ROMA ローマのレビュー・感想・評価
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陽
昨年仕事の関係で3回メキシコに行きました。仕事で訪れたその場所には、私自身観光で訪れた時には見えなかったものがありました。それは先住民か非先住民かという線です。
クレアの様な先住民とは、ホテルの掃除をお願いする時、屋台で食べ物を買う時、工場のラインで挨拶する時に会いました。私の様な日本人相手にビジネスをする経営者やホワイトカラーは、決まって白人しかいませんでした。メキシコは2019年になっても今作で描れる風景そのままの階層社会だと感じます。
また、クレアもソフィアも社会階層は違えど男性から虐げられている事が共通しています。現代でも未だマチズモが根強いているかどうかは分かりませんが、男性優位が女性にとって住みやすくない事は明らかです。クレアが「子供が産まれないで欲しかった」と吐露する場面は女性、特に先住民の女性が置かれた厳しい立場を物語っていると思います。
クレアは自分の子供を死産しましたが、ソフィアの子供達を助けました。この海水浴の出来事は、クレアの様な先住民達が身体を張って白人達を支えている事を表している象徴的なシーンだと思います。だからこそ私はこの出来事を美しいとは思えませんでしたし、逆に白人による略奪の歴史を思い出してしまいました。
監督は普段は全く陽が当たらないメキシコ先住民の女性に一筋の光を当てました。クレアを観てると私が出会った先住民の女性達を思い出します。彼女達が少しでも良い方向へ、時代が少しでも良い方向へ動く事はあるのでしょうか。
女性の逞しさ
メキシコの中流白人家庭が舞台。
父親が医師、母親が教師という共働き、子ども4人。
主人公はそこに住み込みで勤める、若いメキシコ人家政婦。
1970~71年の約1年間に、この家庭と家政婦自身の身に、ショックな事が立て続けに起こる。
この話は、人種や地位を超えて「家族」とは何かを考えさせてくれると同時に。
ダメ人間に振り回されて傷ついた女性たちの、魂の再生の物語でもあった。
なるほど、『トゥモロー・ワールド』『(ゼロ・)グラビティ』で見せたような、丁寧な画面作りをしている。
デジタルでいくらでも鮮やかに仕上げられるこの時代に、あえてモノクロームで表現していたが、色がついていたらグロテスクなものもあったし、約49年前という懐かしさを感じさせる点もあったし、実に効果的な手法に思えた。
また、光を考え抜かれたカメラワークによって観る者の色の想像を喚起してくれ、かえってカラフルに感じた。
今のアカデミー賞には、実に合った作品であると思う。
個人的好みとしては悪くないが、エンタメ的ではない。
文芸的といおうか。
私小説のようといおうか。
劇場で集中して観るにはよいが、テレビ画面で観たら、眠くなるのも当然だった。
未だ、小津や木下の映画は、スクリーンじゃないと最後まで観る自信がないのに似て。
それにしても、白人からメキシコ人に至るまで、出てくる男性が全てクソ。
人間のクズの見本市状態なのは困った。
ちなみに犬の糞も出てきます。
対して、女性たちの繊細ながらも、なんと強くて逞しい姿が輝かしいのか。
(男女性差を口にするのはあまり好きじゃないですが、)女性を尊く感じさせてくれる映画でしたね。
一つ付け加えるなら、本作は紛れもなく映画。
調べてみたら、どの配給会社や映画制作会社も、本作に出資せず、監督がどうにか資金を集めて撮り終えた作品をNetflixが買い劇場配給とネット配信したというもの。
ネット配信前提のテレビドラマとは一線を画しています。
我々一人一人の物語。これは、映画である
昨今話題と注目留まらぬネット配信映画。
今年は特に象徴する出来事が。
アカデミー賞に於いてアルフォンソ・キュアロン監督作『ROMA ローマ』が監督賞含む3部門で受賞。
今後さらにネット配信映画の勢いは加速するだろう。
ネット配信映画を見れる環境ではない故、見たくても見れなかった『ROMA ローマ』。
そしたら、アカデミー賞が追い風になったか、全国のイオンシネマとの提携で劇場公開が決定!
隣町にイオンシネマがあり、調べてみたら、上映するではないか!
イヤッホ~!…とばかりに、急遽地元の映画館でも上映が決まった『グリーンブック』より先に観に行って来ました。
1970年代、メキシコシティにある“ローマ地区”。
そこで暮らす中流家庭と、仕える家政婦の日常。
これはもう、小津安二郎の世界だ!
大事件や劇的な出来事は一切起こらない。少なからず当時のメキシコの出来事や事件にも触れられているが、あくまで背景で、平凡な営みを、静かに、淡々と。
一見そうでないように見えて、実は相当の技術力が掛けられている。
白黒の映像美。流麗なカメラワーク。映像の美しさ、見事さは神がかり的!
