「異世界もの」スカイハイ 劇場版 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
異世界もの
猟奇殺人事件から始まるこの物語は、主人公の結婚式で新婦が同じ犯人によって殺害されるという極端なプロットを仕込みつつ、それがミステリーではなく、ホラーでもなく、完全な異世界ものとして描いている。
2003年公開されたこの作品、20年以上前に考案された物語を考察したいと思った。
今ではポピュラーになった異世界ものというジャンルだが、この作品の前には「里見八犬伝」があった。また山田風太郎さん、夢枕獏さん等々の作品もまた異世界ものに分類されてもおかしくはない。
この作品はもしかしたらフランシスコッポラ監督の手掛けた「ドラキュラ」に構造が似ているのではないかと思った。悪魔の門が開かれる前の出来事がこの作品で描かれ、その後がドラキュラの世界だ。
そのように見ると、神や悪魔、天国や地獄世界には割と一貫した世界的思想というのか考え方があると思われる。作品作りにそれらを抽出したと考えられる。
そして20年前に「正しい」と考えられたのがこの作品で描かれていることだ。
特徴的なのはこの世界での行いが死後を決めるということと、起こることは変えられないという概念を出していることだ。
その中でも特に主張されているのが、人を殺せば地獄で、自殺しても地獄だというメッセージだ。
絶えず起きている事件や自殺に対する社会へのメッセージが込められているのがよくわかる。
また、この世とあの世のことを提言しながら、「人は変われるものよ」とか、「生きている意味」について問うている。そこに「起こることは変えられない」や「選択させる」という概念が混在し、言葉だけ紡ぎだせばどれを信じていいかわからなくなる。一見正しいような言葉だが矛盾に満ちている。
つまり、たくさんあるメッセージの中から選択しなければならないというのが、この作品が仕掛けていることなのかもしれない。
サスペンスから異世界物語に移行するまでのプロットが畳みかけるように進行するが、伏線の回収が早すぎ、取って付けた感が否めない。当時のこの反省が今の邦画に活かされているのがよくわかる。
「過去と未来どっちがいいと思う?」というセリフがあったが、「いまここ」という概念がまだなかったということも面白い点だった。
異世界の中での矛盾も多かったが、若者たちに向けたメッセージ性の強さと、当時であってもそのエンタメに対する思いの強さが感じられた。
タイトルに込められた意味は文字通り「若者よ、天まで届きそうな志を持って生きろ」というところだろう。主人公が海辺ではめた指輪と青空。戸田菜穂さんはどこへ行ったの? と言いたくはなるが、その「細部」が20年前なのだろう。この中途半端さが当時の最高峰だったと思っていいのだろうかと感じたと同時に、普遍的メッセージを異世界から届けるという貢献もしていてよかった。