僕たちは希望という名の列車に乗ったのレビュー・感想・評価
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これが現実の話なんて
高校生達が何気なくとった行動が、どんどん波紋を呼んでいく話。
粗筋を読んだ時にどうかなあ?と思いつつ見たんだけど、感動しました。
今の自分の頭で考えると、当時の社会状況でそんなことしたら大変って思うけど、当時の彼らはそんな大変なことになるとは思わなかったんですね。
それからいろいろなことがわかって、途中から予想しなかった展開になり引き込まれて行きました。
自分で考えて、って映画の中で言ってたけど、クラスメート一人一人が自分で考えて大半が同じ結論を出すことが出来るなんて、すごいことだと思う。この高校生達すごい!
社会集団の排他的不寛容さ
色々考えさせられる良くできた映画で、見て良かったと思っているが、本当に辛い内容だった。
若者らしい爽やかで向こう見ずな冒険心、欲望、恋心が冒頭で描かれるだけに、その後の、転げる落ちるように追い詰められていく焦燥感がやるせなく、どうしてこんな、と、ずっと身を竦める思いだった。
苦しいのは、当たり前かもしれないが、全ての人物が自らの主張や想いを持って生きており、善も悪も混濁して容易に仕分けられない事だ。
個人と個人の主義のぶつかり合いでもままならずしんどいのに、国家という巨大な固まりによる衝突、圧力、排他の凄まじさ、恐ろしさ、止めようのなさたるや。
エドガーが言う。「資本主義、社会主義、王政、人は何かを信じなければならない」
皆、これが最善の幸福への道だと信じて主張し、けれど時に、本当にそうだろうか?と疑いながら生きている。
第二次世界大戦後、ファシズムと社会主義の間で大きく振り動かされ、価値観の反転を求められた東ドイツ。日本の戦後にも通じる所はあるだろう。
西も東も自らの正統性を主張し、報道は互いに都合のいい事実しか伝えない。
激動の時代にもみくちゃにされ、我が身の信念も不確かな社会。
権力者は、彼らの信じる【罪】を暴くため、家族や未来を質に、心を殺すか、肉体を殺すかの選択を迫る。
恋に、裏切りに、疑念に、不安に揺れ動き、何を信じ、何を誇り、何を選べばいいのか、若者達の放り込まれた深い深い暗闇。
大臣のファシズムへの憎しみ、誇りを打ち砕かれたエリックの純粋な怒りと友を裏切った後悔、クルトの正義感と罪悪感、レナの不安と失望、テオの家族愛と惜別、友情を守ったクラスメイトの誇りと反発心、立ち上がれず席に身を沈めたままの生徒の迷いや恐怖、動乱の時代に抱えた親達の後悔、子供の未来を想い密告を示唆し、虚偽の証言を強要し、最後には祈る想いで旅立ちを見送る彼らの心情。
次から次へと色々な感情がぐちゃぐちゃと押し寄せてきて、どれも切り捨てられず、後半ずっと涙しながら見ていた。
最後に示された史実に、少しだけ救われた気にはなったが、感動とか希望とはまた違う、まだ暗闇に取り残されているような不安。
彼らは英雄になったのか?いや、自分のちっぽけで大きな誇りを守り、その代償を背負い日常を失い、後悔と達成感の間に揺れ、「これからどうする?」と不安に震える、子供でも大人でもないただの人間の群れだ。
「自分で決めるんだ」
欺瞞も嘘も幻も溢れるこの現実で、愛、誇り、家族、日常…、次はあなたが、何を選びどう向き合うのか?
踏み絵のように突きつけられている気がして、まだ重苦しさが消えない。
サイレント・パートナー
きびしい映画だが、秀作である。信念と保身の間で揺らぐ緊迫した葛藤に息を呑む。
映像で見ると、いわゆる“黙祷”とは違って、“無言の抗議”という感じだ。元は軽いノリもあったのだろう。そこから生じた彼らにとって予期せぬ展開は、管理社会の重圧を表出している。描かれた内容は60年以上も前の話だが、現在でも依然として“言論の不自由”がまかりとおっている国はある。(彼らは“列車に乗った”が、残された家族や友人は迫害されなかったんだろうか。)
唯一残念なのは邦題で、長いし、あまりに情緒的すぎる。邦訳された原作の「沈黙する教室」でよかったのではないか。
自由ってを考えてしまう。
1956年の話だ!
まだドイツに壁があった頃
ハンガリーの暴動の若者の死者のために
黙祷が
こんな事件になるなんて!
