金子文子と朴烈(パクヨル)のレビュー・感想・評価
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近代史を扱った見事な作品
愛を描いた映画として出色で、日韓の複雑な歴史にスポットを当てた点でも高く評価できるし、表現の自由の大切さを訴えた作品としても素晴らしく、権力と大衆の愚かさの普遍性を描いたという点も見事。同じ時代を舞台にした『菊とギロチン』と合わせて観るとより深く理解が進む作品だと思う。
大正末期の関東大震災直後は、震災のショックと政治権力の圧力の増大という点で、現代とも共通した社会背景があるが、朝鮮人へのいわれなき非難などのデマの横行など、人々の行動もあまり変わらないようだ。日本人、韓国人の登場人物ともにフェアに描かれていて、国籍関係なく時代と権力に翻弄された人々の生き様を鮮烈に描いた作品だ。
有名な「怪写真」のくだりは、どの程度事実なのだろうか。作中の解釈は正しいのかわからないが、あの2人の人間性に惹かれた人間は、実際に権力側にもいたのだろうか。少なくとも、本作での、あの写真の撮影に至るまでの物語には非常に説得力があったと思う。あの写真の2人のふてぶてしさが全編に渡ってよく表現されていた。
「福田村事件」大ヒットで再上映されている映画館も増えている作品。
今年318本目(合計968本目/今月(2023年9月度)28本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
この映画自体はすでに公開から4年経っていますが、「福田村事件」が連日の立見席まで売られているようにヒットしている事情から、この映画に発展・関係するようなテーマの映画も同時に放映される傾向があり、この映画もその一つです。
ストーリーに関しては、実話であることもあり、かなり厳密に描かれているな…といったところです(一部、「福田村事件」と関係して当時の差別事情があったことは前提として求められます。何にせよ「福田村事件」等何らかの作品を見てないと理解が難しいです)。
ドキュメンタリー映画という要素もそこそこあり、あることないこと描けないタイプの映画になること、また、当時の思想感がそのまま表れているため、2023年の今日においてはやや不適切ないし配慮を要するのではなかろうかという字幕、言い回しも一応ありますが(注意書きはなかったはず)、映画の趣旨として当然使われうる範囲に収まっています。
ストーリーという観点では特に触れるところはないものの、見る方が混乱するかなぁ…という説明不足に見られる点はいくつかあります。
行政書士の資格持ちレベルでの感想です。
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(減点0.3/2人がなぜ拘束されたのかの説明が不十分)
当時の治安警察法の運用において、広く「何らか事件を起こしそうな人、思想が有害と思われる人」といった異様に幅広い対象をとって「予防検束(~けんそく)」(強制的に一時隔離するというもの。現在の行政法の考えでいうと直接強制にあたるもの)が、行政執行法という法律の規定のもと行われており、これによります。
ただ、この予防検束は人権侵害という疑いが強いもので(直接強制それ自体も)、戦後はこれらは廃止され、趣が異なる「行政代執行法」という法に変わりました。
※ 現在(2023年)においては、特に人権侵害の恐れが強い「直接強制」が行われることはほぼありません(違法駐車の車をレッカー移動させるのは「即時強制」と呼ばれるものでこの2つは似ていて違います)。
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(減点なし/参考/一部のセリフについて)
・ (大審院では)日本語を用いなければならない
・ (大審院において、必要に応じて)非公開の裁判ができる
