劇場公開日 2020年12月11日

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「大都市では一人一人は小さな存在でしかないが、助け合って生きる意志は滅んでいない!!」ニューヨーク 親切なロシア料理店 バフィーさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5大都市では一人一人は小さな存在でしかないが、助け合って生きる意志は滅んでいない!!

2020年12月13日
PCから投稿

今作のキーワードは「無力感」
それぞれのキャラクターが抱える「無力感」の中でも、他人のために何ができるのかという、人と人との繋がりの尊さを群像劇として描き出している

主人公クララは、子供を連れて夫の寝てる間に家を出る。突発的ではなく、少なくとも数日前から計画していただろうに、所持金がないなんて、無謀すぎるような感じもするし、子供を連れて無計画に歩き回る。

実は名監督エリア・カザンの孫であるゾーイ・カザンのある意味、魅力ともいうべきか、なんとなくポカーンっとした表情が言い方が悪いが、おバカにみえる。

夫は警察官で、暴力を振るったといっても、実際に暴力を振るう描写はほとんど登場しないため、本当はクララの方に問題があるのではないかとも思ってしまう。という外観からのイメージとしては、公務員という定職のある男の方がどうしても社会的に優位であることも感覚的に描いており、そこは女性監督ならではの視点のようにも感じられる

お腹をすかせた子供のために食べ物を調達してきたはずなのに、あっけなく図書館に置いてきてしまう。何気なく扱われているシーンなのだが、私はそれを見逃さなかった。

やはり主人公はどこがヌケたキャラクターという設定なのだ。そこでゾーイ・カザンの表情が役立ってくるという仕組みだ。

17歳で夫と出会い、そのままほとんど社会を知らずに生活をしてきたクララには、知らないことが多く、だからこそ子供に自分自身も知らない世界を見せてあげたいと思った流れは理解できるし、自分の中の世界が比較的すぐ行けるニューヨークというのもクララの世界の狭さを表現している。

しかし、世間や社会を知らないクララにとっての精一杯の世界がニューヨークなのだ。

自分が何者であるかと悩む暇もないほどに、日々が忙しなく過ぎていくニューヨークという街。この大きな街の中では、ほんの小さな存在でしかない人間が、自分が何ものであるかの確信も得られないまま、他人に関心がなくなった現代社会と言われてはいるものの、それでも人を思いやる気持ちはなくなることはない。

今作は、あえてそれぞれのキャラクターの内情というのが、そこまで描かれていないため、物語として薄口な感じがしないでもないのだが、ニューヨークもそうだが、大都市というのは、様々な人種が渦巻く環境の中で俯瞰として見た人々の物語は何気ないものでしかないかもしれない。極端に言えば、いなくても時間は流れていくが、誰かにとっては必要な存在である。

何もできないかもしれないけど、その中でも何かをしてあげたいという気持ちは人間ならではだし、その人間愛を覗けるような作品だ。

そんなにお互いのことって知っているようで知らない。そんなキャラクター同士の微妙な距離感と空気感をうまく描いけているのは、あえてひとりひとりの物語を薄口にしている効果であり、それはあえての狙いであったように思える。

バフィー吉川(Buffys Movie)