ぼけますから、よろしくお願いします。のレビュー・感想・評価
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4.2自己投影の極致
本作を見ている最中にしんどくて、何回か止めてしまった。しんどい展開だな、良い家族だな、自分の親も心配だな、自分の親だったらそばにいたいな、仕事どうするの、介護離職、「あんまり親のことは心配しなさんな」、すべての場面が、親、亡くなった祖父母を思い出してしまうそんな映画だった。
SNSやインターネットのコメントを見ていると、まるっと概念として負の側面ばかりがクローズアップ、浮上してきやすい昨今で、忘れていたような当たり前の感情を思い出すような作品だった。
子供だから撮れる親の姿。
優しかった母親がどんどん変わってしまう姿が、とても切なく泣ける。
書道で賞をもらうほどしっかりした人で、
自分が病気をした時には上京し、料理を作ってくれ、いつも優しく見守ってくれる母親。
その母親がだんだんと、物忘れが酷くなっていく。
出来ていたことが出来なくなり、人の助けも必要となるほどに。自分で自分のことを何かおかしいと気づいているが、それがどうしてなのか、何が原因なのかも分からない。自分のことが情けなくなり、死にたいと言い始める。
そんな状況を撮る側として、私ならカメラを止めてしまうと思う。もしかしたら、怪我をしないように家もリフォームするかもしれない。洗濯機も最新のものを買ってあげるかもしれない。
しかし、敢えてそこを変えずに、ありのままの状況を根気よく撮影していたからこそ、できた作品であると思う。
子供からしたら、怪我をしないように、少しでも楽になれば、と思ってヘルパーを頼むのだけど、それがかえって本人達のメンタルに響いてしまうんだなぁと気づいた。
自分たちは何十年も今まで、自分たちだけでやってきたのに、それができなくなってしまう悲しさ。
人に頼らないと生きていけないという、情けなさ。
人を頼ることを申し訳ないと思ってしまうのは、
見ている方からしたら、制度があるんだからもっと頼ればいいのにと思うかもしれないけど、
今までしっかりやってきた人だからこそ、それがかえって情けなく思う気持ちを強くさせるのかもしれない。
手伝ってくれるとはいえ、自分の家のテリトリーに他人が入ることにストレスは少なからずあるはずだし、その怒りの矛先が、出来ない自分にいってしまう気持ちも分かる気がした。
その葛藤が、記憶がなくなるなかで繰り返される、苦しみが見ていて伝わった。
私の母親は、私たち子供に泣く所を見せる人ではないのだけど、いつかもし、「情けない」と泣く母親を見る日が来るとしたら、どうすれば笑顔にしてあげられるのかまだ分からない。
痛々しい
ドキュメンタリー映画であると思えば思うほど、痛々しい。フィクションであって欲しいと祈ってしまう。
辛い時間が綴られる一方で、楽しい、満面の素晴らしい笑顔も描かれる。
2016年や2017年に二槽式の洗濯機やダイヤル式の黒電話を使っている生活は、そこから直せば良いじゃないかとか、もっと便利な生活もあるだろう、ヤラセではないかと、捉えてしまいがちだが、ふと離れて暮らす自分の親や祖父母を思うと、納得してしまう。
そして、自分に突き刺さってくる。
舞台である広島の言葉で会話は終始するが、地方や国を超えたテーマだと思う。
個人的には、もう少しオブラートに包んで欲しかったので満点にはしてません。
この道はいつか行く道、通るかもしれない道
ドキュメンタリー作家の信友直子監督のご両親、高齢であるが広島県呉市でご健在。
だが、どうにも母親の具合がよくない。
医者の診断ではアルツハイマー型認知症になっているという。
監督のお父さんは90歳にして家事をすることになる・・・
という、まぁ、ぶっちゃけていうと、これまでにもかなりの作品が作られている分野のドキュメンタリーなのだけれど、お父さんもお母さんもユーモラス。
ただ、ユーモラス、というだけでなく、永年生きてこられたことによる頑固さなどがあり、それが観ていて面白い。
初期段階では「どうして、こうなっちゃったんだろうねぇ」と不安な様子も映し出され、それを監督が撮っていると「わたしばかり撮るな!」と怒り出すあたり、観ている方としては「そりゃそうだろうね」と納得する。