→ 今の「裁判所法」の前身の「裁判所構成法」に定められていたもので、前者はそのままありますが、後者は日本国憲法へ移動し「秩序を乱すなどの恐れがある場合」について非公開とできる(判決は必ず公開)というようになりました(日本国憲法82条)。
(減点なし/参考/大審院と現在の最高裁判所の違い)
・ 大審院と今の最高裁判所は「およそ」同じで、法律の学習における判例学習においては、解釈上有効な限り大審院の判例も学習しますが(例えば、民法177条における「第三者」が何を指すのか、は、有名な「大審院」の判例)、一方で、大審院には違憲立法審査権が認められない、下級裁判所への指揮命令権がなかった(当時は司法大臣が全権を握っていた)といった点が異なります(ただ、不完全ながらにも三権分立の芽生えが見られた当時の帝国憲法とそれから派生した不十分ながらの大審院ほかから構成される「不十分な」状態は、当時の世界水準でもまだ高い方であり、これが第二次世界大戦後に「十分な」今の姿になっていくのです(もっとも、現在も改憲運動があるように、「完全な」ものではないし、ある制度に「完全さ」を「常に追い求めていく不断の努力」は常に必要なのです)。
今を生きる日本人に見て欲しい作品
「私は人のために生きているのではない。私は私自身の真の満足と自由とを得なければならないのではないか。私は私自身でなければならぬ」
壮絶な人生を生きてきた者にとっての救いとはなにか。
私は女性だから、どうしても女目線で鑑賞してしまうから文子気持ちを想像しながら鑑賞した。
私は幸い今まで飢えることなく、屋根もある、清潔な寝床もある割と豊かな暮らしをさせてもらってきたから、ここで描かれる朝鮮出身者や文子のような理不尽な思いを受けたことがない。
だから、彼らや彼女達の想いをどこまで理解できるのかはあくまで想像力が試されるわけだけど、そんな境遇で生きるしかなければ、彼らのように突き動かされ、何かを変えたいと強く思うに違いない。
彼らは若く情熱もあり、そして純粋だった。純粋だから、生き様も死に様も清々しいほど一貫して、五十代の私にとってとても眩しい。人生の一瞬の煌めきの如く生きた文子に私は感動した。彼女の朴烈への深い愛情と信頼も純粋なだけに、ため息が漏れた。
これだけ互いを理解し合う同志に出会え、魂を重ね合わせたことは、ただただ地を這いずり回って生きた彼らにとって闇の中で見る光だったのではないか。
日本ではなかなかリアルな明治大正昭和を描く作品が少なくて残念に思うが、近代史こそ今の日本人にとって学ぶべき時代ではなかろうか。その時代を生きた人々の想いに想いを馳せることのできる素晴らしい作品だった。
日本ではあまり知られていない歴史??
私が無知ゆえだけど、こんなことがあったとは、まったくく知らなかった。
文子役のチェ・ヒソ、日本語うまいな~と思ってたら、小学生時代に日本にいたと知って納得。
絶妙な配役。
過去のことをいつまでも引きずらないでほしいと思う反面、こんなことしてきたんだから恨まれても当然、とも思う。
日本人も、自分たちの過去を知らないといけない。
自分を生きる
関東大震災朝鮮人虐殺事件も最近知ったし、
朴烈事件もこれで初めて知った。
難しい内容でWikipediaなんかも覗きながら観たけど、
金子文子の生き方、特に最後の言葉は胸に刺さった。
生きると言う事はただ動く事ではなく、
それが死に向かっての行動であっても
それは生を否定してるわけではなく肯定してる事であって
自分自身を生きたと言う事。
他人は短命だった方に、まだ若いのにと言うけれど、
どう生きたかが大切だよなと思えました。
朴烈もカリスマ性があって良かった。
最初は大虐殺の理由のでっち上げに捕まったのかと
思ってたけど、皇太子暗殺は計画してたんだな。
隠蔽されないためにも朝鮮人として、
死刑を選ぶと言う生き様はなかなか出来る事ではないし、
そんな朴烈をただの罪人ではなく一人の男として
ある種認めてる立松とのやり取りもグッと来ました。
