「経理担当者の見た忠臣蔵」決算!忠臣蔵 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
経理担当者の見た忠臣蔵
復讐は英語でリベンジだが、仇討はアベンジという。両方とも報復という意味合いは同じだが、アベンジには大義名分がある。江戸時代は封建主義の時代だから、大義名分がなければ何も認められない。しかし逆に言うと、大義名分があれば殺人さえも許されるということだ。
お上(征夷大将軍)による殺人は、簡単に言うと切腹の命令である。大義名分も、ものは言いようで、お上が言えば何でも大義名分になる。無理が通れば道理が引っ込む理屈である。浅野内匠頭が切腹したのも大義名分なら、赤穂浪士が討ち入りでアベンジを果たしたのも大義名分だ。武士道というのは便利な理屈なのである。
あれ?どこかの国の総理大臣に似ていないか?と思った人は慧眼である。大義名分を縦横無尽に操り、都合の悪いことは何でも誤魔化して、自分の利益だけを追求するのは将軍様も暗愚の宰相も同じなのである。
さて本作品は、大義名分に右往左往する人々を経理担当者の目からニュートラルに捉えたコメディである。何でもかんでも銭勘定で捉えようとするその着眼点は、なかなか新しい。浅野内匠頭の切腹は幕府が赤穂の塩を手に入れるために奸計を謀った結果であり、吉良上野介はうまいように捨て駒に使われただけだとすれば、これまで語られてきた忠臣蔵の構図が一変しそうである。しかもそれが結構本当らしく思えるから、なおさら面白い。
経理担当者から世の中を見るとどのように見えるのだろうか。たしかNHKの「これは経費で落ちません!」というタイトルの、多部未華子演じる主人公が経費精算から社内の問題を発見するドラマがあったと思うが、生憎NHKは絶対に見ないので、内容は不明だ。タイトルからしてちまちました経費の精算だろうから、世の中まで見えるドラマではなかっただろう。しかし銀行からの融資や巨大ブロジェクトへの投資、公共事業の入札などに関わると、経理の仕事から世の中が見えてくるようになるのは確かであろう。
いまは景気の悪い時代である。株価が高かろうがどうしようが、消費者の消費が低く抑えられている現状は景気が悪いとしか言いようがない。景気がよければ消費が拡大するのは自明の理である。経理担当者としては、長期スパンと短期スパンの両方の展望を経営者に示すことになる。長期で言えば、グリーンエネルギーや自動運転など、基礎研究をもとにした投資事業が考えられる。これは国家が長期的な見通しを持って企業と協力していく姿勢を見せるようであれば、経理担当者はそちらに金を出したいと思うだろう。短期スパンとは身近の金だ。利益が出ないようであれば、経理担当者は投資を控え、内部留保を溜め込む。国家の財政が怪しかったり、政府の見通しが暗かったりすると、どうしてもそうなる。
オリンピックの土建屋や沖縄の埋立業者の経理担当者はいくらでも金を出すだろうが、それ以外の企業は金を出す理由がない。オリンピック後の不景気が見えているだけに、金を出せるのは電気自動車やドローン開発など、一部で確実に利益が見込まれる部門だけである。政策の後押しがなければどんな経理担当者も金を出したくない時代なのだ。
本作品の経理担当者はそこまで踏み込んでいない。だからなんとなく詰めが甘いまま仇討ちに突入することになる。思い切って仇討ちしないことにしてもよかったのだろうが、流石に史実までは変更できない。誰もが知っている結末へ向かうのだが、どこまでも銭勘定がついてまわるのが傑作である。地獄の沙汰も金次第という諺が頭に浮かんだ。
岡村隆史はじめ吉本芸人の演技はそれなりのレベル以上であるが、木村祐一のように学芸会クラスもいるので、肝心な役どころは堤真一や妻夫木聡を始めとする俳優陣が締めて、作品全体が緩くならないように歯止めになっている。なぜか大地康雄の演技だけが浮いていたが、喜劇に欠かせない濱田岳や西村まさ彦の芸達者軍団が要所要所で笑わせてくれる。武士でお金といえば「殿、利息でござる!」を思い出すが、今回の阿部サダヲは浅野内匠頭の役でお金よりも大義名分大好きの単細胞を演じた。
堤真一は昨年、新国立劇場の舞台「近松心中物語」とBunkamuraシアターコクーンの「民衆の敵」を観たが、いずれも感動的な芝居だった。存在が微妙に軽いから演技も軽く見られがちだが、実際は大した俳優だと思う。