生活感のある家の中の装飾、雰囲気満点の町並み。ああいう昔も今も変わらない風景って、どの国にもあるんだね。
何気ない日常生活の音。町中の喧騒。地震や森火事や暴動や押し寄せる波の音響などはハイクオリティー。
それらを創り上げ、まとめたキュアロンの手腕は芸術の域。こりゃ監督賞は当然。
確かに玄人好みの作品で、合わない人は合わないかもしれない。
こういう作品を作る時、必ずしも劇的な出来事や歴史的事件を描かなければならないのか。
否!
時代も違う。国も違う。
でも我々は、我々と変わらぬ人々の営みを通じて、その時代、その国、そこで生きた人々の息遣いを見知る事が出来る。
それも映画の在り方、映画を見る醍醐味の一つである。
映画らしい山場/見せ場は無いが、しかしこの一家と家政婦にとっては、平穏だった日常の中に“劇的な”出来事が起きる。
家政婦の恋。妊娠。失恋。破水し、赤ん坊は…。
不満も不自由も無いような家族。が、父の“出張”をきっかけに…。
それぞれの喜怒哀楽。
我が子を亡くし、塞ぎ込む家政婦を、一家は旅行に連れて行く。
海で子供たちが溺れかけ、助ける家政婦。
我が子は助からなかった。胸の内を吐露する。
そんな家政婦を、一家は愛で包み込む。
本作のハイライトと言えよう。
キュアロンの半自伝的物語。
キュアロンの実際の生い立ちとは違うようだが、根底に繋がるものは同じ。
あの時代、あの日、あの家、あの場所、家族や周囲のあの人たち…。
今も目を閉じると、瞼に思い出す。
異国の昔の他人の物語などではない。
我々一人一人の物語。
先日、映画史上屈指のフィルムメイカーが、ネット配信映画は映画じゃないと発言。
はっきり言ってこれは、偏見であり暴言である。
『ROMA ローマ』も元々は劇場公開映画として作られた。しかし映画会社が、こんな映画に金を出せるかと門前払い。そんな時製作の場を与えてくれたのが、たまたまネット配信の会社であっただけ。
映画会社に断られた映画が絶賛され、栄えある賞も受賞し、映画会社の見る目の無さ、ネット配信会社の評価を高めた結果になった。
映画の製作/スタイル/公開法なんて時代によって変わる。
VHSが普及した時も似たような意見があっただろう。DVDやBDへ移り変わる時だって。
それが今は当たり前になった。ネット配信の映画だって、いつかは…。
劇場公開とかネット配信とかでなくとも、本作は紛れもなく一級品の作品。
これは、映画である。
名画である。
美しさに打たれる
とにかく映像が美しい映画でした。
音響も素晴らしかったです。
まるで目の前で起きているかの様なストーリーで、本当に嘘がなく自然でした。
淡々と流している様ですが、目が離せない緻密な脚本だったと思います。
久しぶりに映画を観て泣きました。
厳しい生活とその中に光る人間性をありのままに描いて、この上なく感情を揺さぶられました。
武道の達人のポーズを難なくこなしていたシーンは面白かったです。
凄い映画です。間違いなく劇場で鑑賞する価値のある作品だと感じます。なんなら映画祭などでかかる様な映画でした。
イオンシネマさんありがとうございます。
生涯忘れられないシーンが一つ増えてしまう映画
モノクロ写実主義の、反ハリウッド映画と言うだけでは、こんなに震えたりしない。空を飛ぶ飛行機が足元に映る冒頭の画。最後は実体のある飛行機が飛ぶ空を見上げて終わります。この表現の意図はなんなんだろう。
クレオの病院のシーンは、生涯忘れないと思う。ヤリッツァ・アパリシオがオスカー獲っていたとしても納得する。今年のオリビア・コールマン受賞は、実績からも妥当だと思いますが、アパリシオにまたチャンスが巡って来ますように。
召使いとして働くインディオの少女と支配層の白人。学生運動と革命分子の内ゲバ。メキシコの当時の世相を映す一家の生活を、淡々と、ドキュメンタリーのごとく見せてくれる映画でした。小津的、イタリア映画みたい。確かにそうだが、これがメキシコ映画だ、ってキュアロンは胸を張って言って欲しい。
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追記(3月10日)
時間・時代・歴史等々の「流れに翻弄された人々の物語」と言ってしまえば、それまで。下層の者として蔑まれるインディオの家政婦少女。父親に見捨てられた妻と3人の子供達。その祖母。自分の力で何かを変える事も、止めることもできず、流れに飲まれながら生きることしかできない女達と子供達。
可哀想。いたいたしい。憐れ。傷ましい。不憫。
どんな境遇にあっても、少しだけの小さな愛情があれば良い。大好きだよと言える者が、言ってくれる者がそばにいてくれれば幸せを感じられる。
タイルの床の水膜に映る飛行機は水膜とともに消えてなくなる。飛び去る飛行機は、確かに空の上にあったとしても。不幸も幸せも、悲しみも喜びも、音を立てて飛び去り、通り過ぎ、いつか心の中から消えて行く。不幸は立ち去ることなく、そこにあり続けたとしても。
てな感じ。自分でも理由が判らないが、この映画の「滲み方」は尋常じゃ無かった。しかしながら、最近リピート癖がついている俺でも、二度は見ようと思わない。愛おしいけど辛すぎるんです。そんな絵画の様な美しさを持った映画でした。
映像の力に圧倒され続けるキュアロンの超傑作
アルフォンソ・キュアロン!