ただ日本人役を日本人に演じてほしかったなとは思いました。誰が朝鮮人で誰が日本人なのかスゴく分かりにくかったし、朴烈たち在日朝鮮人の日本語には字幕をつけて欲しかったです。
すごい映画です。
ロードショーに行けなかったのでDVDで見ました。
久しぶりにすごい映画を観ました。
実話だというこの話、朝鮮人の大虐殺、話はもちろん誰でも知っているでしょう。この事件の裏側にこんなにも悲しく強く心打たれる2人がいたことは全然知らなかった。
アナキストの朴烈はやってもいない罪を逆手にとって日本人の権力者に利用されて殺された同胞の無念をはらそうとした。そんな男を同志として支える金子文子、これまた腹にどかんと信念のような揺るがない物を据えていて、自ら捕まってからも動じることなく2人の裁判はすすむ。
権力のある者がそれを利用して弱者を痛めつける。自分達が有利になるように策を講じる。何をやっても醜いのだ。
朴烈は自分たちがひどい目にあっても怒りの矛先は決して間違えない。そしてそんな高潔さに権力側にも理解を示す人がでてくる。日本人としてそこは唯一の救いかもしれない。過去の恥ずかしい過ちを真摯に受け止めて次の一歩を踏み出すべきだと思う。
今の政治家にこれほど高潔な人間がいるのか、保身など微塵も考えないこの男の生き方を見習ってほしいと思ってしまった。
鬼子による大逆事件は英雄物語ではない。稚拙なテロリストの話
犬ころ供と僕は逆の世界に生きている。
珍奇な脚本家が書いた反日映画は、被害者面したとても悪意に満ちたもので
これを正当化したら、中東のテロさえも肯定されてしまうだろう。
この映画は最初から最後まで違和感の連続だけが続き
日本語を話しているようだが、一部の役者がしゃべる日本語は 僕には犬語に聞こえた。
文子さえ、根っからの犬に見えたので、
日本人役にはせめて日本人を使う冪だ。
爆弾を準備する事は町井戸に毒をいれるのとまったく同じであり
犬が求めているのは平等ではなく、「自分達には都合が悪い日本政府に成り代わり、犬ころが日本社会を支配し
日本の民を自分達に従える」という
”自分達が上に立ちたい”が為には、人だって殺す革命思想上に居るものであり
皇室に対して、暗殺計画を進めていた重罪はけして許されるわけがない。
知っていた者 関係者すべてが極刑に値する。
重犯罪者糞安重根と同じである。
日本に死刑と言う刑罰がなければ、現場処理ができていただろう。
今年度初めに観て、感想を書こうかずっと迷っていた。
鑑賞後、純粋に憎悪だけが残り、読むに堪えがたい感想文だったからである。
しかし観た者は観たものであり、1年の終わりにそのまま記す。
独立した「個」として愛する人と社会と向かい合おうとした若者の物語だ...
独立した「個」として愛する人と社会と向かい合おうとした若者の物語だと思うんだけど、やはり“存在した罪を無かったことにするんじゃねーよ”というもうひとつのテーマが突き刺さる。エンドロール脳内では中川五郎「トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース」が鳴っていた。
出演者の演技がよかった
恥ずかしながら、この映画が公開されるまではこの裁判のことは知らず、それだけれでも国内で公開されてよかったように思う。
少し訛った日本語があったので、ひょっとしてと思っていたのですが、ほとんどの主要メンバーが韓国人だったとはびっくり。皆さん、日本語が上手い。特に、検察役の方。
早々に逮捕されて、獄中劇が長いので、もう少しシャバでの描写があるとよかったな。
文子の眼鏡とか時折見せる弾けた台詞がイマっぽいなと思えたが、文子役のチェ・ヒソさんは、これからの活躍が楽しみです。
タイトルに納得
韓国上映時は「朴烈」だけだったらしいが、
この映画は金子文子あってこそ
それも「朴烈と金子文子」ではなく
「金子文子と朴烈」なんだよな
大正時代の大日本帝国時代の横暴さを
真っ向からぶちかました2人を観てて、
清々しくもあり羨ましくもあり
