7月22日のレビュー・感想・評価
全8件を表示
77人の犠牲者にご冥福をお祈りします。
事件の詳細は分からないが、絶対にそんな事ないだろうと思った一言。
『そのバッグの中身は?』
『武器だ』
『隠してね。子ども達が怖がるから』
亊の真実は知らないが、これだけのキャンプを受け持つ責任者や主催者がこんな『ずさん』なセキュリティチェックすることは無い。ましてや、なぜ『警察』と言うだけでスルーさせたのか?真実ならば主催者側の重大なるミスである。
さて、映画を見終わって
どうやら、主催者側のミスは確定の様だ。
ノルウェーの首相が2013年まで首相を務めたとあるが、立法、行政の立場で『逃げに転じた』と僕は主張したい。そして、彼は現在はNATOの主要人物であるようだ。つまり、この映画は彼の『言い訳する映画』と解釈出来る。鑑賞者の殆どが、この悪魔の様な青年に鬼畜を感じて、死刑制度を戻す位の事を考えるであろう。ザッツ・オールだ♥
だが、それは違う。
ヘイトや移民問題がなぜ起こり、なぜ続くかを考えて、その運動を語るべきなのだ。つまり、『民族主義』がなぜ起こり、淘汰されないか?それを考えるべきなのだ。
解決策を端的に述べる
0.ノルウェーはEUに加盟する
1.ノルウェーはNATOから脱退
2.国体を解体してスウェーデンに割譲
3.議会制民主主義は維持するも立憲君主制は廃止して、スウェーデン国へ
4.ノーベル平和賞をスウェーデンへ
5.難民の受入れ政策を推進
6.永世中立国を再認識
以上
先ずは0.は早急にしなければ駄目だ。そして、
1.2.3.は兎も角、4.5.6.は実現可能だと思うし、このナショナリストの行動が『失敗した』と認識させる事も出来るんじゃないかなぁ。
もう一つのブラックユーモアな解決方法は、この島だけ、日本国に割譲して、この犯人を死刑にしてしまうとか♥
ブラックな冗談ですよ。
日本語の出来るノルウェーの方々、不快に感じたら、連絡ください。黙って通報は止めて下さい。
日本人としての感情
2011年7月22日は日本国を未曾有の大災害側の襲った後で、余り印象に無かったと言うのが本音です。しかし、押し寄せるファシズムの嵐をなんとかしなければと恐れおののく毎日です。
ヒトラーが消えて、もうすぐ、100年が経ちます。ヒトラーは自らの復活を100年後と言ったそうです。しかし、日本人の多くはそれを知りません。第二次世界大戦中、大日本帝國はナチスと同類でした。その日本人がそれを知らない事こそが、問題があると思うのが僕の本音です。その気持ちを踏まえて頂いた上で、なお不快に感じるとおっしゃる方がいらっしゃるのなら、訂正をします。
しかし、主旨を変えるつもりはありません。言葉を変えるだけです。
どうかよろしくお願いいたします。
死刑も終身刑もないノルウェー…
とんでもない身勝手なテロ行為によって70人以上の命を奪った男。その家族や友人、様々な人々の人生に多大な影響を及ぼしたであろう残虐行為はこの様な軽い刑罰で良いのだろうかと思ってしまう。果たして反省や更生する日など来るのだろうか、必ずしも被害者たちが極刑を求めているわけではないというインタビューを見たが、人が人を裁くということを改めて考えさせられる。映画では被害者やその家族の葛藤、主義思想とは全く異なるものの、テロリストから弁護を依頼され、プロとして仕事に全うする弁護士の苦悩などが描かれ、特に弁護士を描いているのは良かった。
よかった
ウトヤ島の事件は前半で後半はリハビリや裁判への出廷となる。小田急線での死傷事件がちょうど起こり、ウトヤ島の犯人は意図を実現できていたのだけど、小田急線の犯人は間抜けだったため一人も死なずに済んだし、放火しようとしたがサラダ油を用いて失敗した。事件の意図は似ているけどスケールが違いすぎて変な意味で物悲しい。
犯人が、尊敬していた極右の師匠のような男に全否定されていたのがよかった。
何時までも忘れずにいて怒り続けたい
ストーリーは
ノルウェー、首都オスロ。2011年7月22日早朝 アンデルス ベーリング ブレビクが、盗んだ警官の制服に身を包み、手際よく手製爆弾を車に積み込むシーンからフイルムが始まる。
ブレビクはオスロの官庁街、ストルテンベルグ首相のオフィスのあるビルの前に車を止める。彼が車から立ち去った数分後、セキュリテイーが動き出す前に車は爆発する。死亡者8人。建物の被害は絶大だった。しかし、警察や報道陣が動き出すころには、すでにブレビクは、別の車でオスロから22キロ離れたウトヤ島に向かっていた。
