ばるぼらのレビュー・感想・評価
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手塚治虫作品の強さは時代を超える
時間の制約で原作のエピソードをかいつまんだ内容になってはいたが、実写で時代を現代に移して(監督の弁では時代を曖昧にしたとのこと)作られたものにしては違和感が少ないと思う。物語に古さがなく、アヴァンギャルドな空気が似合う風情すらあって、手塚治虫作品のテーマの普遍性を実感した。
個人的に違和感を覚えた部分もあった。原作では、主人公の美倉は異常性欲に日夜さいなまれており、そのことを世間に隠したまま克服すべくひそかな努力を続けている、という前提が最初に語られる。その上でマネキンや犬の描写があるので美倉の見る幻影に唐突な感じはない。ばるぼらほどでないにせよ、美倉もまた異端者の一面を持った者という印象があった。映画ではこの点について明確な説明がなかったので、原作未読だと美倉というキャラクターのイメージが少し違ってくるのかなという気がした。
また、ばるぼらと過ごした日々がある形で結実する原作のラストとは結末が違うものになっており、代わりに原作にない少々強烈なシーンが入っていて、作品のメッセージ性は弱まっている気がした。これはどういう意図でそのように変えたのか正直よく分からなかった。
稲垣吾郎は外面を気取って内面に狂気を秘めた作家の役がよく似合っている。傍目には品があっておっとりした雰囲気の彼が美倉として動くところに色気があった。
渡辺えりの怪演はインパクト大。ムネーモシュネーの実写に違和感がないというのはすごい。しかしあの頭髪の色と質感、あれでいいんだろうか。笑いをこらえるのに苦労した。
主要キャスト3人以外の演技がところどころ微妙な感じだったのが残念。
原作ではもっと様々なエピソードがあるし違う結末が楽しめるので、未読の方にはお勧め。
デカダニズムの美しい映画です
原作連載当時にリアルタイム購読した世代です😅
映画通先輩諸兄は酷評されてますが、私は面白かったです。映画は原作ストーリーと違いますが、映画の方が緊張感保ったままラストを迎えるので、これで良かったと思います。邦画には珍しい徹底したデカダニズムは外国合作のせいかでしょうか。
ばるぼらの普段の反吐が出るほどの心身の汚ならしさと、惜しげもなく綺麗な裸体を曝した幾度の過激sexシーンは凄い! 然しNHK朝ドラヒロインを射止めた二階堂ふみちゃんの将来に大丈夫か?と余計な心配をしてしまいました。
千葉県キネマ旬報映画館鑑賞
実は観に行こう
と思っていた。が行けなかった。
それが正解だった。と思った作品。
どーしてなのか、と言うと
稲垣吾郎の表情のない演技に二階堂ふみの濡れ場しか
見どころのない、だらしない内容だったからなのだが。
退廃感とだらしなさが区別つかない演出には
ある意味感動🥺
センスの有無を曝け出しているよねw
と言うわけで星2つ
これでも手塚治虫先生故の得点。
アッチョンブリケ
とても美しい絵画のような映画でした
ばるぼらの二階堂ふみさん、美倉洋介の稲垣吾郎さんはもともとのイメージが知的で美しい方なので、エロティックなシーンがあっても品があり、映画ばるぼらにぴったりでした。
手塚治虫の裏側の顔のような性と作家ゆえの苦悩を描いた難解で奇妙な愛の物語を、息子の手塚眞監督が妖しくも美しい芸術作品に描いてます。重厚なジャズと(のんではいませんが)酒に酔いながら、謎めいたばるぼらの世界を楽しみました。
ばるぼらちゃんは楽しいエッチができる
なんか情愛シーンでピアノ曲を流してただ魅せるというのは定番というより仕方ないんだなと思いはじめました。そのモノの音を入れる、語りを入れる、窓の外の生活音だけ入れる、音楽を入れるくらいしかないですしね。
ただ世のミュージックビデオを観ると、夜景が映るとか窓際で外を眺めるとか特に意味のない映像を採用することもありますよね。それは曲がメイン、映像がサブだからそれでいいんです。が、二階堂ふみが勃起した乳首までさらして演じてるのだから音楽で中和せず喘ぎ声でよかったと思います。
日本人のセックスには暗いのが多いと思います。お金のため家族のためにあなたに抱かれます、誰にも承認されなくてセックスに依存してる、愛する彼にもう愛されてないが体だけでも求められるのは嬉しい、等これは女性ですか。金払って10代の子を性ペットにすることで得る自己肯定感、デートをめんどくさいと思いつつこなし夜のホテルで抱くと愛しくなる自分の中の乖離は男性。作家の美倉も仕事が上手くいってない状況でする不安を性にぶつける一心不乱エッチです。
しかしばるぼらちゃんは、楽しいエッチができる子だと思います。出自が謎すぎるので。前の男がだとかを引きずらないで、美倉が好きで、美倉を助けたくて、美倉と思いっきりエッチがしたいという子です。もっと観たかった。
おっぱいが見えるのは一瞬かと思いきや、翌朝のキッチンみたいなとこで後ろから触られる二階堂ふみは想定外で、そのシーン何度も観てしまいました。
異常性欲男と、いきなりエッチ謎女。2人ともいらない諸事情をエッチに持ち込まないので、
エロい。という感想でいいよね?
