岬の兄妹のレビュー・感想・評価
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倫理観が、価値観が揺さぶられる。胸ぐら掴まれたみたいに生を突きつけられる。
岬という場所は、生と死が入り混じるところと言われる。それがこの兄妹に当てはまるのかどうかはわからないが、少なくとも彼らが極限生活を余儀なくされることだけは確かだ。金もなくなり、保護も受けられず、ガスや電気も止まり、やがてティッシュを食らう。もう一歩進めば確実に死が待っていたはずだ。
彼らは終止符をただ素直に受け入れることはしない。それが倫理に反すること、それを侵すことで人間以下の存在に成り下がることを覚悟の上で、絶望と悔しさの悲鳴を上げながら、それでもどうにか生きようとする。これは何かを糾弾する映画でもなければ、ましてや万人の心を和らげる映画でもない。ある意味、ギリシア悲劇のごとく、考えうる究極の一線を越えながらただひたすらもがき、生きようとする兄妹の物語だ。易々と人にオススメはできないが、それでも胸ぐらをつかまれたみたいに生を突きつけられた。見る側の心に何が芽生えるのかを問われる一作だ
人間への深い愛がある
今村昌平の映画のようだ。あけすけに人間の見にくい部分を暴き出すが露悪的ではない、むしろここまで見つめることができること自体に、人間への深い愛情を感じる。綺麗事を吐くの簡単だが、人間には見にくい部分が必ずある。そこに目をつぶって、キレイなものだけ見つめる輩とこの映画の片山監督のように、醜悪さもしっかり見つめる人とどちらが、より人間を愛していると言えば、断然片山監督のが人間を愛していると思う。
困窮する生活、自閉症の妹に売春させる兄、売春の相手も社会の「底辺」にいるような人がほとんどだ。しかし、臭いものに蓋をすべきではない。現実にこういうことは存在している。
2人は貧しいし惨めかもしれない。しかし、不幸かどうかはわからない。人の幸せを勝手に自分のモノサシで測ってはならない。のんきに現代社会を不自由なく生きている人間には、持ちえないモノサシで彼らは生きている。これぞ価値観の多様性である。
ビックマック映画NO1
この映画を四文字で表すと おもおも
誰か死んだり殺人事件が起こるわけでもないのにおっもい
ただ主人公が可哀想とは決してならないのもこの作品
強いものには媚びへつらい、弱いものには強気にいって、同級生とは対等でいようとする浅ましさ
しまいにはうんこ投げる
うんこ投げんな
今まで生きる象徴として、食事や性行為などはよく見たけど排便で表現するのははじめて見た
うんこしてる時、生きてる〜って感じたことなかった
妹の買収を決心したものの断られたりボコされたり、一筋縄でいかないのが意外というかなんとも言えない
成功してほしくもないし、、、
そこから味を占めて、いつしか生きるために必要なことと正当化するようになったグラデーションも見事だった
ハイライトはティッシュを食べる生活をしていた兄弟が、最低なお金でビックマックを食い漁るシーン
壁に貼り付けた段ボールを剥がし、ここにいるぞと存在を証明するシーンが良かった
ポンさんの助監督やってただけの事はあるね🔥
良い意味で日本映画っぽくないんよな!
綺麗事ばかり見せるマイナスゴジラみたいな作品もあるけど正に対極なんだよなあ🤓 別に媚を売って興行的日本儲けてやるって感じが一切しないのも好印象だし
この後に さがすを作ってガンニバルって天才肌の人だし信用できますね😇😍🥰😘
良さが微塵たりとも分からない
※個人的感想です。
それなりの本数の鬱映画を観てきたが、これはただただ気分が悪い、食欲が低下する映画。
足の不自由な兄が自閉症の妹の身体を売って必死に生にしがみつく・・・
うーん、自分に縁がない世界の話だからだろうけど一切共感しえなかった。
あんな感じの妹の姿を見て、いくらいろんな人間がいるからって客は1時間1万で買うか?って感じた。率直にね
生活保護もらえばいいのにって思ったw
"スタートに戻る"
死ぬまで延々と続くような地獄のような毎日
再び雇われてもまた首を切られるだろう
ラストの呼び出し音は2周目の合図か
でも人は老いる
遠からず破綻する地獄
地獄の底が抜けた時やっと二人に安寧が訪れるのかもしれない
役者としては和田光沙は確かに外せない
ここで見せた演技は他の作品で見ることはないだろうと言えるくらいの役は残すが和田光沙は残さない
マトリョーシカも出演も映画のエンドロールで名前を見て気づいたしビリオンスクールの保護者役も迫力ある演技で…少し和田光沙を隠せなかったかも笑
あと、短い出演時間ながら、中村祐太郎の演技は忘れられない
矮躯故に出番は限られるかもしれないが、"普通の"作品での演技を見てみたくなった。
貧困も障害もあるが、何より要領が悪いと生きてけない
見てて苦しい。胸が痛む。現実的。痛い生を実感させられる。
しかし、良心が痛まない障がい者の妹はどこまでも純粋。悪いことをやってるとは思わない。一方で兄は罪悪感や恐れが強いけど、生きてく要領は悪いし、商売もあんまり上手くない。なんだか皮肉に思う。映像も生々しい。でも目が離せないというか、惹きつけられる。
切ねえなあ
クソ警察官ヤローも兄も最悪だよ
もっといい世界線あるだろ
何かしらあっただろ、無能警察、無能兄。
こういう近しい事、現実世界にもあるんだろうなって思ってしまった。
いい気分にはなれないかな
他に感想もない切ないなぁくらい、、以上!解散!
