「法王は枢機卿の中から選ばれる」グレース・オブ・ゴッド 告発の時 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
法王は枢機卿の中から選ばれる
視点である主人公キャラクターを代えながらドキュメンタリーのように描くフランソワ・オゾン監督のドラマ。オゾン監督の中では変わった作品といえるかもしれない。
なんかもっと一捻りあるかと期待したけれど、最後まで淡々と紡ぐスタンダードな作りに少し驚いた。
内容云々ではなく映画として、物足りなさを感じずにはいられない。
聖職者による児童への性加害を扱った作品というのは、メインテーマではないものも含めると結構沢山あって、かなり昔にドキュメンタリーなんかも観たことがある。その多くで感じるものは「怒り」だ(一番インパクトのあった作品「スポットライト世紀のスクープ」を観たときの感覚に引っ張られている可能性はあるけれど)。
しかし本作を観ている最中の感情は「気持ち悪さ」だった(終盤には怒りもわくが)。
調査を担当することになった女性とバルバラン枢機卿の2人が、明白に隠蔽しようとしていることが見えるからだろう。
大体、教会側は教会という組織全体として描かれることが多いので、ここまであからさまに個人が隠そうとしている描写があることが珍しいせいだと思う。
加害者であるプレナ神父はもちろんダメだが、彼の性加害の部分だけを抜き取ったら、バルバランよりもまともな聖職者にみえる。
一番最初に、プレナ神父が赦しを求めないというシーンがある。彼は相手が教徒であり、自分が赦しを乞えば赦されてしまうと考えたのではないか?。逆に言えば自分は赦されるべきではないと考えたのではないか?。
どうしようもなく止められない自分を罰して欲しい、止めて欲しいようにも見えた。だからこそ余計にバルバラン枢機卿に気持ち悪さを感じてしまうのだ。
先日、現実の出来事として教皇選挙があった。そのせいで考えたのかもしれないが、バルバラン枢機卿に投票権があり、なんなら法王に選ばれる可能性すらあったことにおののく。実際、バルバラン枢機卿は2度、コンクラーベに参加している。