権力は怖い!
本来自由なはずが
教育委員会は、あの手この手で
犯人捜しをする!
吐きそうにぬる。
欲望という名の電車という
題名を頭によぎる。
見応えある作品でした!
東西冷戦下の『いまを生きる』
日本人でも、最後の晩餐やユダの裏切りについては、宗教的解釈や文学的解釈の専門的理解はさておき、多くの人がそれなりに知っていると思います。少なくともレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を通じて、遠近法とかの言葉と一緒にイエスに向かって左側にいる黒髪黒髭ののけぞっている男について見聞きしたことのある人は一定数いるはずです。
なので、欧米社会に育ち、一定頻度で教会に足を運んだことのある人たちにとっては殆ど一般教養として刷り込まれており『裏切り』という行為をいつかどこかで、他の誰でもない自分がしでかしてしまうのではないか?自分がユダになってしまうのではないか?という恐怖心を、程度の差はあるにしても潜在的に抱えているのではないでしょうか。
裏切る対象は状況によって、国家、帰属する集団、家族、友達、場合によっては信念や理想のように抽象的なものまで様々であるが、それらが複数重なった状況の18歳にとってどれほどの苦悩か想像もつかない。しかも絶対的強権を保持する側の狡猾さは亡くなった親の行状まで持ち出して、裏切り者の血は争えないな、という催眠術的な脅しまで使ってくる。
権力側がどれだけ人権を踏みにじるか、どこまで冷酷になれるか、弱者の側の人間が高潔に振る舞おうとする時、どれほどの覚悟と犠牲が伴うか。
よくあるテーマかもしれませんが、実話ベースであることと若い役者さん達の迫真の表現で、私にとっては今年有数のとても満足度の高い作品でした。
※ロビン・ウィリアムスの『いまを生きる』を彷彿とさせるシーンがあり、思わず泣いてしまいました。
この年代特有の真っすぐな思い。
戦争により、思想・言論を奪われた東ドイツの高校生達。
この年代だからこそ曲げる事の出来ない真っすぐな思いが、
各々の立場により翻弄され切ない。 家族、友情、恋愛、傷付きながらも真っすぐに進む彼らの姿が清々しく、気持ちのいい青春物。
今年の洋画ベスト候補
ドイツという国の在り方がよくわかる。ナチスのファシズムと、マルクスの社会主義。単純な国ではない。それが東西に分かれた。ベルリンに西側の飛び地ができた。歴史の必然と偶然が生み出したドラマ。実話ベースとは思えない別世界。
自由を求め惑う東ベルリンの若者たち
第二次世界大戦後、旧ソ連諸国および旧東側諸国はロシアの占領下に入った。最近の映画によるとナチスの時代よりも状況は遥かに悪くなったようだ。
今作はベルリンの壁ができる5年前、1956年の東ベルリンが舞台。ソ連の影響下で社会主義の名のもとに行われる恐怖政治。そこに自由はない。
ハンガリーの反ソの蜂起に同調したエリートクラスの高校生たちの「2分間の黙祷」が思わぬ波紋を呼んだ。
彼らを抑えつけようとする理不尽な論理に激しい違和感を覚える。まだ壁がなく西へ行ける可能性があったのが微かな救いだった。
自由の萌芽が決して見逃されることのないあの時代の閉塞感を嫌というほど感じる秀作だ。
のほほんと生きていると…
たまにこういう作品をみると今の時代が何て平和なんだろうなー、と痛感。たった1回の全員黙祷でこんな展開になってしまうなんて。同国の仲間で思想管理、軽い態度で家族離散。厳しい時代があっての今なんだな、と。
一生忘れない1本です。
55本目。
片手にビール、いつもの軽いノリで観に行きましたが、今年1番、一生忘れない1本になりそうです。
家族愛、親子愛、友情、ものすごく詰まってて、心がギュッとなるって、この事なんだなと。
心を掴まれました。
当時の葛藤が伝わってくる
石川啄木に「強権に確執を醸す」という言葉がある。26歳で死んだ詩人の胸のうちは今となっては知る由もないが、天皇を絶対権力として帝国主義政策を進める明治政府の強権的なやり方に反発を覚えていたのは間違いない。幸徳秋水たちによる大逆事件も少なからぬ影響を若い詩人に与えたはずだ。
本作品の若者たちも啄木に似て、社会主義のパラダイムを一方的に押し付けるソ連に対して、上手く説明できないながらも、精神的な自由を奪われつつあることに容易ならざる危機感を覚えているように見える。18歳ともなれば、思春期の反抗と違い、弾圧に対しては敏感に反応する、感性の鋭い年齢である。
