シネマ歌舞伎 野田版 桜の森の満開の下のレビュー・感想・評価
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初・野田秀樹を歌舞伎で。いとむつかし。
桜は人を惑わせるという惹句は、もしかしたら坂口安吾由来なのかもしれません。
事実も史実も知りませんが、この作品を見ていてなんとなーく思いました。
野田秀樹、演劇には全く疎い私でも知っている演出家です。時々役者もやっている。そんな野田秀樹が作・演出のシネマ歌舞伎『野田版・桜の森の満開の下』を見てきました。
2019年大河ドラマの主役を演じる中村勘九郎に弟・七之助、あとは松本幸四郎(たか子の兄の方)、坂東巳之助。私が分かったのはそのあたりまで。
他の人たちは全然知りませんが、ストレートプレイっぽい芝居が多いので、ストレートプレイの役者かと思いきや、皆さん歌舞伎役者でいらっしゃるとか、
歌舞伎役者と歌舞伎をやらない舞台役者って、似て非なるものかと思っていましたが、中身は一緒なんだなと感じました。
もとが戯曲なので言葉は聞き取りやすく、コミカルな場面も多く、楽しくは見られましたが。
難しい作品だと思います。正直なんのこっちゃです。
坂口安吾の「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」を下敷きに、野田秀樹が描いた戯曲なんですが、安吾もロクに読んだ事ないですし、あらすじを読んでもピンとこない。
ちょっと古事記ぽさを感じるワードと衣装ではありますが、いかんせん、なんやねん耳男て!というところから、だいぶ置いてけぼりです。
鬼の世界と人間の世界のパラレル構造と、
クーデターと、なんかいろいろ爪の間に残滓が感じられるんだけど、
腑に落ちるほどは分からない世界で、かなり???????を浮かべながら頑張ってみました。
そんな苦行に近い鑑賞でしたが、役者の技量については本当に堪能出来て、満足しました。
特に、夜長姫役の中村七之助!声色といいしぐさといい、すばらしいとおもいました。狂気と愛嬌と妖艶さとがかわるがわる覗かせる得体の知れなさ。この世のものではない何かを、人間が演じているということに感動します。
いだてんの四三さんをチャーミングに演じておられる勘九郎さんも、もちろんよかったんですよ。朴訥で無垢なようで、ヒリヒリした孤独を秘めた感じ、震えます。亡き御父上を感じさせます。とってもいいです。
が、やはり今作では夜長姫が、凄い印象を放っていました。
幸四郎さん(たか子の兄ね)の、あほっぽい男子役、相変わらず好きですよ。
歌舞伎は、クドカン→野田秀樹という邪道から入ってみました。
次は王道が見たいけど、見てわかるかなーというのが不安です。
玉三郎を見てみたいんだけどなー。
狂気へのレクイエム
最高にグッときた。
亡き勘三郎の芸に対する狂気を七之助が体現し、相対する正気を勘九郎が体現し、満開の桜の森という時として孤独な人生を舞台に、歌舞伎へのオマージュと七語調の特質を持つ日本文学へのオマージュがちりばめられた、野田と18世勘三郎の友情と互いへの敬意が感じられる、想いが込められた夢舞台!
人間の内にある狂気。それは時として『好き』という所から誘(いざな)われるものかもしれない。
勘九郎のお父さんの18世勘三郎。
そのお父さんは、明治以来跡絶えていた勘三郎を大名跡に復活させた17世勘三郎。
妾の子であるがゆえに芸に打ち込み、人間国宝となった17世勘三郎と、同じく妾の子であった6世尾上菊五郎の娘を両親とする18世勘三郎も又芸に打ち込んだ。
17世も18世も、その境遇もさることながら、無意識のうちに歌舞伎が『好き』で稽古を重ねたのだろう。血は争えないということか。
好きこそものの上手なれとはいうものの、好きが高じて狂気になり打ち込んだ芸は、芸術に昇華され人々のタマシイを揺さぶる。つまり感動させるのである。
終幕、狂気にとらわれ、鬼の角を突き立てられた夜長姫の七之助は「狂気を忘れずいい仕事をしてください」と言い残して黄泉の国へ消える。
それを受けて偽りの名人勘九郎は「あ、う、わー」と言葉にならず身をよじる。そして、「まいった、まいったー」…
つまり、この舞台は、亡き勘三郎の遺言を、息子たちに改めて伝え直す野田流のレクイエムなのだ。
カーテンコールさえ、徹底して厳粛だ。
さて、改めて父の遺言を感受させられた兄弟の今後の狂気ぶりがなんとも楽しみな、新年度初めのシネマ歌舞伎である。
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