ウトヤ島では民主党主催で若者たちのリーダーシップを育てるためのサマーキャンプが開催されていた。民主党党首のストルテンベルグ首相のオフィスがテロのターゲットになったニュースは すぐにウトヤ島にも伝えられる。島には小さなフェリーで行き来する以外に交通手段がない。島に渡るためのフェリーの入り口には、2人の主催者が待機していた。警官の制服を着たブレビクは、主催者にオスロで爆弾事件が起きたので警備のために島に渡りたいと言う。主催者はブレビクをフェリーに乗せて島に着いたところで、ブレビクの態度に疑問を持ち、警察証明書の提示を求める。ブレビクはためらうことなく2人の主催者を撃ち殺す。
こうして陸から孤立した小さな島に閉じ込められた子供たちへの無差別攻撃が始まる。逃げ惑う子供たち。戸外でキャンプをしていた子供たちが、重装備に身を固め、何丁ものライフル銃をもった犯人ブレビクに次々に打ち殺される。銃声に驚いた建物の中にいた子供たちに向けて、ブレビクはマイクを通して、「外は危険なので教室の中で待つよう」に指示する。サマーキャンプの主催者の一人であるビジャルは、弟のトルシェをふくむ数人の仲間達と海に面した崖に身を隠す。海に泳いで逃げようとしている子供たちは、一人ひとり狙い撃ちされ、殺され沈んでいく。林に逃げ込んだ子供たちも皆見つかって殺される。崖に隠れていた子供たちもどんなに息をひそめていても、犯人には容易なターゲットになった。教室で恐怖におびえながら待っていた子供たちも次々と殺された。
子供たちの悲痛な声が警察本部に届き、船で警官隊が到着した時には、死亡者69人、怪我人100人近くの犠牲者が出ていた。単独犯ブレビクは警官に包囲されて、笑いながら無傷で拘束される。
ブレビクは極右白人愛国者グループのリーダーを自称し、以前ネオナチグループの弁護を担当したことのあるゲイル リップスタッドを、自分の弁護士に指名する。ゲイル弁護士は事の重大さに逡巡するが、プロの弁護士として任務を引き受けることを承諾する。犯人は900人ほど居るネオナチグループのメンバーだと主張するが、グループは、ブレビクのあまりに過激な子供たちへの攻撃には批判的で、グループメンバーだったことはない、と関係を否定する。ブレビクは16歳で両親が離婚し孤独な人生を歩み、ヒットラーを信奉してきたがパラノイドがあり、明らかに精神分裂病の症状が出ている。ゲイル弁護士は、彼を警察署に拘置せず、精神病院で治療すべきだ、と主張する。しかし世論はそれを許さない。何の罪もない子供たちが恐怖のどん底に落とされて無残に殺されたのだ。これからの民主党の若いリーダーとしてノルウェーの未来を担っていく子供たちが惨殺されたのだ。怒れるおとなたちは、犯人に極刑の断頭台に引きずりださねば気が済まない。ゲイル弁護士の自宅に石が投げ込まれる。家族も自身の身も安全があやぶまれる。しかし弁護士は動ぜず、犯人と1対1で、対話を続ける。
サマーキャンプのリーダービリャルは、5発の銃弾を全身に浴び、長い昏睡状態に陥っていた間にも幾度も手術を受ける。意識が戻ったが片目の失い、さらに脳に入り込んだ銃の破片を全部取り除くことができなかった。何時その破片によって急死するか、何らかの障害がおこるかわからない。彼はそんな壊滅的な状態から歩行練習を始める。歩くことも自分で立つこともできない。視界も狭くなり良く見えない。過酷なリハビリ。どうして自分がこんなひどい目にあっているのか、答えがない。怒りが収まらない。怒り、不安,焦燥。困難ながら歩けるようになっても、犠牲が大きすぎてまともな精神状態が保てない。家族がはれ物に触るように扱うのもやりきれない。運よく無傷で生き残った弟がどんなに兄を思っているかわかっていても、さらに煩わしい。同じキャンプで一緒にリーダーを務めていたジェーンは、妹を失ったがビリャルの壊れてしまった心を支えようとする。
法廷では犯人ブレビクが精神異常なので刑事事件として法廷で裁くことができないというゲイル弁護士の主張は、世論に押されるかたちで却下される。犯人ブレビクは、77人の殺人、100人余りの負傷者を出した犯人として法廷で罪を問われることになった。ブレビクは、たくさんの犠牲者家族が傍聴室で見守る法廷に初めて姿を現し、裁判長に向かってヒットラー式敬礼をしてみせる。その一瞬、法廷にいた人々の息が止まる。
長い裁判が始まる。一人ひとりの子供たちがどのように殺されていったのか、親にとっては傷口に塩を塗りたくられるような痛みの検証がなされる。事件が起きた時、すぐに島にアクセスできるヘリコプターがなかったのは、どうしてか。テロ対策が他国に比べて、遅れているのではないか。生き残った被害者もひとりひとり証言し、犠牲がどれほど大きかったのか検証される。