手塚治虫には異常性愛は語れません
漫画の神様と言われた手塚治虫の大人向け漫画が原作
手塚治虫の全盛期の頃は漫画は子供の読物だった
その後、劇画などを経て漫画は大人も読むサブカルチャーへと変わっていった
その過渡期で手塚治虫も時代について行こうと悩んだ時期があった
だからエロい作品が沢山あります
でもストーリーは面白いけれど、漫画はちっともエロくない
彼の漫画は子供向きの丸っこい描写だし、カット割りも話をなぞったようで欲情はしない
すでに”火の鳥”の連載を開始していて数々の名作を生み出しましたが、ストーリーに比べ漫画自体は古くさい
アニメになってやっとストレス無くみれる状態になっていたが、そのアニメ自体も今となっては古くなってしまった
今回、監督をつとめたのは息子の手塚眞だが、父親の亡くなった年齢とほぼ同じになっているのは感慨深い
映画の雰囲気は、昔のアングラ映画っぽくて好みです
原作は主人公が異常性愛者であるというオーラが全くでていなかったのに対し、映画はいい雰囲気を出していましたね
ただ、
稲垣吾郎の演技が拙すぎる
役者じゃないから仕方がないが、自然な演技しかできない
二階堂ふみや渋川清彦はさすがよくわかっている
異常な世界の人間の役には自然な演技はあわない
ワンパターンの演技しかできない稲垣吾郎が浮いてしまっている
なぜ、彼を出演させたのか、まったくわからない
高良健吾にでもやらせたらいい作品になったろうに
原作自体、病院でちょっと見ただけですが、映画で手塚治虫が何をしたかったのかは理解できました
まあ、前年に大人向けアニメーション映画”千夜一夜物語”を公開しており、大人向けの文学に興味が移っていったんでしょう
オブジェクトセクシャリティのはしりから、獸姦、屍姦と異常なセックスを極めていこうとしていますが、本人がいたって常識人だったからね
いくら背伸びしたって奇をてらっているようにしかみえない
監督の息子にしたって同じだからこんなものでしょう
彼なりに頑張ったといっていいけれど
破滅的な面を持っている監督でないとリアリティのある作品はできません
故大島渚に撮らせたかった
原作が手塚治虫先生という事で難しい作品
これ、手塚治虫先生原作マンガと言われなければという感じです。
人間不思議なもので、冠付くともうそれだけで賛否が極端に分かれる。
手塚治虫作品はどれを取っても必ずメッセージがあったりするはず。
そう思って鑑賞したが、これは何だったんだろう。
最後まで掴み取れなかった。
いまの世の中で必要なものは癒される物語。
それにしても酷い。手塚治が泣いている。「死」を意識せずに生きていくには余りにも過酷な時代になってしまった。にも拘わらず、稚拙な表現に終始するこの映画はいったいどうしたことなのだろうか・・・。ばるぼらは天使と悪魔。天国と地獄を行ったり来たりできる女のはず。度が過ぎるほどに便利な世になってしまった現実に人の欲求は生きる価値を欲しがる。生きることに懸命にならないで死の意味など分かるわけはないはず。彷徨い疲れてしまうのは当たり前。そんな現代の男をなぜ表現しないのだろう。文化の上っ面を上手くすくい取ってきただけではどうにもならなくなってしまった今。手塚治は、もうどうにもこうにもならないのだ・・・と、言い切っていたのに・・・・。
監督の自己陶酔
高評価されている事にビックリ!!
