気で止めなければならないくらいで、ヤバいんじゃないの?というシーンが結構多い
ミヒャは「ベニーが問題を起こすたびに居場所がなくなること」を知っているのだが、ベニーはわかっていてもそれを制御できない
あらゆる検査をするものの、彼女に処方されるのは抗精神薬のリスパダールぐらいで、根本的な治療は行われていない
閉鎖病棟への入院も視野に入れているが、適応が13歳以上となっていて、ベニーに特例措置が出ることはないのである
システム・クラッシャーはベニーのことを指すのだが、映画を見ていると、システムを破壊するのは大人側のようにも思えてくる
特に母親の言動は最低の部類で、擁護のしようがないものがとても多い
一緒に住むと約束をして、翌日には反故にするし、別れを言わず、説明もせずに投げてしまう
全てを押し付けられるバファネが泣きたくなるのは、ベニーを想ってのものであり、未成年と親権という問題で過剰に守られている現状によって踏み込めないもどかしさというものもあるのだと感じた
いずれにせよ、かなり重たい内容で、ドキュメンタリーレベルの「演技」が展開される
ミヒャが距離を取れなくなるとか、それによって夫婦の関係がおかしくなるとか、関わるだけで目に見えない影響が多いのもリアルだった
このような問題は年々増えていく傾向にあって、このような行き場のない子どもを国としてどうするのかが問われている
最終的に諸外国へと投げる格好になっていて、「これで良いのか?ドイツ」というのが本作の真のメッセージなのだろう
聞こえの良い言葉で濁せても、所詮は国内ではどうにもできないと言っているのも同じなので、今後に向けての布石ができるのなら良い影響になったということになる
だが、本質的に解決は難しく、そこには未成年の親権問題が関わってくるので、ここまで放棄が進むのなら、親権剥奪まで話が進み、法的に解決できるようにならないと難しいように思えた
全5件を表示