「才能の無い人間が韓国映画に影響受けたらこうなった」赤い雪 Red Snow ポポブラジルさんの映画レビュー(感想・評価)
才能の無い人間が韓国映画に影響受けたらこうなった
邦画の闇が詰め込まれてる
ホラーとしか思えない。
序盤の尾行シーン
自転車を車でしかも、夜、ライトを点けながらの
尾行、こんなこと有り得ません。
雑過ぎ
このシーン1つで
この映画駄目だなと確信した。
その後は、予想通り
泣き叫び
脈略もなく
突如
突飛しもない展開の連続
リアリティのない家
リアリティのない設定
ついさっきまで
自転車に乗ってたのに
突如、遭難したら確実に死ぬレベルの
山深い山中にいる、一体どうやってそこまで行ったのか?誰か教えてください
又、その山深い山で突如、寝落ち?
そこから
殺人未遂犯したことには
心底驚いた、しかもあそこから
失禁までさせた人間を殺さず、1人でどうやって
ベッドまで移動させたのだろうか?
謝って済むレベルか?
全てがホラー
又、監督の思い込みか
知らないが
通常なら自転車に乗っている場面で
何故か不自然に自転車を押して歩いてる
話しかけるシーンが必要なら
他の演出が有ったのでは?
いっそのこと自転車を省けばいいと
思うのだか、車も持てない
貧困の田舎者は自転車だ!と決めつけんばかりの
見え見えの演出
全てのディテール設定が甘過ぎ
それが雑音となる
イ・チャンドン監督の
バーニング
鑑賞翌日に、この映画はキツかった。
感想と”ディスり”の違いはここでは議題に挙げても仕方ありません。そもそもその定義は人それぞれでしょうから。
それよりも、貴殿のご指摘の幾つかは確かに気付かされた部分があります。
そこまで貴殿の思う矛盾点をハッキリと自覚できている部分に僭越ながら感心申し上げます。
多分、貴殿にとってのリアリティと、作品に於けるリアリティの設定に齟齬があるのでしょうが、果たしてそこが鑑賞する上で大事なところなのでしょうか?決して、貴殿を否定していることでは毛頭無く、純粋にそこに拘る気持を知りたいという単純な思いから、差し出がましくもコメントさせて頂きました。
例えば、原作にあるシーンを映像化する際、原作ではディテールに拘っていない部分を、敢えてそこに監督の拘りを演出させる場合もあれば、原作の意図に則り、リアリティよりも印象や心象を具現化することも又表現法として有りかと存じます。観客も又鑑賞の際に、情報を取捨選別しながらスクリーンを追っていると思います。
場面転換の場合も、確かに時間経過を思えば、矛盾点がでてくるでしょう。しかし、その矛盾を超越する読解力を人間は持ち併せております。あくまでもフィクションである物語を観る際に、ドキュメント要素を持ち出すことは興醒めしてしまうと思うのですが如何でしょうか?
ただ、貴殿のその鋭い着眼点そのものは、誠に感服します。確かに私は、勝手にストーリーを補正しながら、しかしその補正が甘い故、没入感が薄く感じられる時があります。貴殿の仰る通り、その原因を、作品のリアリティに求めると言う事自体には考えがつかなかったと、新しい着眼点を気付かせて下さった事、感謝致します。
尚、誠に老婆心ながら、折角のそのレビューを、あまり悪意を含めた印象に彩ってしまうのは、厚かましいと思いながらも、勿体ないと存じます。”才能がない”なんてことは、全映画監督にはありませんから・・・