ヘルパーさんがやって来ると「家の片づけはしなきゃいけない」と奮ったりし、ヘルパーさんからの提案を「うん、そうね」と素直に聞き入れるが、帰ると「わたしはデイサービスみたいなところには行きたいんだよ」と言う。
このあたりの外面の良さも、「そうだよねぇ」と納得できる。
お母さんがあまりにゴネてしまったときのお父さんのひと言が効いている。
「お前は、気位が高すぎるんじゃ」
ははは、そうかも。
認知症になったからといって感情や本性(アイデンティティ)までは喪わない、そういうことも聞いたことがあるし、その通りなのだろう。
そういう感情やアイデンティティと向き合うことが大切なのだろう。
この道はいつか行く道、通るかもしれない道。
通り方はそのひとそれぞれかもしれないが、通る時の挨拶は、『ぼけますから、よろしくお願いします。』。
「日記」か「ある視点」か
観察者の視点と状況への参加者の視点。
この双方をどのように映像に埋め込むのか。これが本作品の重要な課題だろう。
認知症を患う実の母親を(そもそも認知症を「患う」という言葉で語っていいのか、さらに言えば「認知」症という名付けでいいのか、これもまた考えなければならないのだが)、カメラで捉える彼女の視線は娘のそれではない。そこにあるのは、監督者であり映像表現者の姿だ。
本来はその場に参与すべき家族であるにもかかわらず、冷徹なまでに客観的な視線を送る彼女の姿はわからないでもない。だがしかし、そうであるがゆえが、映画を観る者にとっては複雑な思いにさせられる。
彼女の中にある観察者の視点(監督)とその場への参加者の視点(娘)の視点は、果たして重層的たりえただろうか。
我々をして観察者足らしめる視点というものは、言い換えればエゴイスティックな俯瞰であり、ワクに嵌め込もうとする理解である。これについて、この映画を通して我々は反省的に自覚することを迫られる。
この作品はドキュメンタリーである。
ドキュメンタリーであるがゆえに、本来は、そこに登場する人々の言葉が生の「血の叫び」として我々に届くことを、人は期待する。しかし、本作品において、観察者=参加者であるがゆえに、この「血の叫び」が一般化されてしまった。前提として、観察者=参加者であることを共有化してしまった我々オーディエンスは、いくら自分の身をそこから引き離そうとしても参加者たりえなかった彼女のカメラワークの支配にある。だから、その視点からしか、語れないし視ることもできない。
だからかえって、
両親を賛歌するだけに終始する薄っぺらな作品としないことを意図していたのであれば、監督者自身の「血の叫び」を、もう少し丁寧に描き切って欲しかった。小さい頃から、なんの不都合もなく、両親の愛情を一身に受け、そのことを躊躇いもなく語ること(一人っ娘で、国立中高一貫校に進学し、映像の中にもあるような大学「名」を受験をし、映像プロデューサーでであること披瀝する。このような、本来は必要のない「字幕」を入れ込むこと)ーこのような饒舌なしで、この「ドキュメンタリー」を語っていたとしたら、彼女が語った言葉ー「寄り添う」ーもさらに身に迫ってきたことだろう。そして、さらに言えば、彼女の病魔の宿痾をさらにオーディエンスの身近なものとしたいたことだろう。
本作品がが小賢しい日記でないとすれば、そしてまさにドキュメンタリー映画足らんとするのであれば、、そこには、全ての者(それを「演じる者」、それを「語る者」、そしてそれを「受け止める者」)の呻き、嘆き、泣き、笑いが描かれていて欲しかった。せめて、両親の製作者へと向けた「慟哭」を受け止め、その言葉で投げ返す、そのような「声」を聞きたかった。
自動洗濯機を使わない父親の3時間は、娘への「問いかけ」であり、それに答えた彼女の声は、やはり「観察者」の視点でしかない。参加者は、否定と肯定の言葉を持ちうるが、観察者はそうではない。その告白ではないか!!
この映画の100分余り、
「私を殺してくれ」の叫びの意味ばかりを考えていた。
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