予告編の通り、授業の冒頭にハンガリーの武装蜂起の犠牲者に対して追悼の意味の2分間の黙祷を実行し、権力側がこれを反体制(反革命)と見做して弾圧するというストーリーだ。かつての日本の過激派と同じく、仲間同士のリーダーシップや裏切りに対する倫理観が絡み、若者たちは一枚岩ではあり得ない。そして体制側は容赦なくそこにつけ込んでくる。そして若者たちの家族も、決断を迫られる。
役人たちは皆ソ連の傀儡だが、傀儡であることを卑下する気持ちはない。寧ろ自分たちは傀儡ではないと思っているフシがある。自分の立場を正当化する思いが強く、それがそのまま反体制的な勢力への弾圧に直結する。役人たちの若者への弾圧が容赦ないのは、それが役人たち自身のレーゾンデートルだからである。
かつてロシア革命に熱狂したロシアの民衆は、その後長きに亘って政治局による圧政に苦しむことになった。権力は必ず腐敗するという鉄則は、いつの世でも正しい。権力は統治システムとして官僚機構を構築し、官僚はある種の特権階級として国民を支配しようとする。国民はもはや国民ではなく、帝国主義時代の臣民に等しい。そしてソ連は自国だけでなく、世界大戦のドサクサで縄張りにした東側諸国のすべての国民をソ連帝国主義の臣民として支配しようとした。若者たちが反発するのは当然である。
映画の背景にある時代は、権力行使がストレートだったが、現代はインターネットの時代で情報が猛スピードで拡散するから、権力は以前のような暴力的な手法を取ることができなくなった。何をするかというと、インターネットを逆用してフェイク情報を大量に流すのである。流れてきた情報を取捨選択する能力のある人はいいが、多くの人はインターネットの情報をそのまま鵜呑みにしてしまう。自分で考えることをしないからである。現代の教育がそういう風に育ててきたのだ。
そして若者たちは情報の真実を探求することなく、権力のいいように操られ、投票する。かつての若者たちが命がけで戦ったことなど、もはや知る由もない。国のため、子どもたちのため、家族のためという大義名分は、権力が民衆を欺くときに使う言葉である。本作品の若者たちのように、国のためでも家族のためでもなく、自分のために戦うことが正しいことなのだと気づかなければならない。権力は常に腐敗する。若者たちが「強権に確執を醸す」ことは、世の中のバランスを保つために必要不可欠なことなのだ。
作品としては当時の様子や軍人が街中のいたるところにいるという戦後のヨーロッパの有り様が十分に伝わってきた。役者陣はみんな上手い。ナチズム、ファッショ、社会主義といったイデオロギーに関する発言が飛び交うのは、やはりそういう時代だったのだ。人は多かれ少なかれ、時代を背負って生きている。戦争の惨禍の記憶は未だに消えず、若者たちは不安と恐怖の中に生きている。安全無事を目指すのは簡単だが、強権と戦っている人々に対して恥ずかしい生き方はできない。当時の若者たち、そして彼らを取り巻く人々の複雑な葛藤が伝わってくるいい作品だった。
高校生(18才)による小さな革命
ベルリンの壁建設の5年前に東ドイツで起こった高校生による小さな革命。衝撃と感動の実話。
18歳とは思えぬしっかりとした考え方で、友情と信義を重んじ、希望、自由のために権力に立ち向かう若者たちの姿に、絶賛を博したい。
彼らのその後も気になるので、「沈黙する教室」を読んでみようと思う。
僕たちの今とは異なる青春
ソ連では恐怖政治を続けていたスターリンが死に、その後のフルシチョフがやや融和的だったことも影響して、ハンガリーでは民族の自立や、人々の自由を求める運動が起きたのだろう。だが、フルシチョフはこの動乱の鎮圧のために、ソ連軍を送り込む。
こうした最中の東ドイツの若者の葛藤や勇気の物語だ。
高校時代に、自分にこんな勇気があったかと問われると、ノーだ。
言論の自由とか、国民主権とか、やっと認識し始めた頃で、その意味や、その有り難みさえ、ちゃんと理解しようとしていたか考えると、恥ずかしながら怪しい気がする。
マルクスやレーニンが唱えた共産主義は、本来は労働者のためのものだったはずだ。だが、映画では、労働階級は、格差の下層のように語られていて、この若者はこうした矛盾にも気がついていたのだ。
