劇場公開日 2019年7月26日

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「自暴自棄の衝動と闘いながら生きる」よこがお 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0自暴自棄の衝動と闘いながら生きる

2019年8月15日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 実存的なリアリズムに満ちた作品である。不条理な世界で人は如何に生きていくのか。世の中の不条理はどのように生み出されるのか。
 主人公はどこにでもいそうな普通の女性である。ただ真面目に仕事をして生きてきた。訪問看護婦として、患者の家族から感謝されることで満足している。にもかかわらず自分の責任とは無関係なことで貶められ、非難され、迫害される。挙げ句に行き場を失い世を恨み、理不尽な仕打ちをした人間への復讐ばかり考える。いつ自殺してもおかしくない状況ばかりがつづいて、観ているのが辛くなる。
 現在のシーンと回想シーンの構成が巧みで、辛い映画なのに引き込まれて見入ってしまう。筒井真理子の演技は見事だ。極く普通の善良な人間が不条理な状況に陥り、自暴自棄の衝動と闘いながら生きる姿をリアルに演じる。

 人間は生きている過程で苦痛を味わい、不安と恐怖を覚えていく。不安も恐怖も知らない子供は声も大きく行動も大胆だ。しかし不安を覚え恐怖を覚え恥ずかしさを覚えると、自己抑制が働いて声は小さくなり行動は慎重になる。理性というやつだ。理性は一定の理念からではなく、恐怖から生まれている。恐怖は想像力の産物だから想像力の豊かな人ほど沢山の恐怖を感じて抑制的になる。つまり頭がよくて気が弱い人ほど理性的なのである。理性の働きは感情の手綱を引くことだから、理性的な人ほどストレスフルになる。
 一方で想像力の貧しい、頭の悪い人は恐怖を感じないまま強気に生きる。子供のときのままに声は大きく行動は大胆である。弱気な人を支配することができる。支配は強気と暴力に裏打ちされる。ガキ大将と同じだ。世の中は子供の社会と変わらない。頭の悪い強気なバカな人間が頭がよくて気の弱い人間たちを支配している。バカのうちで運がよかった人間が成功者となり、運が悪かった人間が犯罪者となる。世のトップにいる人間たちは、最悪の犯罪者と本質的には同じ人間なのだ。
 想像力があって気が弱い人間が心の中まで支配されないようにゴータマは恐怖の克服を説き、心の解放を説いた。しかしゴータマが予言したように人間は未だに解放されていない。それどころか支配層の愚鈍化と増長は猖獗を極め、格差はますます広がっている。加えて人々が寛容さを失い、多様性を認めなくなっている。車の運転の仕方が気に食わないと殴るし、承認欲求が満たされなければ大勢が働くビルに火をつける。

 本作品は我々が狂気の時代に生きていることを教えてくれる。時代が狂気なのではない。人間が狂気を内に秘めた時代なのである。それは地殻の下に広がるマントルみたいに、時折マグマとなって噴火する。誰の身に起きても不思議ではない。真面目だった人がある日突然街で無差別に人を殺さないとも限らない。自暴自棄と暴力への衝動は日常に偏在している。マグマを噴火させずに生きていくためには、他人というよりも自分自身を含む人類に対する寛容さが必要だ。目を閉じて深呼吸をして、そして歩き出す。何も求めまい。

耶馬英彦