「いつまでも現役」運び屋 DOGLOVER AKIKOさんの映画レビュー(感想・評価)
いつまでも現役
ニューヨークタイムスのサム ドルニックによる「90歳のドラッグ運び屋」という記事で広く知られることになった、実際にあった事件をイーストウッドが映画化した。90歳のアールの役を、88歳のイーストウッドが演じている。イーストウッドは、第二次世界大戦の退役軍人で、ユリを栽培する園芸家、しかも犯罪歴のない60年間模範運転手だった老人が、コカインの運び屋として10年余り働いていたという、その人生に興味をもって、映画にしたのだと言っている。イーストウッドの言うように、アールと言う人は、誠に興味深い人で、コカインで作ったお金を、子供病院に寄付したり、退役軍人の施設の改築に使用している。76歳で運び屋を始め、月に250キロのコカインをメキシコからアリゾナに運び、逮捕され刑務所に入って間もなく亡くなった。
この映画がイーストウッドの最後の主演、監督映画になると、新聞で報じられたが、インタビューで、彼は肯定も否定もしていない。人に「これが最後の作品になりますね。」と言われて、「そうかもしれない」と答えただけで、自分では引退なんて言ってないよ、と笑っていた。嬉しいことだ。
ストーリーは
インデイアナ州 ミシガン市
アール ストーンはミシガン湖のほとりにユリの花を栽培するファームを持っていた。何人もの農夫を雇い180種ものユリを栽培し、新種のユリの育成にも成功していた。園芸科の間でもアールのユリは、いつも一番の人気を保っていた。アールの生活は、手間のかかるユリが中心で、妻や娘のことに構うことがなかった。ユリの花は最も短命で、手を抜くとすぐに枯れてしまう。ユリの品評会に気を取られていて、一人娘の結婚式に出るのを忘れたときは、さすがに慌てたが、娘はその日以来二度と父親と口をきこうとしない。妻もアールを責めたてるばかりで家から離れて、ファームに住むアールは、事実上別居、離婚状態になってしまった。
時が経ち、2000年代になると一般に園芸熱が冷め、ユリの球根も売れなくなリ、ビジネスが立ち行かなくなってしまった。すでに76歳になっていたアールのファームは、差し押さえとなり園芸ビジネスを畳まなければならなくなった。
ファームからトラックに家財道具をすべて乗せて自宅に帰ると、妻は口汚く夫を責め、娘は険悪な顔で相手にせず、家族は他人扱いで家に入れてもらえない。仕方なくアールはトラックで、立ち去る。
彼の新しい職場には、60年間無事故だったという模範運転歴を買われて、雇われた。雇い主は、何やら見るからに怪しげな男達だが、言われた通りにニューメキシコから荷物をトラックに載せて、言われたモーテルに配達する。始めは何を運んでいるのか見当もつかなかったが、じきにコカインだとわかる。知らないうちにドラッグマフィアの片棒を担いでいたのだ。犯罪組織は、アールのことを、タタ(おじいちゃん)と呼んでいて、次第に親しくなっていった。模範運転手の年よりを、運び屋だなどと誰も疑わない。麻薬捜査官の目をかいくぐって仕事は順調だ。
しかし犯罪組織が仲間割れして、親しかったボスが殺される。そんな取り込み中に、アールの妻が癌で死の床に居るという知らせが入る。アールは断りなしに仕事から離れ、妻のもとに走る。妻は夫が来てくれて喜び、再び夫を受け入れる。心の平静を取り戻し、妻はアールの腕の中で亡くなる。葬儀もすべて終わって、彼は職場に戻るが、事情を知らないギャング達は勝手にいなくなったアールを責めて脅し、再び運び屋を強い監視の下で行わせるが、遂に麻薬取締官の厳重体制を突破することはできず、彼は逮捕される。
すべての罪状を自ら認め、アールは進んで刑務所に入る。そこで再びユリの栽培に精を出す。嬉々として花造りをするアールの姿を追ったシーンで、映画が終わる。
イーストウッドの無駄のないフイルム、ストーリーの流れにぴったり合った音楽、筋書きのテンポの速さ、編集の完璧さ。これがイーストウッドの映画だ。彼の洗練されたフイルムが好きだ。無駄のないフイルムの作り方は、恐らく何十年間ものあいだ、ロクでもない映画から一生忘れられない名画まで、数えきれない映画に、役者として出演してきた経験から、無駄を省く能力を身に着けたのだろう。
映画のなかで、麻薬捜査官ブラデイ クーパーが、カフェのカウンターで、携帯を見ながら、思わず「畜生」と声を出す。横にたまたま居たイーストウッドが、「誕生日か?」と聞く。「いや、結婚記念日だった。」麻薬捜査が終盤にはいって、家からしばらく離れている。それを責める妻からの携帯へのメッセージに慌てる夫。そんな何気ない会話のテンポの良さ。 彼は私生活では2回離婚しているが、5人の異なる女性との間に7人の子供がいる。今回の映画で長女のアリスン イーストウッドが娘役で出演している。自分の結婚式にも来るのを忘れていた父親を責めるときの怒り顔は、演技と思えない辛辣さと怖さだった。
イーストウッドは1955年から63本の映画に主演し、1977年からは37本の映画を監督している。他のどんな映画監督よりも、多才で多彩で多産な監督だ。