また、
歴史的に日本を見つめ直すキッカケにもなる
非常に良い映画でした
ワシはこれを観て、
金子文子を演じてる時のチェヒソに
ガチ惚れしたのほ秘密だw
現代的に解釈すればテロリスト
金子文子と朴烈も現代流に解釈すれば、実行したか否かは別にしてテロリストです。
現在の日本であれば、社会を転覆させようとするテロリストが摘発されて処罰されれば、国民は喝采し、権力側も自らの責任を果たしたと自分の仕事を誇りとするでしょう。
ところがこの映画ではそうなっていません。テロリストが喝采され、権力側が翻弄されています。
描かれた時代が違うと言ってしまえばそれだけです。
賛否の分かれる映画だと思いますが、見て損はありません。
ただ、韓国映画であることは忘れずに。
史実に基づいたとされていますが、本当のところ、どうか分かりません。
隣人との違いを理解することの大切さ
関東大震災の騒乱に乗じた日本人による朝鮮人の虐殺と、その火消しに利用された朴烈と金子文子の物語
正直な話、関東大震災の時に井戸に毒を入れた朝鮮人がいたというデマが流されたことは聞いたことはあっても、その火消しに利用された朴烈と金子文子の話は知らなかった
なぜ、知らないかと言えば、私の勉強不足なせいもあるけれど、多くの歴史上の汚点がそうであるように、歴史から消し去られてしまったからではないかと思う
とはいえ、その当時は朝鮮は日本の統治下にあって、日本政府も未熟なところがあり、関東大震災で火の海となってしまった東京の苦悩から目を逸らすためにねつ造されたデマだったと思われる
それにしても、それはあまりにも幼稚で、酷すぎるデマだった
その噂を信じた日本人たちは「朝鮮人憎し」と虐殺を始めてしまう
その虐殺された人数を知って、ヤバイと思った政府は、次に犯人をねつ造する
そのねつ造されだ犯人が、朝鮮独立の活動家だった朴烈だったのだ
そして、その朴烈の思想に惚れ込んだ恋人が金子文子だったのだ
この映画は、韓国で製作されたものだけど、決して「日本憎し」という反日的な作り方をしていない
そこが、ありがたいというか、良いなと思った
独立のために活動していた朴烈だけど、全ての日本人を嫌っていたわけではない
彼の周りには彼を慕う日本人たちもいたし(そういう人たちは、当然、他の日本人からはアカと言われたけれど)、朴烈自身も、日本人の考え方にとても興味持っていた
そして、何より、彼が愛した文子は日本人だったのだ
その事実を知って思うのは、これから先、同じ過ちを繰り返してはいけないということ
そのために、私たちがしなければいけないのは、他の国の人たちとの違いを知り、受け入れることだと思った
しかし、それが簡単なようで、とても難しいのだ
だから、私たちには、この朴烈と金子文子の愛が必要なのだ
後半は、どんなことがあっても信念を貫き通す二人の愛に泣いてしまった
彼らの愛をお手本に
違う国に生まれた者同士、習慣や考え方は違って当たり前
その違いを楽しめるぐらいの心のゆとりがあってこそ、成熟した国になれるのではと思う
それ以前に、この二人の物語をぜひ知って欲しいので、一人でも多くの人に観て欲しい作品
☆☆☆★★★ ※ 1 好きだったなあ〜金沢文子 (u_u) 嗚呼!...
☆☆☆★★★
※ 1 好きだったなあ〜金沢文子 (u_u)
嗚呼!我が青春の宇宙企画!
…はて?俺は一体何を言っているのやら(//∇//)
何を題材とした作品なのか?一切の情報を知らずに観たところ。これが関東大震災の時に起きた、朝鮮人虐殺の背景とした2人のアナキストの話で在るのを、観ている最中に知る。
全く知らない人物だっただけに、多少頭は混乱してはいるが…。
個人的には、震災の時に朝鮮人虐殺は《有った》と思っている。
その理由としては。死んだお祖父さんから「見た!」…と、生前に幾度となく聞かされていたから。
お祖父さんは福井県の田舎の出身で、純粋な日本人で在り。決して(その様な事で)嘘を言う人では無かった。
…とは言え!
