「「君の名は。」に劣らぬ傑作!」天気の子 sanchuさんの映画レビュー(感想・評価)
「君の名は。」に劣らぬ傑作!
美しい映像表現、相変わらず神がかり的な音楽・・・
心配していた声優(特に本田翼)についても全く問題なし!
少女を救うために、全力で挑む少年の姿に涙が止まらん・・・
文句なしの大傑作でしょう!
・・・そう思って他の方のレビューを拝見すると、結構否定的な意見も多いのね。
主な否定的意見としては①説明不足、②犯罪行為?への反発、③帆高が自分勝手?って所かな?うーむ、単に否定してる人達の観察力・共感力が低いだけなような・・・
まず、帆高の家出の理由が分からん!という人が結構多いようですが・・・冒頭、明らかに帆高くん傷だらけでしたよね?「光を追いかけている」場面でも殴られたような傷が複数あるし、行方不明届が出ていることに驚いてるし、陽菜がくれたビッグマックが16年の人生で一番おいしい夕食って言ってるんですよ?
・・・普通、ピンと来るでしょ?
ここに気付けないと感情移入度がだいぶ変わりますけど、顔にあんなに絆創膏つけてるのに「この子一体どうしたんだ?」と思わない人のほうがおかしいですからね。
そう考えると、終盤の廃ビルで警官と対峙するシーンで「皆何も知らないで、知らないふりして!」という台詞も、単に陽菜のことだけを言ってるんじゃない・・・と思えるんですがね。
説明不足どころか、むしろ過剰に説明しすぎでは?と思えるんですがね・・・例えば、陽菜が稲荷系の「晴れ女」であるのに対し、帆高が龍神系の「雨男」であることとか・・・裏設定だろうに、わざわざ龍のキャップを被らせて、すぐ分かるようにするのはサービスしすぎだろ・・・と。
それとも最近は1から10まで説明されないと判らない人が多いのかなぁ・・・。
「晴れ女」と「雨男」のセットだから陽菜を救えるのは帆高だけだし、帆高を救える(救った)のは陽菜だけなんですよね。愛に飢えていた少年が、愛を教えてくれた少女のために、全てを捨ててでも走る・・・素晴らしいじゃないですか。思わず私も「走れ帆高!」と叫びたくなりましたよ。他の観客がいるから叫ばなかったけど(笑)
犯罪行為?については
①銃発砲(1回目)
②池袋で警官から逃走(サンシャイン通り)
③池袋警察署から逃走
④線路立ち入り
⑤銃発砲(2回目)
・・・ぐらいだけども、これ言うほど非難されることですかね?
①については本物とは知らなかったうえに、陽菜を助けるためだし、本物とわかったらすぐ捨ててますしね。
②についても、警察に捕まると自分は親元に戻される、陽菜達は児相行きで姉弟離れ離れになるので。
③については陽菜を助けることができるのは帆高だけだし、そもそも冤罪では(容疑は銃器・爆発物所持)
④については復旧作業中で、全く使用されてない線路だし。
⑤についても、①の時に捨ててた銃を拾って上空に威嚇射撃しただけ。囲まれた時に警官達に向けたのは拙いけど、結局それ以上使用せず(できず)捨てちゃって逮捕されそうになっちゃうし・・・
これらの行為は全部陽菜を助けるためですからね?犯罪行為といえ、人の道から外れてる訳では無いし、そこまで槍玉にあげることでは無いと思うんですがね・・・
帆高が自分勝手?とか言ってる人は、要は『女子中学生を生贄に差し出すべき!』って主張しているに等しいんですけど、そのあたりちゃんと自覚してるんですかね?
劇中でも「元に戻っただけ」と言われているとおり、帆高が陽菜を救ったから東京(の一部)が水没したんじゃなくて、水没しているのが、「本来の東京の姿」なんじゃないですかね。
廃ビルの屋上の鳥居をくぐって空の世界に行った時に、陽菜がいた草原とは別の草原がいくつもありましたけど・・・普通に考えて、あの草原一つ一つに神隠しにあった「天気の巫女」がいる(いた)んでしょうね。
そうやって何人もの人柱(生贄)を捧げて今まで秩序を保っていたということでしょう。そんなことをしないと保てない秩序って、そんなに良いものなんですかね?個人的には碌なものじゃないと思うんですよ。それこそ「元々狂ってる」って奴です。
帆高が陽菜を救ったことによって、今までより確実に大変だけど、まともな世界に一歩近づいたと私は解釈しました。
あと、別に東京は滅んだわけじゃないですからね。水没したのはあくまで東京の一部だけだし、一気に滅んだ訳ではなく、3年かけて少しずつ沈んだわけで、人的被害はほぼ無いのでは?経済被害は甚大だろうけど。(笑) まあそれでも電車の変わりに船が走り、水没した町の上にかかった歩道橋のうえで、日常会話がされる程度には、皆たくましく生きているんだから、まあいいんじゃないかな・・・と、思うんですが。
帆高が龍神系の「雨男」として演出されてるのは、まず間違いないでしょう。
・明らかに雨を好み、自ら雨に打たれている(フェリー、ネカフェ)
・飲み物を手に取ってるシーンが多い(直接飲んでるシーンは少ないので、判り難いけど)
・龍をあしらったキャップを被る
・帆高の感情に呼応するように?天候が荒れる(これはちょっと微妙かも)
・空の世界に行ける(神社の天井画には魚と龍が描かれていた ※龍神系も空に行ける)
・空の世界に行った後、龍(風)に呑まれる
これぐらいあると、さすがに偶然では無いでしょう。そもそも本筋に全く関係ないなら、占い師に龍神系の話をさせる必要性が無いし。
陽菜が稲荷系の「晴れ女」であるのに対し、帆高が龍神系の「雨男」である。
この考察は気づきませんでした。
なるほど、帆高が龍ですか。
私は、名前の由来を考察して、風を受ける船の帆を重ねたのですが。
陽菜を救いに、積乱雲という大海原を、遥か高みで見下ろして、風を受ける帆を広げ、帆高は、陽のあたる雲の頂に咲く葉菜を、そう、陽菜を、見つけるわけです。
sanchuさんのおっしゃる、、あえて表現をしないことで、その経緯や、その瞬間や、その後の展開を、想像させようとする、魅せ方は、この監督が考える策なのかもしれません。
プラネテスやコードギアスの谷口監督なんかも言っていましたが、「製作者サイドが何でもかんでも答えを提供しすぎるのは、面白くない。映像化しないことで、観ている方に託している部分がある。あえて、そういうのを狙って止めているんです。」と。
何年かあと、監督自身の声で、実はあれは・・・的な、話が聞けることを楽しみにしていたりします。