「「井の中の蛙大海を知らず されど空の青さを知る」」天気の子 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「井の中の蛙大海を知らず されど空の青さを知る」
最後迄鑑賞してみると、序盤のカップ麺の重石にしている小説『ライ麦畑でつかまえて』の意味が分るような、大人と子供の対立軸と、所謂“中二病”的内省を描写した作品であることが理解出来る。ましてや小説の前置きの通り、主人公達のバックボーンはまるで描かれない潔さも同様である。そしてこれ又、“セカイ系”の要素である大きな問題とちっぽけな自分とその周りがダイレクトコネクトしている世界という図式も下地としてある。正に新海ワールドといった作りだ。勿論、精密且つ綺麗な背景画、リアルな背景描写(ドンキホーテは違っていたがw)、リアリティに重みを持たせる説得力は定番として描かれている。
しかし、今作のストーリーそのものは、幾らファンタジーとしてカテゴライズされるとはいえ、ドラマ性がかなり少ない、所謂“カタルシス”が得にくい内容であることは否めない。別にそれが悪いわけではないのだが、きちんとハッピーエンドに帰結しているのに物語自身が“薄味”なのである。そしてスピード感が半端無く、もっと言うと“端折ってる”位の速度オーバーで展開されてしまうので細かい登場人物達の機微が伝わず、全くもって置いてきぼり状態に陥ってしまうのである。例えば、ヒロインの弟と主人公が再会をするシーンに於いて、シスコン臭を醸し出す弟にしてみれば、どの馬か分らない主人公を受容れるかどうかが細かいセンテンスかと思うのだが、次のシーンであっという間に“晴れを売る仕事”の一員として打ち解けて仲間になってしまう。いつ仲良くなったの?って思う間も無く、話が次のシークエンスに映ってしまうような件が随所にあり、まるでページが抜けている漫画を覧ているような錯覚に陥る。これは自分がもうおじさんだからなのか、今の若い10代ならばその辺りあまり気にしないスルー要素なのか、自信が無くなってしまうことしきりだ。そしてテーマである“周りに気遣わず、自分の思ったとおりに進め”的な若さの特権の応援歌が、深く浸透しにくいのが最大のマイナス要因であると自分は感じる。その理由は、長雨がもたらす人類への不都合を、恐怖や苦難といったイメージで描くシーンが無いことに現れている。3年の長雨に依る日本の国土の水没は、確かに俯瞰で背景画として描かれているが、そこでの暮らしの不自由さ、もっと言えば生死に関わる出来事等が表現されていないので、人類を救うことと、ヒロインを救うことの天秤に対しての苦悩はスパッと無くし、一択でヒロインを救う行動を描く作りだけだと、共感性が全く感じられなくなってしまうのである。
挙げたらキリがないツッコミどころ満載といった具合だが、だからといって今作が愚作ということではないことも付け加える。同調圧力と自己責任、そして度を超したバッシングが蔓延している社会情勢をきちんと盛り込む演出は、今の映画監督であるならば行なうべきものだ。それを果たした監督の実力は称賛に値する。線路上を走ってビル屋上の鳥居へ向かうすがらの見物人の野次の嫌悪感を表現させているところにも細かい配慮が出来ている。
「世界の平和より愛する人、そしてその先に待つ人生はその瞬間は誰にも分らない。もしかしたら今作のように思ったより酷い状況では無いかもしれないよ。だから信じる道を突き進め、少年」といったエールがテーマの作家性溢れる作品であった。