劇場公開日 2019年9月27日

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「かけがえのない誰かの幸せを願うこと」惡の華 grantorinoさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5かけがえのない誰かの幸せを願うこと

2019年9月27日
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地方の町の閉塞感。
それを感じることなく暮らせていたらどんなに幸せだったかと、地方出身の私自身が強く思うことがある。
都会と地方の違いは何かと問われれば、その町(もしくは街)が受け入れられる人間の多様性の差だと思う。
都会は多様な人間を受け入れる(飲み込む)が、地方の容量は小さい。
少なくとも、そのように私は感じていた。
誰一人として同じ人間はいない。
だから皆、皆の顔色を伺い、皆に合わせて生きている。
それは都会でも同じかもしれないが、そこに馴染めなかったとき、そこから排除されたとき、地方では次の行き場を失う。
田舎の人が比較的親切なのは、その場から排除されないよう他人に親切にするという、その切実な行動が骨の髄まで染みついたための行動だとすら言えると思う。
この映画はそんな地方の空気感に馴染めず、居心地の悪さを感じている2人が出会う話だ。
その関係は主従関係のようにも見える共依存であり、お互いの中に自分を見出していく。
閉鎖的な社会の中で幸せな(幸せそうに見える)人達を憎み、軽蔑することでお互いの存在を確かめ合うが、一方でその社会でのお互いの幸せを願わずにはいられない。
彼らの行いは褒められたものではないし言葉も汚いが、その関係性はどこか美しい。
かけがえのない誰かの為だけに行動する美しさがそこにある。
失敗しないように、つまらない人生を送ることで安寧を得ようとする大人達を尻目に彼らは暴走していく。
その暴走は破綻に向かうが、その感情がまた次のかけがえのない誰かと繋げてくれる。
結局のところ、失敗してもそこからも人生だし、単なる失敗は存在しない。
大切のなのは、隣にいてくれるかけがえのない誰かを抱きしめて、彼・彼女の幸せを願うことだという力強いメッセージを感じた。
私自身恥ずかしい思い出はたくさんあるが、そんな昔の自分を優しく抱きしめてくれる作品。
今、思春期で思い悩んでいる人も、昔悩んでいた人も皆に見て欲しい。
きっと明日から生きていく活力がわいてくると思う。

玉城ティナ、伊藤健太郎は中学生に見えなかった。
それがノイズにもなりうると思う。
というか、私の知っている田舎には玉城ティナはいない。
だが、この映画は玉城ティナの上目遣い、下目遣いなしでは成り立たない。
それほどに圧倒的な存在感。
だから中学生設定の方が寓話性が高くなって玉城ティナが輝くのかとも考えた。
映画のバランス感覚って難しい。

grantorino