言論や表現の弾圧は恐ろしい。日本でも大戦中には言論や表現を弾圧するために官憲が配置されていた。
僕たちは、歴史から何を学ぶべきだろうか。
この若者たちの葛藤や、無謀とも言える勇気から、何を学べるだろうか。
残念なことに、こうした自由を求める空気が共産党政府の危機感を募らせることになり、ベルリンでは東西を隔てる壁が、その後築かれることになる。
そして、約30年間、それは東西ベルリンの壁にとどまらず、鉄のカーテンとして世界を東西に分断する。
結局、ソ連共産主義は崩壊し、ベルリンの壁も取り壊されたが、今、世界はまた分断主義という壁に向き合おうとしている。
世界には人々を監視し、人権を蔑ろにし、言論や表現の自由を制限し、信教による差別を厭わない国家もある。
一方で、そこで稼げるのであれば、政治体制と、利益は別という資本主義者も存在する。
僕たちは、この若者たちから何を学べるだろうか。
この若者たちは、卒業試験をパスして、その後はどうしてるのだろうか。
ひとつだけ確実に言えるのは、きっと自分たちの青春に誇りを持っているに違いないことだ。
久々に嗚咽が出そうに…
1956年の東ドイツで、高校の進学クラスの生徒達が起こした実話。期待を越えて、良い映画だった。
体制に疑問を持ち自分達の信念を貫くこと、妥協、労働者クラスから初めて大学に進学する息子への親の期待、家族への愛情、友情、親友との三角関係、戦争から社会を立て直すことの困難さ…、色んなメッセージが詰まっている。特に、父親の真実を知り絶望するエリックと彼を追うクルトやテオに涙。無名の俳優ばかりだが、キャスティングも絶妙だと思った。
彼ら個人が導きだしたこれからの結果を知って
十分見応えのある作品だった。知らなかったこと判らなかったことも多かった。映画の題名に、興味を持ち作品を観た。しかし、この映画をもっと深く観るためには世界地図(特に、ハンガリー、ドイツ、旧ソ連)を頭に思い描いて観賞したほうが、これ以上の感動が得られたと一寸後悔した。「ハンガリー動乱」は、世界史でチラッと聞いただけ。この作品設定は、東ドイツの大学進学用の上級クラスが、ハンガリーの民衆蜂起の悲惨な結果の純真無垢な2分間の黙祷しか思えないが、社会主義下にある東ドイツとしてみれば禁じられた行為である。国境意識のない自分としては、いまいち重大なことと思えない。クラスの生徒が黙祷の理由が全員一致で収まると思ったが、エリックに突きつけられる赤色(せきしょく)戦線時の父親の最期の写真を見せられた後の、彼の動揺と予期せぬ行為は、グッと惹きつけられる。が、赤色戦線って何?と、つい思ってしまう。生徒一人々々が問われる、嘘をつきとおすか、それとも西側へ亡命するかの選択を迫られる。なぜか、青春ドラマのように見えても、事態は、これからの人生をかけるほど深刻。この映画の邦題にある「希望」という言葉は、家族を東に残した彼らにとっては正解であったか。原題でも良いと思ったが、「REVOLUTION」の使用は、和訳だと少し激しいような。今の邦題名に、自分は興味をもったので納得した。
実話ならではにの驚き
以前30年程前にアメリカ映画の「いまを生きる」と言うのがあったが、今回の高校生はベルリンの壁が出来る5年前の東ドイツの生徒たち、これが実話というのが驚きです。とても良い映画でした。
随分長いタイトルだなと思ったら
タイトル自体がネタばれじゃないか(笑)
ベルリンの壁はまだないころの話だけど、西と東の境界には明確な空気の違いが感じられますね、いい映画だと思います。
クローバー
ベルリンの壁が出来る5年前、まだ往来が出来た東ドイツで西側に憧れを持つと共に体制に抗う高校生たちの話。
西ドイツに行って観たハンガリーの民衆蜂起に感化され、サッカー選手の死にこじつけてクラス全員を巻き込み授業開始と共に2分間の黙祷を行ったことから話が拗れていくストーリー。。
そういう時代を経験したことも無ければ共産圏に産まれた訳でもないけれど、若者なりに弾圧され糾弾される思想と体制側の嘘と方便への反発心から覚悟へと繋がっていく様子に熱さを感じるし心に響く。
政治的なところや統制では間違いなく東側なんだけど、ソ連が入ってきたばかりの頃だからか高校生たちの日常や普段の生活環境は案外軽い感じがするのもギャップになっていて良かった。
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