「おつかれさまでした」峠 最後のサムライ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
おつかれさまでした
演技者みんな力が入ってて言いにくいのですがあんぽんたんな映画でした。
河井継之助には先見性がありましたが、時代は幕末、開国派と攘夷派が対立していて、そのあいだにも佐幕やら尊王やら、みんながバラバラにこうすべきだああすべきだと言って譲らず、争っていました。だから継之助もやらざるをえなかった。近代的合理主義を持っているのに時代に翻弄された栗林忠道のような人だと思いました。その立脚点も武士らしい哲理も解りましたし、悲運に朽ち果てるのは不憫でした。
しかし、ぶきっちょすぎる描写とあほなせりふによってむしろコメディでした。
みえを切りすぎです。愁嘆場も設けすぎです。なにやってんだこのひとたちは。へんな描写もいっぱいありました。奥さんと芸者あそびしたり、しみじみオルゴール聴いたり、城を奪還したら村で踊っちゃって、足撃たれたら歌っちゃって、俺を戦場に置いていけと言ったのに屋敷でゆっくりしちゃって・・・ちぐはぐなシーンが、崇高な武士のいきざまをことごとくずっこけに見せてしまっていました。
それをみて、あらためて監督は罪深いものだと思いました。
なぜなら役所広司はじめ演技者全員が渾身の力演だったからです。
黒澤明と仕事していた業界の長老が監督やっていることもあるんでしょうが、みんなにピリッピリに演じさせておきながら、その力みがまったく映画と絡んでこない。ひたすら演技者の空振りが伝わってくる映画でした。おつかれさまでした。
ところで、中盤で政府軍に嘆願書を渡そうとする場面があります。
応対した吉岡秀隆(演)の態度、変じゃなかったですか?わたしは爆笑しました。
吉岡秀隆が演じた岩村精一郎は終始、怒髪天なやつでした。(結ってはいましたが。)
ウィキペディアの岩村精一郎(岩村高俊)にこんなことが書かれています。
『北越戦争時に、山縣有朋が小千谷の新政府軍本営に着いた際、岩村は贅沢な朝食を地元の娘に給仕させており、激怒した山縣は土足のままその膳を蹴り上げたという。長州人の岩村への評価は「キョロマ」であり、木戸孝允も同様の評価をしている。
佐賀県権令としても、ドナルド・キーンの「無能で横柄な岩村の抜擢は、最悪の選択だったと言える」との厳しい評がある。』
(ウィキペディア、岩村高俊より)
なおキョロマとは古い長州の方言で「短気で考えが浅いやつ」だそうです。キョロマでぐぐるとトップにこの岩村精一郎の逸話がでてきます。
継之助の信念を描くためか、嘆願書をしつこく頼む場面が比較的長くとられていますが、そんなキョロマなやつに取り次ぎを粘るのも、なんだかな──でした。
司馬遼太郎の小説のなかでは悲劇のヒーローですが、河井継之助には賛否があります。新潟県民や郷土史家にもアンチがいます。
わたしは、継之助が良いのか良くないのか解りませんが、すくなくとも「短気で考えが浅いやつ」岩村精一郎役を吉岡秀隆が演ったのはかんぜんなミスキャストだと思いました。
吉岡秀隆といえば「短気で考えが浅いやつ」の逆です。少なめに見積もっても100人中80人がそう見るでしょう。笑わせにきてるとしか思えませんでしたし、じっさい笑いました。
また、常在戦場の箴言を知らず錠剤1,000錠だと誤解し、大殿が痛みどめをくれたんだ──いい大殿だなと思いました。きょうび変換が間違っていたとしても誰もそれを指摘しません。意味が通じてしまうからです。錠剤1,000錠でわたし的には完全納得でした。
さて映画は幕末の悲劇をあつかっており、それに対する認識としては、現代の平和は先代のひとびとの苦労のうえに成り立っているゆえに、諧謔的なレビューはきわめて不謹慎です。そんなことは解っています。ただ映画自体はあんぽんたんもいいところでした。