「怪獣特撮の歴史の果て」ゴジラvsコング はりぞーさんの映画レビュー(感想・評価)
怪獣特撮の歴史の果て
今作はこの映画単体では語れない、日本の特撮の歴史の中で東宝特撮班を始めとする数多くの映画関係者が挫折をした歴史の上に生まれた一つの答えである。
1954年初代ゴジラが公開され、爆発的な人気となり、怪獣ブームが訪れた。それを決定付けたのが本作の元ネタでもあるキングコング対ゴジラ(1962)である。その頃から東宝はゴジラを子供たちのヒーローとして描くことを画策する。
子供たちのヒーローとして描くとはどういうことかというと、単純な正義の味方ではなく、学校で子供たちがごっこ遊びをするということであり、そのために格闘シーンが必要だということである。その結果生まれたのが、三大怪獣 地球最大の決戦(1964)での岩投げシーンであり、それがエスカレートして悲劇を生んだゴジラ対メガロ(1973)のドロップキックである。
ゴジラで格闘シーンが撮れないと悟っていた円谷英二はそうそうにウルトラマンを作り出し、その後の平成ゴジラシリーズを手掛けた川北紘一は格闘シーンを撮るのを諦め、熱線による戦闘演出を極限まで極めた。
いつしか怪獣ブームはさり、ウルトラマンと仮面ライダーに子どもたちの人気は移り、怪獣は大人になれなかったおっさんたちだけの人気に支えられ、エンターテイメントのメインストリームから外れていった。
前述したことについて異論はあるかと思いますが、平成ゴジラシリーズすら終了した1993年生まれの僕のような若輩怪獣オタクが歴史を調べ学んだ一つの真実だと考えます。
さて、ようやく本作の話に移ると、本作のゴジラは圧倒的格闘戦をコングと繰り広げる。尻尾を自由自在に使い、時には蹴りを入れ、挙句の果てには背負い投げまで見せる。ここぞという時に熱線を吐きスクリーンを彩る。これぞ!これこそが昭和の特撮でみんなが見たかったことじゃないのか!?当時を知らない僕がこんなことを思うのはちゃんちゃらおかしなことだとは思うが、その願いにも似た感情がせり上がってきた。
怪獣プロレスの前では人間ドラマなどとるに足らない些事。これまでのモンスターバース作品でよく言われた人間に感情移入ができない。評論家たちがこぞって使った魔法の言葉。今作ではそんな言葉が一切なかったかのように人間が舞台装置としての機能しか持たされていない。ゴジラとコングが戦うための最高の舞台を作り上げるためだけの舞台装置だ。潔い。まるで人間に感情移入できないなら怪獣に感情移入しろとでも言われているみたいだ。事実ゴジラに負け、踏みつけられ、泣きそうになりながらも必死の咆哮をあげるコングには心が揺さぶられた。
終盤のメカゴジラの登場も上手い。ゴジラに負けたコングがとどめを刺し花を持たせる終わらせ方も粋である。なによりメカゴジラが圧倒的にかっこいい。
まだまだ、言い足りないことはあるどけとにかく最高だった。シンゴジラ以降日本ではゴジラが舞台装置になった作品が目立った。最近のゴジラSPなんかがそうで、あれはあれでめっちゃ好きなんだけど、ド直球の怪獣映画はやっぱりいい。
93年生まれでいらっしゃるのですね。考察、感心致しました。
てっきり同世代のレビューかと思って拝見していました。
70年代に子供をやってました自分としては「75年にはすでに大怪獣の時代は終わっていた」と感じてます。
ゴジラだガメラだ言うのは、1番若くても二十歳を越えている人達ばかり。
仰る通り、ウルトラマン、仮面ライダー、そして何よりゴレンジャーにどっぷりでしたよ(笑)
(ウルトラマンはレオまで。仮面ライダーはストロンガーまで。以降の作品は「別物」と感じてました。)
平成ゴジラは(昭和末のビオランテ含め)「伝説と化した大怪獣人気」を復刻させようとして、結局失敗したムーブメント、という気が致しましね。ウルトラ怪獣の人気は根強かったですが、ゴジラ達の名声は「実態を伴わない過去の幻影」だったんです。
(私より一回りから20歳上の「リアルゴジラ世代)は、また違う感慨抱いているかもしれませんが。
フォローさせて頂きますね。
またレビュー楽しみにしています。