これまた雰囲気映画…
映画評論家の方々がこぞって高く評価しておられましたし、題材としても惹かれる物はありましたので、満を持して見させて頂きました。
僕個人の映画に対するハードルを上げすぎたのでしょうか。近年でよく作られる、「社会に見放された弱者」系映画ですね。これといって突出したストーリー性も無しに、牛歩で場面が進んでいきます。
リアリティというか、感情の繊細さが微塵も描かれていませんでした。役者さんの演技で補っている印象ですね。
兄が妹を“使って”金儲けをするという題材で、兄にも妹にもヘイトが向かいすぎないようにしなければならないと勝手に僕自身が思っているのですが、にしても兄の苦悩も妹の苦悩も薄っぺらく感じてしまいました。
確かに、兄は身体障害者、妹は知的障害者、という社会的にはハンデと言われる特性を持ち合わせていますが、これは現実の話ではなく映画の話です。映画としてのキャラクター性に欠けていると、何故か感じてしまいました。
もう少し兄が幼少期に感じているトラウマだったり、妹の介護をしなければいけない苦悩であったり、そこら辺の“どうしようもない苦痛”を描きたいのであれば、感情移入がしやすい映像描写がもう少しあっても良かったのかなと。
何を伝えたくて描いているのか分かりません。
同じ系統の映画で言えば、佐藤二朗監督の『はるヲうるひと』がありますが、断然あちらの方が登場人物の心理描写は細かく、繊細に描かれています。そして、人生とは何なのかを丁寧に問いかけられていると思います。
この映画は少しも、その問いかけが無かったように感じてしまいました。監督の自慰作品の様な気もします。
これを「深い」と言えない自分は『映画好き』と語れないのでしょうか😭
世知辛いです😭
人間の根源に焦点をあてた作品
修正
私のフォローするお一人から、この作品と「さがす」の監督が同じことを聞き、あの「さがす」という作品の緻密な設計を鑑みれば、この作品にもそれが隠されているはずだとこの作品についてしばらく考えていたが、私の捉え方が間違っていた。
この作品が何を伝えたかったのか?
それは、
人に必要とされる喜びと、必要とされなくなった寂しさ
これを表現するために障碍者を設定したのではないだろうか?
岬の先に立つ妹
彼女を追いかけて叫ぶ兄
風と波の音でかき消され、妹にその声は届かない。
しかし突然着信した携帯電話の音
妹がその音に気づき振り返る。
兄は電話を取りながら振り向いた妹に驚いたのは、単純に妹の欲求からの反応だったのだろう。
しかしその欲求は兄の考える性欲ではなく、あの小人症の客を待っていたわけでもなく、純粋に、自分を必要としてくれる人を待っていたのではないだろうか?
