「2202古代は雪に真実の愛を抱いていたか?」宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第七章「新星篇」 レヲンさんの映画レビュー(感想・評価)
2202古代は雪に真実の愛を抱いていたか?
ストーリーの流れには制作者、観客それぞれに想いはあるにせよ、ラストバトルで雪の特攻同行を古代があっさり許可をしたことに眩暈がした。
これはダメだ。
さらばで雪の亡骸と共に「雪。僕たちはこの永遠の宇宙の中で、星になって結婚しよう。これが二人の結婚式だ。」と旅立ったのとは違う。
2202雪は生きている。であるならば、古代は何があっても雪をヤマトから降ろすべきだった。愛しているから心中しようなんて身勝手さのどこに真実の愛があるだろうか?
その後も引金に拘り古代は帰還を拒む。
しかしスターシアに波動砲、コスモリバース武器化を含め謝りに行こうという発想はない。
古代は、引金がと駄々を捏ねて雪を拒絶する。
雪だけでも生還させようとは思わない。
しかし雪の度重なる愛情ある説得でようやく立ち直る。
2202古代に、雪への真実の愛はあったんだろうか?
私がスクリーンで確認したのは、雪を守っていこうという覚悟ではなく、ウジウジしてる古代に雪が一方的に愛を注ぐ、母親と子供のような愛だった。
福井氏は、本当にこれが真実の愛だと思っているのだろうか?
男は小さくつまらないプライドに拘り、女性はそんな小さい子供のような男に無尽蔵の愛を注ぎ込む。
それが福井氏にとっての愛の形なのだろうか?
たしかに古代にとっては雪は死んだり生き返ったり記憶喪失になったりで、トラウマは大変だっただろうし、引金含めプレッシャーで精神的に病んでいても不思議ではないと思う。
もし雪を愛したら蜃気楼のようにその幸せは消えてしまうのではという恐れはあったかもしれないが。
2202古代はあの時点で精神が壊れていたのではないか?
そして福井氏は病んだ男を癒す女性の大いなる愛こそ、現代の真実の愛と言いたかったのかもしれない。そんな依存ありきの愛など、まったく同意できないが。
制作者側が、これが真実の愛ですと提示した後に名曲「ヤマトより愛をこめて」がEDに流れる。「その人の美しさが星に勝るなら 君は手を広げて守るがいい」の歌詞が虚ろに響きながら。
2202古代は、雪の何を守ったのだろうか?