「怪異vsテクノロジー」コンジアム 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
怪異vsテクノロジー
POVのホラー映画がなぜ怖いかというと、視点がカメラマンの持つハンディカム(あるいはiPhone)に局限されているからだ。POVという手法そのものが怖いのではない。それによって視覚を極端に限定されてしまうことが怖いのだ。転じてホラー映画において視点(=カメラ)の数はそのまま安心の強度といえる。
YouTuberを生業とする本作の主人公たちは過剰とも思えるほどに大量のデバイスを山奥の廃病院に持ち込む。そこを探検する光景をライブ配信することで、スポンサーから莫大な資金を得ようという算段だ。彼らはより面白い画をより効率的に収めるべく、自分たちの身体のみならず廃病院の至るところにカメラを張り巡らせる。
こうして廃病院はあっという間に無数の視点によって完全に囲繞される。これは恐怖に対する人間理性の勝利宣言だといえるだろう。恐怖が視覚や聴覚を制限されていることからきているのなら、制限されている部分を機械に補完してもらえばいいだけの話だ。
加えて、廃病院にはスタッフたちの手によっていくつかの「演出」があらかじめ仕組まれていた。要するに閲覧数を稼ぐためのヤラセ。さて、ヤラセというのは恐怖を軽視しているからこそ可能な芸当だ。カメラの多さに対する安心感もあってか、YouTuberの若者たちはそもそも恐怖心に乏しい。
全体をくまなく見通す視点の存在と、恐怖の軽視。YouTuberたちは最新の技術と軽率なメンタルによって最恐の心霊スポットと恐れられる廃病院を単なる観光地にまで後退させかける。また彼らのヤラセを交えた心霊スポット紹介は案の定インターネットを席巻し、途轍もない閲覧者数を叩き出す。企画者の男は野営のモニタールームの中で遠からず懐に入るであろう莫大なスポンサー料を思いほくそ笑む。
しかし事態は次第に不可解な様相を呈しはじめる。ヤラセに過ぎなかったはずの怪異はいつしか本物のそれに取って代わられ、廃病院の中のYouTuberたちを苦しめる。彼らはパニックに陥り、当初の「脚本」も無視して各々好き勝手な行動を取り始める。このあたりのくだりは『バトル・インフェルノ』を想起させる(しかし本作のほうが1年ほど先に公開されている)。
空想と現実の混線というトピックはセルバンテス『ドン・キホーテ』の頃より幾度となく繰り返されてきたものだが、それを現代的に翻案すると怪異vsテクノロジーという対立軸が析出するのだろう。しかし混線が生み出す狂気にたった一人で立ち向かったドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャに比べ、ひたすら逃げ惑う以外になす術のない現代人の弱々しさよ。序盤ではあれだけ余裕を見せていたYouTuberたちは、持っていたカメラも放り出してみな恐怖に怯えだす。その精神の亀裂を見逃すことなく、怪異は一気呵成に彼らを追い詰める。
主人である人間たちがことごとく発狂し、その手綱を握る者がいなくなった無数のカメラたちは全能の視点であることをやめ、それどころかむしろ見たくもない惨劇を次々と画面上に露呈させる空洞と化す。…というのはさすがに言いすぎで、終盤は割と手垢のついたジャンプスケア演出が多かったなあという印象。倒れた定点カメラとか、頭から外れたヘッドカメラとかいった、主人不在のカメラたちを通じて恐怖を演出したほうがよっぽど怖かったんじゃないかと思う。人間の傲慢さと無力さをもっと前面に押し出してほしかった。
とはいえ本作のゼロ年代インターネットカルチャーを想像力の源とした恐怖造形の確かさには大きな拍手を送りたい。ランク付けされた心霊スポットとか、胡散臭い逸話とか、黒目が極端にデカいバケモノとか、あったよな~そういうの。韓国でも同じような感じだったというのが面白い。