反日教育によってもたらされる弊害は、余りにも大きい…とも思ってもいる。
それにより歪められる知識や考え方等には、日韓双方にとって、どれ程の眼に見えない厚い壁が立ちはだかっているのか…と。
とは言っても。この主張は、所詮日本人による(韓国人から見ると、もっともらしい)考え方では在るのだろうけれど…。
少なくとも、私が観た限りに於いて。この主人公の朴烈とゆう男は、極めて《承認要求》が強く。寧ろ【有名人】になりたい願望の強い男にしか見えなかった…と言うのが、映画を観た正直な感想でした。
或る意味では、反日教育が産み出した悪魔…と言えるかと。
抵抗を重ねながら。段々と【英雄化】して行く事で、最終的には《その事》に酔って行く様な!
勿論、これも日本人で或る私個人の意見にしか過ぎませんが(´-`)
観ていて気持ちは良く無いのは致し方無い気はします。天皇陛下を「坊ちゃん」と言い、裁判の際には「悪魔の子」とも言う等、(他にも色々な表現を使っていた)それこそ「これでもか〜!」とばかりに悪口を捲し立てる。
…ただ!
2人が捲し立てれば捲し立てる程に、日本側の対応がオロオロしてしまう様が、滅茶滅茶面白いので有りますよ〜!
この辺りのコメディー部分は実に秀逸でした。困った事に…。
あ?困った訳では無いです。単純に驚いた訳で…(;´д`)オロオロ
この辺りの展開こそ、反日教育がもたらした歪な娯楽性が。エンターテイメントの坂道を転がり。奇跡的な成功を収めてしまった様な気がします。129分があっという間だったのは事実ですから。
気分は良く無いのに、極めて面白いって言う…不思議な映画でしたね〜(´ω`)
それにしても、今日は新元号が発表された歴史的な日。
そんな日にこの作品を観たのは、まさに運命だったのだろうか?
令 和
知った瞬間は「何だそれ!」でしたが。10時間以上経った今、こちらも不思議と、少しずつですがしっくりとして来た。
思えば、小渕さんが初めて「平成」の文字を掲げた瞬間も「何だそれ!」だった訳だったけれど、直ぐにしっくりと来ましたからね〜。
《昭和》《平成》と来ての《令和》
おそらくこれが最後になるのだろう。流石に次の新元号の時には土に還っているだろうなあ〜(。-_-。)
ともあれ…宜しく《令和》ヽ(´o`;
2019年4月1日 シアターイメージフォーラム/シアター1
※ 1 改めて検索してみたら…。
えらいこっちゃ〜ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
宇宙企画時代のソフト路線しか知らなかったので…知らないカナブンがいっぱい出て来た〜!
お、お、おじさん心臓発作で死ぬかもしれん(〃ω〃)
令和の今敢えて観てみました
令和になって見聞きするものがすべて皇室関係、祝賀ムードのなか敢えて観てみました。
明治憲法下の日本人などおそらく映画に描かれている通りあんなもんだろうと思います。
反日映画にしては少し優しい印象を受けましたね。日本人は臭いものには蓋をするのでたまにはこういう映画を観るのも宜しいかと・・・
ただ関東地区では渋谷のイメージフォーラムと横浜のジャックアンドベティしか上映してないから大して眼に触れないような気もします。
韓国得意の反日国家宣伝映画
地上派では放映不可
文子役は本来なら名の知れた日本人女優を起用したいところだが内容からして無理だろう この手の作品はロシア人やドイツ人役なのに英語を話したりするケースが多いが日本が舞台で大半が日本人の設定なのに韓国人がよく日本語を学んだ事は評価したい!
金子文子役の女性は日本人だと思ってたのに・・・日本語上手い!