まず音楽の使い方が大袈裟!ミス・マッチ過ぎて、もう・・・(-_-;)
そして演出の総てがチープで下手。出ている俳優が下手に見えてしまう程。
ヌードまで披露している二階堂ふみが不憫で可哀想。上手い女優なのに・・・
あれじゃミステリアスというより、只の馬鹿な女にしか見えない。
おしゃれっぽく演出しようとしている感が鼻に付く。
監督が自己陶酔しているタイプ。
こういう日本映画、よくあるよね。
途中の人形に惑わされるシーンがコントにしかみえないし
それが2回もあり、思わず笑ってしまった。
結婚式のシーンなんて、完全にスタンリー・キューブリック監督作品
「アイズ・ワイド・シャット」の完全パクリだし。
結局その組織もなんなのか分からず仕舞いで終わっちゃうし・・・
俺的には「何だコレ!?」って感じです。
意外と手塚治虫のエロ漫画の世界観には忠実でした‼️❓
手塚治虫は、何故か、エロ漫画も多く手掛けてます、それも、かなり際どい。
さすが、息子の監督なので、エツセンスが濃縮されてます、前半は。
二階堂ふみと稲垣吾郎は雰囲気が良く出てました、漫画の絵とはかけ離れてるけど。
マネキンの女も良い出来でした。
政治家の娘は、最近のミナマタの印象が強すぎて。
それと、映像が素晴らしい、さすが名カメラマン。
後半、間延びしたけど、前半だけなら名作かも、暇ならどうぞ。
二階堂ふみか稲垣吾郎のファンなら、必ず、どうぞ。
漫画っぽい世界観の体現は見事、中身はそんなに詰まってない
ブランデーの匂いがする様な映画。酔いしれるような画面に、堕ちていく2人がありありと描かれていく。
手塚治虫の成人向けコミックを息子の眞監督の手によって実写化。現代的な東京の中に漂う昭和な雰囲気が洒落ている。それを引っ張ったかと思えば、少し『ブラックジャック』っぽい漫画らしさを感じたりもする。点の描写が多いので、最終的な到達点を考えるとちょっと意味を捉えにくかった。
ばるぼらを演じる二階堂ふみは、堕ちていく様な役どころを多く演じているが、きちんと唯一無二の香りがするから凄い。何度も濡れ場や裸体を見せるシーンがあるが、そこに漂う幻想的な部分は美しい。しかし、サイボーグの破壊や浮かんでは消える姿など、どうも理解できないままに進むことが多いのが気になる。
稲垣吾郎の大人びたオーラは小説家のアウトローな雰囲気を帯びていてカッコいい。一瞬の油断も感じさせない、ピリッとした空気が作品の核を作っている。だからこそ、あの空気に対しての言葉が足りないと思う。
作品に引き込まれる要素は薄かったものの、作品の世界観を引き立てる幻想的な美しさは感じられた。他の作品も意外と撮っているので、観れたら観ようかな。
身内につき無罪
人を生かしめる才能のひとつに生まれがあると思います。それは正に才能です。
わたしたち庶民は、生涯を通じて、生まれも才能のひとつである──ということを、どうにか呑み込める寛容を持てるにんげんになれるように努力を重ねています。
このひとが監督した星くず~を見たことがあります。また他に、タイトルも内容も覚えていませんが、メディア化されているものを1本か2本見た記憶があります。わずかな鑑賞履歴にもかかわらず自信を持って断定しますがこのひとには映画監督の才はありません。が、すべてのぽんこつをスポイルする偉大な父親をもっています。それは正に才能です。
で、繰り返しますが、生まれも才能のひとつである──ということを、どうにか呑み込める寛容を、──と言うわけで、キムタクの娘をディスりたくなるようであれば、にんげんとして、まだまだ青いのです。
ゆうめいな舞台演出家の娘さんもそうですが、ぽんこつがスポイルされるのみならず、天才と呼ばれています。日本映画界も権威にたいする忖度で成り立っています。iocもwhoもノーベル賞も、すでにさまざまな世界的権威が、たんなる利権だと判明した今では説明しやすくなりましたが、もちろん日本映画界もばりばりの利権です。映画批評してお金がもらえるならば、わたしの飼っているハムスターだって映画評論しますよ。
ようするに、つくる人も評する人も全員が結託して映画ごっこをやっているのです。あ、これ「映画化不可能と言われた!」って言われちゃうヤツだ。すげぇなあ。やっぱ血は争えないもんだなあ。ジャズの狂騒的なひびきがカッコいいし。──と寛容をもって忖度すべきところです。
ですが、本作を見れば誰もが、想像をはるかに上回る酷さに絶句し、寛容ではない、じぶんの青さを思い知ることになるでしょう。われわれは、まだまだ修行が足りない──ということです。
しかし、いくら忖度とて、これを褒められるのは秘宝やキネマに群がっている俗物しかいません。
巨頭で寸胴で短足でリーチの短い男──だけど会長のご子息が、ボクシングジムにやってきて、ボクサーになりたいと言った。そんなかれを、世界チャンピオンだともてはやした結果、嬉嬉としてパンチングボールを叩いている。──みたいな裸の王様映画。
息子みずから手塚先生を汚す──いうなれば恩を仇で返す怪作。0点。
(映画なんて嫌なら見るな──ですが、このようにふざけたのが、まあいいじゃないですか風の評価のなかにあると、酷評レビューで突撃したくなり、毒づきながら見ます。それによって、本作は「持たざる者たちが歯ぎしりすることでいくばくかの発散ができる映画」としての価値を備えます。映画の愉しみ方はいろいろです。)
余談ですが「映画化不可能と言われた」は世界では80年代からすでに死語です。とうぜん使っているのは日本映画界だけです。
身体張ってる割に、、、。
ふみちゃんもゴロウちゃんも体張ってるのに、それほどエロく無く、ふみちゃんの底知れぬ魅力を引き出せていない
映画と言うより綺麗な映像を観てる感じ。
ふみちゃんファンとしては可哀想である。
お風呂で、、、のシーン必要なのか?
漫画の原作と比較できない。
ただ、浴槽の中のゴロウちゃんの所に行く場面と湯船に入るシーンがばるぼらでなく、ふみちゃんだったのが可愛かったです^ - ^
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