言うことを聞かないからとか、人と同じことができないからと言って自宅を牢獄状態にされていた妹が望んでいたのは、性欲でも食欲でも睡眠欲でもなく、他人から必要とされたかったのだろう。
口では何でも言えるが、障害者の心に寄り添うことのできる人は驚くほど少ないのだと思う。
監督は「そこに気づくことができますか? 障碍者は本当は何を欲しているのか知っていますか?」と視聴者に問いかけているのだと思った。
元のレビュー
見たくない…作品。
見るのをどうしても敬遠してしまう精神疾患を持つ人の物語。
足の悪い兄と精神疾患の妹の二人暮らし。誰が見てもどん底生活。
父はずっとまえにいなくなり、母も二人を捨てたようだ。
妹はふらふらとどこへでも行ってしまうことで、兄が仕事に行くときには妹を外カギと足かせで犬のようにつないでいる。
この妹という人物の心理状態に、人間の根源を重ね合わせ焦点を当てた作品。
この背後にある人間の三大欲求 食欲 睡眠欲 性欲 これで欲の99%が満たされる。
造船所のリストラで食うに食えない生活が始まってしまう。
やがて兄は妹に売春させる。妹は人間の欲求を満たされ満足するし、お金も入ってくる。
客はトラック運転手から始まり、ヤクザ、高齢者、独身者、そして中学生まで広範囲だ。
中でも小人症の客は彼女を贔屓にしてくれた。
しかし、妊娠していることがわかる。
兄の想いは中絶だが、そこに掛けるお金が惜しい。
ダメもとで贔屓客に妹と結婚してほしいとお願いするが断られる。
この場所に一人でやってきた妹は、「仕事」と大暴れして言うことを聞かない。
妹のそんな様子に言葉を失う兄。
そこにやってきた造船所に戻る話。兄は「お前らの所為で俺がこうなったんだ」と喚き散らすが、それは反応で、造船上の上司を見た妹がその上司と「仕事」をすると勘違いした行動をとったからだ。
夢の中で突然足が治る夢を見る。それが夢だとわかり水を飲み、妹の大きくなった腹にコンクリートブロックを投げつけようとするが、それさえできないことに消沈して泣きじゃくる。
目を覚ました妹は兄の様子を見て、自分が一番大切にしている貯金箱を差し出した。
妹に中絶させる兄。
造船所に戻ったある日、また妹がどこかへ行ってしまう。
ほうぼう探し、岬の先で妹を発見する。
妹に呼び掛けても妹はずっと海を見つめている。
そこに電話がかかってくる。
電話の音に反応してゆっくりと振り返る妹。
その反応に兄が驚きの表情を浮かべてエンドロールとなる。
マリコは、売春することで人が喜んでくれることを知った。それが同じ男で、しかもマリコの気持ちに寄り添うことができる男が、この世界にいることを知った。
彼といる時がマリコにとって一番幸せな時間。彼に呼ばれなくてもそこに行きたい。
やがて中絶と、もう「仕事」がなくなったことで、マリコの中には大きな喪失が生まれる。
あの男とも会うことはできなくなった。
それはおそらくコンクリートブロックを持った時のヨシオの心境と近しいものだったのだろう。マリコは朦朧としたまま雨の中、岬の先に立つ。
耳に届くのは波と風の音で、ヨシオの呼ぶ声などはそれにかき消されてしまう。
そこに聞こえてきた懐かしい着信音。
マリコにとって希望の音色。
それに反応したマリコを見て愕然となるヨシオ。
この作品を直視することに抵抗がある。しかし、人間の根源的欲求は抑えることができないことを示している。
この事実を精神疾患者を通して描いている。
しかしマリコの様子から感じるのは、性欲そのものではなく、好きな人に会いたいとか、その人を喜ばせたいという無償のものだ。
その無償を感じたとき、この社会がマリコにとっていかに不条理な世界なのかを感じ取ることができる。
作品の中に精神疾患者が登場するのは多いが、端然と彼らの心情に焦点を当てた作品は少ないように思うが、これはそこに焦点が当てられているすごい作品だった。
目を反らすべきではないが答えもない
倫理だとか理性だとか法律だとか正しさだとか…生きる上で守ることが出来るのは幸運だ。
この映画に救いはない。
生きることは難しい。正しく生きることは尊いが、正しくないことを否定することは乱暴ではないか。
読後感のよいものではないし、見た人に大切な問いを投げ掛けてくれるが、答えなどないし、その問いから目を反らすことも、また許されるべきだと思う。
この映画は兄と妹がただ生きることを描いている。
救い用のない兄と救われない妹。
愚かであることは罪か。人並みの幸せを得られないことは悲劇なのか。悲劇を前に手を差し伸べないことは非難されるべきか。
私は目を反らす。そこに闇があることを知りながら、見ない振りはせず、凝視しながら目蓋を閉じる。
私は罪人として生きていく。