こんな方法でいいのか?と、ずっと疑問に思っていた二人の行動。途中、朝鮮からの新聞記者が来日して、彼らの行動を批判めいた口調で懇願するシーンもあった。なぜならば、関東大震災において、民間人による朝鮮人虐殺の事実が薄らいでしまうからだった。それでも二人の信念は曲げられない。断固ととして皇太子暗殺を企てたとして死刑が確実である大逆罪を望んだのだ。
結果としては良かったのだろうか。たしかに現在では歴史修正主義者が跋扈していて、「日本人が虐殺するはずがない」などと、全てを否定しようとしている。某都知事などは朝鮮人犠牲者追悼式典の“追悼の辞”を拒否するくらいだ。歴史的に・・・というより、当時の新聞記事にも煽るデマ記事が書かれていることだし、人数は定かではないが実際にあったことだ。
映画に登場する残虐シーンでは、日本人の自警団が「15円50銭と言ってみろ」と幼い女の子に竹やりを突き刺そうと構える。女の子の発音が濁音を正しく言えなかったため竹やりで刺し殺すというものだった。主人公たちが作った不逞社(アナーキズムを信奉する少数団体)のメンバーたちは、自警団を恐れて警察へと逃げ込む事態となるほど。震災二日後には戒厳令をしかれ、ラジオ放送、新聞などで朝鮮人が井戸に毒を入れたり、爆弾を持ってるなどと政府主導でデマを垂れ流されたら、自分だって信じてしまったんじゃないかと自信がない。
金子文子にしろ、朴烈にしろ、鉄のハートというか、初志貫徹できる精神力がとても強い。二人の以心伝心ぶりは手紙のやりとり前からも息が合っていたし、そうした思想によって強く繋がってるからなんだと感じた。日本人の弁護士布施も後に大韓民国建国勲章を受けるなど、無罪を主張し続けた司法の逸材。取調官の立松にしても、徐々に彼らの気持ちがわかってくるなど、色んな心が伝わってくる映画でした。
また、冒頭の人力車のシーン、心臓を鷲掴みにされるほど強烈に感じてしまいました(職業柄)。
素敵な映画
爽やかな風が吹いたような映画。怪写真程度のことしか知らなかったので、映画にしてくれてありがとうの思いで一杯。金子文子と朴烈を演じた二人の素晴らしさは沢山の方がパンフレットその他で書いている通りです。音楽もとても良かった。
不公正を強いてくる社会でいかにフェアな関係を取り結べるか
関東大震災下の東京。政府の先導したデマによって煽られた朝鮮人虐殺。それを糊塗するために大逆事件の容疑者に仕立て上げられた「不逞鮮人」とアナキストのカップルは、法廷を彼らの演説会場に変える。やるせない怒りにかられるストーリーながら、国家による不当で理不尽な差別に、なんとか一矢報いようとする、痛快で切ない青春活劇としても見ることができた。
言語を交換した求愛シーンや、それぞれが自分の言語で話す尋問シーンは、
上等な人/下等な人、上等な言語/下等な言語という、不公正な関係を押し付けてくる社会、十五円五十銭という発音の正しさで人が選別される状況下で、いかにフェアな関係を取り結びわかりあう事ができるかという試みのように思えた。
天皇とは権力を付与するために 作り出されたシステムにすぎない 概ね...
天皇とは権力を付与するために
作り出されたシステムにすぎない
概ね、こんな言葉を金子文子が語る
日本語が堪能なチェ・ヒソが
シナリオ作成の段階から関わり
裁判記録を読み込んで作った作品だ
とのことであるから
あるいは文子自身の本当の言葉
なのかもしれない
大正末期に
まともな教育を受けたことがない
女性が
このように相対化した
ものの見方で
現実を的確に把握していたとしたら
驚きである
日本と韓国の
今に続く歴史を知ることにも
大きな意味がある
それは、韓国から見た歴史であるとしても
そうした認識を隣人は持っている
ことを知ることの価値は深い
そうした認識をもった上で
自分は
日本という国、韓国という国に対し
どんな関係を取り結ぶのかを
冷静に選び取る姿勢が
私と私が所属する社会の未来を
幸せなものにする
のではないだろうか
日本人として観るべき映画である
と同時に
この物語は金子文子と朴烈の
強烈な恋愛物語であり
青春物語でもある
チェ・ヒソの魅力と
言葉に頼らない演技が
この映画を忘れえないものにしていると感じる
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