時は1970年〜71年、舞台は激動のメキシコ。医者の父親と教師だったと思われる母親、そして祖母と4人の子供たち(長男が当時10歳だったキュアロンとシンクロ)。使用人は3人。広い家に車が2台。当時のメキシコでは結構裕福な家庭だろう。
物語は若い家政婦のクレオを軸に展開する。世の中の喧騒とは距離を置き穏やかに生活していると思いきや、この家庭にとっても激動の1年となった。
クレオの恋、妊娠、ご主人夫婦の危うい関係、などなど問題は絶えないが、雨降って地固まる予感が……
何しろ映像の説得力が凄い。他の作品とは一線を画す稀有な作品と言える。
祝アカデミー賞外国語映画賞、監督賞、撮影賞。
早くも今年の外国映画ベストワンの予感が……
とてもがっかりです。
女は強し…
1970年代の激動のメキシコ。
そこに住む中産階級の一家と
仕えるクレオの物語。
タイルとブラシで掃く音、流される水。
冒頭のシーンでモノクロの世界へ
引き込まれていきました。
一家の主人は女をつくり、4人の子供を
置いて出て行き、クレオの恋人は妊娠を
告げられるとデート中、彼女を置き去りに
姿を消すという始末。
奧さんは自暴自棄になりながらも、
必死に子供達のために踏ん張り、
クレオの妊娠もこんな時だから、
怒り狂うかと思いきや、
まるで家族の事のように受け入れる。
思わず心の中で、ブラボー!(笑)
クレオもただ仕えるという立場ではなく、
愛情を一家に注ぐ。荒れ狂う社会情勢と
重なるように一家にも荒波が打ち寄せる。
最後に一家は海辺へ旅行に出かけ、
奧さんは子供達に、パパは帰らない。
これからは冒険よ!と吹っ切れたように告げる。
冒険、なんてチャーミングな表現かと感嘆。
子供達の悲しみも不安もきっと半分に
なったのではないかと。
クレオは浜辺で、赤ちゃんを産みたくなかったと
家族に吐露し、皆で抱き合うシーンは涙が溢れました。ここで、一家とクレオはほんとうの意味で家族になったと確信をしたのです。…
血の繋がりがある本来の家族は容易に
家族を捨て去り、素性の何一つ知らない
家政婦のクレオが
家族の繋がりを超えた、絆で結ばれる。
万引き家族と同様、家族ってなんなんだ?と
深く問われたし、また人生どん底であっても、
太陽は登り、必ず明日が来る。
生きる、ということを教えられ、
もがきながら前を向こうと挑めるのは、
奥さんもクレオも心豊かな持ち主だったに
違いない。
家族=血の繋がり、という一辺倒な概念は
そろそろ捨てた方がいい、と思えた
感慨深い作品でした。
(ToT)ウソはつけません、つまんなかった
時代やメキシコ風景、人間性を良く描いている
映画的な盛り上がりは皆無だけど
トゥモローワールドの原風景のような
好みが分かれる
傑作
波と空と飛行機
まぎれもない傑作。
監督の子供の頃の思い出のはずなのに、家政婦さんの視点で描かれる。
ただし、あくまで子供の頃に知り得たことに敢えて限定して描いているらしく、主人公が置かれた境遇は、空と飛行機(石川啄木の詩を思い出す)という風景に託されている。ここも巧みなところ。
はじめすごくフェリー二っぽいと思って見ていると、いつも間にか小津になり、笑いもスリルもあり、そして女性として生きることも突きつけてくる。
そして、モチーフの使い方の印象深さ。
冒頭の、水に映った窓を飛行機が横切るシーンで一気に心をつかまれました。
その水が波になりますが、ラスト近くのシーンと対応しています。
彼女の先住民としての社会的な立場と、彼女自身の内面をそのシーンだけで象徴していたことが後からわかり、唸らされました。
2019/3/20 イオンシネマ浦和美園にて再鑑賞。やはり素晴らしかった。
女性の生き方
静かに本を読んでいる様な、映画体験
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