河童の国
芥川龍之介の「河童」には以下のくだりがある。資本主義社会の河童の国では労働者が資本家に搾取され、用無しになった労働者は殺されて肉として食われるのだと。それを聞いて驚く主人公に河童は言う。君たちの国でも同じく社会的身分の低い女性が売春させられているだろう、搾取の構造は人間社会も変わらないだろうと。
貧しく金に困った良夫はやむなく自閉症の妹に売春をさせて金を稼ぐ。なんの力もない彼らに唯一稼げるのが売春という方法だった。
資本主義社会では金になることならなんでも商売につなげる。女性が体を売るのもこの世界では自明の理とも思われた。
金を稼げるようになった良夫は目隠しのボール紙を引っぺがす。たとえ売春という方法であっても自分たちは稼いだんだ、この資本主義社会で一人前に稼いだんだと。障害者だからといって何も恥じることはないんだと言わんばかりに。
新自由主義により行き過ぎた資本主義社会では人間の価値は生産性により判断される。良夫自身もこの生産性を叫ぶ社会にどっぷり毒されていた。
金を稼げるようになったとはいえ、妹に妊娠までさせてしまい罪悪感にかられる良夫。追い詰められた彼は心中まで考える。そんな彼に貯金箱を差し出す真理子。彼女も兄のつらい気持ちを理解しているのだろうか。
運よく職場復帰できた良夫。兄妹は元の平穏な生活を取り戻したかのようだった。しかし、兄の呼びかけには無反応な真理子が携帯の着信音に反応するという皮肉なラストで本作は幕を閉じる。
無垢な幼児の心しか持たない妹を売春させねば生きてゆけない貧しい兄妹の姿。この社会でその搾取される姿を通して、資本主義社会、生産性を叫ぶいまの社会を痛烈に風刺した本作はまさに河童の国という架空の世界を描き、当時の日本社会を風刺した「河童」と同様の作品だった。
賛否両論だなほんとうに
社会保障の観点からするとそこまでは非現実的ではと思わされるが、実際国からすすんで助けにこない現実もある。
脚本とか色々分かれるんだろうけど
とにかく演者が凄く良かった。
星5なみの星3だけど星1なみの星3でもある気がします。
西原理恵子の絵柄の方が
安っぽい映画かと思いきや、ベッドシーンであんな演出するなんて、片山監督流石です。
自分は妹いないんですけど、兄の複雑な気持ち(特に性的な部分)はよーく理解できる気がします。のめり込んで観ちゃいました。
ちょっと不必要な比較でしょうけど、物語の舞台が似ている西原理恵子の「ぼくんち」みたく、あのくだけた絵柄で表現した方が逆に染みるのかなと。実写のままだとハードすぎるのをマイルドにしてくれるから、自分は漫画やアニメが好きなんでしょうね。
辛い映画
自分は足が不自由、妹は自閉症。生きていくには大変です。妹に売春をさせる兄、確かに良くないことだけど、実際仕事を解雇され、ティッシュの内職だけで生活できるわけはない。友達に「お前は足が悪いんじゃない、頭が悪いんだ」と怒られていたが、確かに、行政の助けを借りるなり、家で出来る仕事も今の時代あるだろう。でも、そういうことを助言してあげる誰かが周りにいなかったことも悲劇なのか。
チェンジを要求されたり、中学生とのやりとりやら笑えるところもあったりしたけど、重ーいテーマを抱えた辛い内容でした。
体が悪いのぢゃない。只運が悪いのだ。
内容は、板野家の生き残りチンバの兄シゲオとハクチの妹マリコが岬近くの借家での筆舌に尽くし難い生活を映像化した昭和の色彩を感じる事の出来る胸詰まる苦しさが見応えのある作品。印象に残った言葉は『逃げないで』産婦人科で堕胎手術を受ける時にDr.が呟く言葉。生きたいと云う気持ちと生きたくないと云う気持ちが映像と台詞でテーマとして伝わってくる。印象的な場面では、クローズダウンで浜辺を低いカメラで3人を押さえながら引いて写すシーンが非常に冷たくて人の内面を表す様な表現は素晴らしい。世間は冷たくも温かくも無く感じる人次第だとは思いますが、その世の中で家族の複雑さと温かさを感じる人間の矛盾が表現されている所は脱帽です。売春を斡旋する兄も妹を性的に見て居た過去を隠しながらも面倒見ようとする呪いにかけられ、売春で出逢う同じ障害者同士の内集団との関係は絶妙で、役者さんの兄と妹役の表現力の凄さには驚きます。岬と云う生死の狭間で生きようとする人々には目を見張るものがあります。物語の最後妹が岬に立ち振り返る時の表情と電話をとる兄の表情には幸せとは言えない刹那的な絶望が胸を打ちました。短い尺の映画ですが非常に人間の矛盾を的確に描いた面白い映画だと思います。でも見た後は元気でないなぁ。
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