ビリャルは法廷に出て犯人と対置する。そして証言する。「自分は犯人が発射する5発の銃弾を受け、頭を撃ち抜かれ片目を失った。脳の奥深くに埋め込まれた銃弾の破片は手術で取り除くことができず、何時致命的な事態に襲われるか、何時新たな障害が起きるかわからない状態で生きなければならない。しかし、あなたは可哀そうだ。自分にはあなたにはない愛がある。自分を支えてくれる両親や兄弟や友達がいる。あなたには誰もいない。あなたはひとりきりだ。」と述べる。
判決が下される。21年間の実刑、その後も裁判所が犯人が社会に危害を及ぼす懸念がある場合、実刑を延長することができる。判決後、犯人ブレビクは、笑いながら「I DO AGAIN」と言う。ゲイル弁護士は、犯人と最後の面会をする。ブレビクは笑いながら「また会いに来てくれる?」と。ゲイル弁護士は無言で、求められた握手をせずに部屋を立ち去る。
というストーリー
映画の主役は、世論の圧力に抗しながら法のために極悪犯の弁護を引き受けるゲイル弁護士。法の正義を信じるゲイル弁護士にとって、極力自分の感情を抑えて犯人と接してきたが最後に、問われたことに返事をしないこと、求められた握手を拒否すること、でもって万感の思いを込めて立ち去っていく姿が、とても良い。黙って立ち去る足音に、テロリストに対する怒りと憎しみといった、一人の子を持つ親としての、人間らしい感情がこもっている。
もうひとりのこの映画の主役、被害者のビリャルにも、心から共感する。たった16歳で片目を失い障害者となった彼の苦しみ、リハビリの痛み、激しく打撃を受けた精神に再び血が通いだすまでの死に物狂いの姿にただただ圧倒される。明日のノルウェーを担う選ばれリーダー資質をもった子供たちを含めた、77人の命が、たった一人の男の暴力によって否定される理不尽。小さな島で逃げ場がない、助けも来ない、恐怖と絶望感の中で殺されていった子供たちの悲鳴が、実にリアルにフイルムで再現されている。ショートパンツにシャツで逃げ回る子供たちに向けて、警官の制服と重装備で冷静沈着、ロボットのように銃を発射させる殺人鬼の姿に言葉を失う。
こういった暴力がいつでも起こりうる社会で私たちは生きている。民主主義が理解されていない。民主主義が体現されていない。極右勢力はいまやヨーロッパだけでなく世界のどこにでも住み着いている。わたしたちはウトヤ島7月22日の出来事を忘れてはいけない。いつまでも覚えていて、怒り続けなければいけない。そう強く思う映画だ。
この映画のタイトルは、「7月22日」だが、もうひとつ「ウトヤ島7月22日」という映画がある。ノルウェーオスロ生まれのエリック ポッペ監督によるノルウェー語の作品だ。ポッペは戦場カメラマンでもあるが、映画「ヒットラーに屈しなかった国王」でアカデミー賞候補になったことがある。これもドキュメンタリータッチで無差別乱射をリアルタイムで描いていて、生存者や遺族の全面的なサポートを受けて作った作品だ。
この映画「7月22日」はアメリカ映画だが、この映画の後、ノルウェーで起きた事件なのにノルウェー語で描かれていないことにノルウェーから怒りの声があがり、ノルウェー語によるノルウェー人俳優だけの、ノルウェー人監督ポッペによる「ウトヤ島7月22日」が作られた、と聞く。
圧倒的な印象を残す実録ドラマ
2011年7月22日、オスロの政府庁舎の駐車場に止められた不審な白いパンが爆発して8名が死亡。その頃ウスヤ島で開かれていた労働党青年部のサマーキャンプに警官を騙った男が訪問、持参した銃火器で69人を射殺した後逮捕される。男の名前はブレイビク。テンプル騎士団の指揮官を自称するブレイビクは自分の弁護士として数年前にネオナチの少年の弁護を担当したリッペスタッドを指名する。
記憶に新しい凄惨な無差別テロをポール・グリーングラス監督が映画化ということで観ないわけにはいかなかったんですが、これは辛過ぎて鑑賞し終わるのに3日かかりました。何の罪もない子供達が次々に凶弾に倒れる冒頭30分、ブレイビクに指名され苦悩しながら弁護に奔走するリッペスタッド、5発の銃弾を受け瀕死の重傷から奇跡的に生還した少年ビリヤルと彼を支える家族と友人、前代未聞のテロに胸を痛めながらも脅威に屈せず政府側の対応に不備がなかったかを追及するストルテンベルグ首相、様々な人々が織りなす幾重にも重なるドラマが圧倒的で、彼らの苦悩を見つめる手持ちカメラの生々しい映像が脳裏にくっきりと残像を残します。
長い
内容どうこうじゃなくて、見る行為が辛い。これ20分くらいでできるんじゃない?
犯罪者が事件後の描写がメインで前が全くない。
お母さん、敢えて市長にする必要はあったのか?
悲劇的な事件だけれども、映画の品質としては、2時間時間かけて見るような作品ではない。
全8件を表示