「時代を切り取った群像劇」フロントランナー コージィ日本犬さんの映画レビュー(感想・評価)
時代を切り取った群像劇
『JUNO/ジュノ』『タリーと私の秘密の時間』のジェイソン・ライトマン監督作品らしい、つかみどころのない作品。
主人公は確かにヒュー・ジャックマン演じるゲイリー・ハートなのですが、選挙参謀や不倫相手の女性、新聞記者など、視点がくるくる変わっていき、誰にとっての話なのが見えてこない。
というか、群像劇になっている。
1984年の大統領選までは、政治家のプライベートは詮索されなかった。
しかし、1988年には、世間の目は政治家に清廉潔白さを求め、また政治家のゴシップもワイドショーやパパラッチの対象になっていった。
この映画では、そんな「時代の変化」そのものを描いていた。
「マスコミの在り方は本当にこれでいいのか?まずいんじゃないか!?」
「マスコミはこういうのものだ!これでいいのだ!」
という否定と肯定。と同時に、
「政治家は不誠実ではいけない!」
「政治家の仕事とプライバシーは別であるべきだ!」
という否定と肯定。
どちらの解釈も、本作からは読み取ることができる。
実は正義を語るのがこの映画の目的ではないように思う。
誰の視点で見るか、ということ自体を観客に委ねる作りになっているのではないか。
1988年以降、今も連綿と続く「大統領選が人気取りイベント化」したことへの疑問と、言動の怪しい自己利益優先のビジネスマンが大統領になった現代において、アメリカの有権者一人一人への「政治というものはどういうものなのか考えてほしい」というメッセージではないか、と思った。
ゆえに、日本じゃこれ受けないだろうし、これを面白いと思える文化的土壌はないんじゃないかな、とも思ったりもし。
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