本当につまらない映画にもたくさん主演している。あきれるほどだ。1955年からはテレビシリーズだけでも11本、西部劇には50本あまり主演している。
1960年代には、マカロニウェスタンの主演で、ジョン ウェインなどによる正統派西部劇でなくて、血しぶきが飛ぶ残酷なイタリアン西部劇のヒーローだった。1970年から1989年は、ダーテイーハリーこと、キャラハン刑事の型破りなダーテイーヒーローとして、暴れまくった。
彼が映画を単なる娯楽として捉えるのではなく、映像、演劇、音楽のすべてのジャンルを統合する「総合芸術」として、取り組みだした契機は、1992年の「許されざる者」(UNFORGIVEN)からではないだろうか。これで初めてのアカデミー作品賞、監督賞を獲得した。この映画は、殺し屋として名をはせた男が、完全に足を洗い、田舎で子育てをしていたが、街にギャングが現れ、女たちを脅かしている姿を見ていられず、親友(モーガン フリーマン)を誘って、ジーン ハックマンのシェリフが居る街にきて、悪者をやっつけるお話。勧善懲悪が当たり前だった西部劇に、複雑な男たちの駆け引きや、異なった価値観を持つイギリス人のシェリフや、いつも犠牲になる気丈な女たちの視点も取り入れて、沢山の名優を動員して作られた映画だった。
1992年のアカデミー賞受賞以来、彼の映画熱と機動力は、目を見張るばかりだ。1995年「マディソン郡の橋」、2003年の「ミステイック リバー」、2004年「ミリオンダラーベイビー」、と続いて、この作品で再びアカデミー賞作品賞と、監督賞が与えられる。この時、彼は74歳だった。「ミリオンダラー ベイビー」は、安楽死を助長する映画だとして批判もあったが、再起不能のボクサーを望み通りに死なせてやる老コーチに共感して、涙する人の方が多かったのではないか。
2006年には、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の二部作で、第二次世界大戦の激戦地、硫黄島におけるアメリカ軍と、日本軍にとっての硫黄島を、鮮やかに描いてみせた。戦争の愚かさを徹底的に描いた優れた反戦映画だ。
2008年の「グラン トリノ」では自動車工場が閉鎖されたラストベルトのデトロイトに暮らすアジア人少数民族の子供達を描いた。名もない真面目にフォード車のために働いて引退した年よりが、自分の正義感から後に続く青年のために、自分の命を差し出す潔さに、心揺さぶられる思いだった。私はこの「グラン トリノ」と、「J エドガー」が一番好きだ。完成度の高い、芸術作品。映画が娯楽だなどと誰にも言わせない。
2003年の「ミステイック リバー」の主役ショーン ペン、2009年「インヴィクタス」のマット デイモン、2011年「J エドガー」のレオナルド デカプリオ、そして2011年の「アメリカン スナイパー」のブラドリ クーパー、、、みごとな配役だ。
「インヴィクタス」で、南アフリカラグビーチームの主将がマット デイモンでなかったとしたら、全然映画が異なったテイストだった。「J エドガー」をレオナルド デカプリオが演じていなかったら、映画そのものの意味が異なっていただろう。素晴らしい配役だ。
イーストウッドは、ワーナーブラザーズ社の中に、自分用の大きなスタジオとオフィスを持っていて、何十年間もやりたい放題をしてきたそうだが、彼のような才能をずっと抱えて、わがままをじっと聞いてきた会社も太っ腹だった。映画の構想を立て、思うような役者と交渉し、思い通りに映画を作る、最も恵まれた監督だった、と言えよう。
2018年「1517パリ行き」は、パリ発15時17分発の列車でテロが起きたとき、たまたま乗り合わせていた3人の青年達の英雄的な行為で、死者を一人も出さずに済んだという、「タリス銃乱射事件」を題材に、実際この時の3人の青年達を出演させて、ドキュメンタリーともいえる手法で映画を作った。イーストウッドの実験とも言うべき作品だが、青年たちの演技に、何の違和感もなく、実によくできた映画だった。
イーストウッドが、この映画「運び屋」で主演したのは、2012年「人生の特等席」以来6年ぶりだ。「人生の特等席」では、黄斑部変性でほとんど失明しているが、それを自分で認めようとしない頑固親爺が、メジャーリーグ、レッドソックスのルーキー発掘に情熱を燃やし続ける年寄り役で、とても感動的だった。
「運び屋」では、ひょうひょうとしてニューメキシコからアリゾナまでの長距離を、ラジオに合わせて歌を歌いながら、運転する姿が、とても良い。自然体で、魅力的だ。いつまでも「男」を背負っている、イーストウッド。身長193センチの長身。それが、今回の映画で背が曲がってしまっていて、ちょっと悲しかった。88歳だからなどと、言ってもらいたくない。彼自身の言葉で、引退するなどとは言っていない。年をとっても「男」の魅力がいっぱいのイーストウッド。これからも走り続けていって欲しい。
映画の最後に、シンガーソングライターのトビー キースが「DON"T LET THE OLD MAN IN」という歌を歌っていて、それがとても素敵だ。