「前作を否定するアニメ史上に類を見ない愚作!2199のときの古代進が観たい!!」宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第七章「新星篇」 Tatuhikoさんの映画レビュー(感想・評価)
前作を否定するアニメ史上に類を見ない愚作!2199のときの古代進が観たい!!
2202は前作2199の続編ではありません。
なぜなら本当の続編は、前作の設定を生かしリスペクトして、初めて続編と呼べるからです。
例えばドラゴンボールGTは前作Zからスタッフが大幅に入れ替わり作られますが、前作Zへの愛に溢れ前作Zファンが見て幸せになれる作品でした。
しかし2202は最初から、前作2199とファンを否定した。
その証拠に副監督が、2202は前作2199を否定する作品である、と呟いています。
「2199のマインド(唆す輩もいて、作り手の中に発生してしまった理念)からの脱却」だと。
しかも『宇宙戦艦ヤマト2199』公式コミカライズ!を中止させた、そのことも呟いています。
「主要キャラのネタバレ(2199とも2202とも違う)的な話が出るのをやめてもらったらこれも騒ぎになったな」と。
要するに、2202は前作2199を否定する、そのために生まれた作品です。
それは、上の副監督の呟きに、ちゃんと表れている。
2202を好きな人も、2202が前作2199をファンごと否定した作品である、そのことを忘れないでください。
これまでもヤマトファンは、あれこれ別れてきた歴史があります。
さらば以降も、作品への評価の違いから、ヤマトファンが別れました。
前作2199も、最初のヤマトへの解釈の違いから、ファンとアンチに別れました。
でも出渕監督は、前作で最大公約数のヤマトを作ろうとした、その姿勢に嘘はありません。
そして2202以外の他のヤマト作品が、ヤマトファンを否定したことも、一度もありません。
しかし2202は違います。
最初から前作2199ファンを否定し、2202ファンだけをヤマトファンと呼び、それ以外のヤマトファンの全てを否定します。
それは2202全体を見れば判ります。
旧作の名セリフを、不必要な場面で意味もなく、ただ使いまわしする姿勢は、本当に不愉快です。
前作2199で知性や生き方に共感できた同じキャラ達が2202では全くの別人、それも頭のネジが抜けて知性も生き方も劣化した全くの別人の姿は、見ていて本当に悲しい。
例えば前作2199の古代進は、メルダに銃の携帯は砲艦外交と同じだと指摘され、それを受け入れてメルダの前に銃を置き、相手と対等の交渉する姿勢を見せた。
そのシーン一つとっても、古代進がガミラスと協力しなければ次元断層から抜けられない現状をちゃんと把握し、相手の知性と指摘を認め、交渉を成功させるために行動できることを示した。
対する2202はどうでした?
今回、冒頭でのミルに対する古代進の行動は、前作2199で示した古代進の行動と似て全く非なる行動であり、前作2199の古代進なら絶対に銃を捨てないでしょう。
それこそさらばや2での古代進が、デスラーに対峙して銃口を下げなかった様に、ミルに向けた銃口はミルが銃を降ろさない限り向け続けたと思います。
まして今回の古代進はミルの後ろを取っているのだから、ミルに対し銃を捨てることを要求するのが、本当に知性のある者の行動でしょう。
ところが2202の古代進は、ミルに銃を持たせたまま自分の銃を捨てた。
これは状況判断もろくに出来ない、まさに知性の欠片もない狂人の行動です。
このシーン一つを見るだけで、2202が前作2199の続編である可能性はゼロでしかなく、前作2199古代進と2202古代進は全くの別人、それも2202古代進は非常に劣化して指揮官が務まる人物とは思えません。
つまり、2202は前作2199の続編ではありません。
だから、ちゃんとヤマト2199設定を引き継ぐ、本当のヤマト2199続編を作って欲しい。
なにもさらばヤマトにする必要はありません。
なにも出渕監督にこだわる必要もありません。
いきなり時代が2222に飛んでもかまいません。
もちろん時代が2192に飛んでもかまいません。
本当のヤマト2199の続編またはスピンオフで、2199のときの古代進や沖田艦長や土方司令が観たいです。