「「お待たせ致しました、お待たせし過ぎたかも知れません」」M 村西とおる狂熱の日々 完全版 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「お待たせ致しました、お待たせし過ぎたかも知れません」
昔のノンフィクションのルポルタージュを観ているような、情熱駄々漏れのハイカロリー&ハイテンション作品である。稀代のエロ事師が、借金返済の為4時間越えのVシネマを制作して逆転満塁ホームランを当て込んだ制作現場を余すところ無く取材撮影したドキュメンタリーである。そのVシネ作品『北の国から 愛の旅路』そのものは未鑑賞であるので、もし鑑賞していたら裏側を知れたことの違った楽しみが拡がるのだろうが、今作での村西とおるの生き様の一端を垣間見るという方向においては少々物足り無さを感じられた。あの馬車馬のように働き、常に口に食べ物を運び、そして七転八倒の数々のトラブルに対して、決して噛まない滑らかな“しゃべり”は、以前に数々のマスメディア越しに登場した時代の寵児達と同一のポテンシャルそのものであるに核心を得る。勿論、あれだけ接写でつきまといを伴う撮影なのだから、もしかしたら都合の悪いところは編集で落としているだろうし、ましてや80年代の時代は今で言う“ブラック”体質が通常運転であったAV世界であろうことは言うまでもないので、全てを信用することでもない。ましてや編集者の恣意がベースなのはドキュメンタリーの背負った宿命である。ただ、とはいえ今作の“事実は小説よりも奇なり”を地でいく村西監督の“もっている”運命は、下手なドタバタ劇よりも余程リアリティからかけ離れているかのようなタイミングと出来事の絨毯爆撃なのである。他のレビュアーさんが仰るように、それは無計画で無鉄砲故なのかもしれないが、実は本人自身がそういうプランニングに対しての無頓着、否そもそもそういう生き方とは無縁だったことに他ならない。あのバブル時代前の高度成長期の中小企業のワンマン創業者の1人なのだからだ。ご多分に漏れず幼少期の貧困をバネにしての成り上がりを強く呪詛する野心家の1人であり、他人よりも早く気付き、他人よりも長く働き、そして他人よりも本能に貪欲で、その目的までの最短距離への鼻の利き方は超能力といって良い程の“閃き”なのである。今のIT社長にもこういう人はいるのかも知れないが、表立っては表明しないであろうこの、人間の“知”とは逆ベクトルの“バイタリティ”の優良児は、周りのスタッフ、キャスト、そして女達を竜巻の如く吸い込んで遠心力で飛ばしていく。BGMで使用されている、“トルコ軍行進曲”や“ワルキューレ”がこれ程似合う人物は他にはいないだろう、もしかしてテーマ曲なのではと勘違いしてしまう程、音楽が人を具現化可能であることを証明している。
北海道ロケでの数々の事件、トラブル、過去の咎、そしてドメスティックな家庭環境もインタビューに答えつつ、言葉が留まらない“登別温泉の滝”のような淀みなさに唯々圧倒なのである。
あくまでも今作はVシネの裏側がメインなので、そもそもの監督がこの“生業”を自分の糧にしようと思ったのかの深度のある突っ込んだ取材は語られていない。未だギラギラしたその欲望は中国大陸へと狙いを定めているようだが、その原子力並の“ダイナモ”の根源を原子レベルで解読できれば、将来の人類にとって貴重なノーベル賞級発見だと思うのだが・・・w
22歳の黒木香の凄みとか、方やグズグズの女性モデルのプロ意識の無さ、脚本が出来ていないことの行き当たりばったり感、勝手に馬に乗るわの好き勝手の女優、北海道の移動距離の異様な長さ、クライマックスの車が滑って轢かれる戦慄のカット等、確かに枚挙に暇がない画力の強さはあの時代をノスタルジックと共に振り返ってしまう惹き込みだ。
「死んでも譲れないスケベ心」の本質をもっと知りたいと思わせる、まだまだ監督の心の奥底の修羅を探求してみたい一作であった。