海獣の子供のレビュー・感想・評価
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純粋に感性のみで受け取れる人が楽しめる作品
この作品の楽しみは恐らく物語を理解することにあるのではなく、
目の前に広がる情景を視覚と聴覚と感性で受け取り嗜む所にある。
この映画にて物語を重点的に見て理解しドラマとして楽しむのは
景色を堪能する際そこに存在する様々な物体の位置や角度を計り
その数値の並びに美を感じようとすることに等しく、小難しい上に面白味がない。
故にこの作品は目に映した画を、到底理解の及ばない世界を、
純粋に自分の感覚で受け取ることが真の楽しみ方である。
(そもそも、この作品をヒューマンドラマだかの類として見せたいのなら人間の表情や感情がリアルに伝わる実写映画にする筈だ。本作がアニメ(絵)として表現された以上、実写やCGでは再現できない2次元ならではの描写に着目したのは火を見るより明らかである。)
心に響かない
きれいな映像だけを2時間見せられるつらさ。地に足がついた人間を誰一人描けていないので、そこに共感できるドラマがない。セリフから何から頭に入ってこない。
観念的でも心に響く映画はあるが、それは人間の悲哀を感じるからだ。この映画に人間は感じない。紙芝居の切り絵のようだ。
映画館で見たかった…。
序盤は、ルカがどうで、クジラがこうで、って考えながら見ていましたが、考えているうちに物語が進んでいき置いていかれる気分でした。
祖父と観ていたのですが、説明してと言われても
感じろ!としか言えない作品でした。
空くんが帰ってしまうときにルカに見えた光景がすごく怖かったです。クライマックスでは、瞬きするのを忘れて口を開けて見ていました。絶対映画館で見た方が100億倍すごかったと思います。
すごく、沖縄に行きたくなりました。舞台は沖縄では無いですが。
この作品は言葉で表そうとするのは失礼かなって思います。
難海
『リトル・フォレスト』などで知られる五十嵐大介による数々の賞に輝く同名作コミックを、『鉄コン筋クリート』などで知られる気鋭のスタジオ“STUDIO4℃”がアニメ映画化。
監督は『ドラえもん』に多く携わった渡辺歩、音楽は久石譲、主題歌は原作ファンだという米津玄師…と、協力布陣。
声の出演も芦田愛菜(芦田先生上手過ぎです…)、森崎ウィン、稲垣吾郎、蒼井優、田中泯、富司純子…と、豪華。
才あるスタッフ/キャストが集い、確かに独創的で魅力ある作品なのだが…、賛否両論も分かる。
中学生の少女・琉花は夏休みの初日、部活でトラブルを起こしてしまう。相手が足を掛けてきた事に腹が立ち、肘で相手の顔をぶち、反撃。悪いのは全て琉花にあるとされ…。
心の底では悪いと思っているが、それを口に出して言う事が出来ない。
家では母親がビールを飲んでばかり。母親とコミュニケーションも取れず…。
家にも学校にも居場所が無い琉花は、今は別居している父親が働く水族館へ。小さい頃はよく水族館に通っていた。
そこで出会ったのは…。
その昔、オオカミに育てられた人間の子供の話は有名だが、こちらは驚き!
琉花が出会ったのは何と! ジュゴンに育てられた兄弟…!
これが漫画のフィクションで良かった…。(←当たり前だ!) それでなくともファンタジー!
(にしてもお父さん、「彼はね、ジュゴンに育てられたんだよ」って、フツーの顔して言うか、フツー!)
兄弟でも見た目も性格もまるで違う。
弟の海。黒髪、茶色の眼、浅黒い肌。性格はフレンドリー。
兄の空。金髪、碧眼、白い肌。性格はクール。
海とはすぐ仲良くなるが、空とは初対面が最悪。『耳をすませば』的に言えば、「ヤな奴ヤな奴ヤな奴ヤな奴!」。
が、次第に水族館で彼らと会う事が楽しみとなる。
水族館の船で沖に出たり、子供らしい遊びも。
夏真っ只中。青い海、青い空、白い雲…映像も美しい。
夏アニメは見ていて本当に気持ちいい。
(が、人物キャラは不気味で強烈インパクトキャラも…。特にあのバアサン。)
万人受けしそうなジュブナイル・ファンタジーかと思いきや、予想だにしない展開へ。
そもそも空と海は人間の子供なのか…? 何処から来たのか…?
一応検査などで人間の子供とされているが、時折水に浸からないとダメで、不思議な言動も。
海に“人魂”が落ち、魚たちが光を放ち、鯨が現れ、海の生き物たちが日本へ移動を始める不思議な現象…。
ある時、琉花は空から“隕石”を託され、そして空は…。
一体、何が起きようとしているのか…?
生命や自然界と、ヒト。
海、そして宇宙へ、壮大な展開。
神秘的でイマジネーション溢れる映像や世界観には圧倒される。
例えるなら、『魔法少女まどか☆マギカ』の最終話。
…しかしまあ、難解。『ペンギン・ハイウェイ』もなかなかだったが、テーマ性も含めこちらの方が難しいだろう。
宇宙やこの世界の全て、ヒト個人の不思議、関わり。
海の生き物たちは言葉を発しなくとも伝え合う事が出来るが、人は出来ない。人と人の繋がりは時として複雑だが、だからこそ尊いもの。
家族や学友、そして出会った忘れる事の出来ないひと夏の友達…。
この空や海のように、少女のひと夏の成長譚として、切なく暖かく終わるも、自分の中でも賛否両論。
一度だけでは受け止め切れない。何度か見なくては。
映像がめちゃくちゃ綺麗
主題歌と内容が気になり見ました。正直内容は難しいですし理解不能、一度だけでは難しい。でもそれを思わせないくらいの映像の綺麗さ海の中が魅力的。声優さんも皆さん上手かったです、敢えて言うなら渡辺徹さんは声は良いですがキャラクターが合っていませんでした。
2017年にフィリピンでジュゴンに会いました
ジュゴンは冗談抜きで人間と会話できることを身を持ってもって体験しました。名前をつけるとするならテレパシー通話というものでしょう。昔は人間と共存共栄、一緒に泳いでたそうです。
誰に育てられたとしても魂は宇宙から来ていてその時が来たら地球にある肉体は100%の確率で死に至ります。
魂は宇宙からまた然るべきところへ宿ります。
それらをジュゴンに育てられた子から表現するとするならばこの映画のようになるでしょう。
誰に育てられたとしても両親がいます。
環境を憂うのではなく、自身のすべきこと、ゲストに対して尽くしていくものなのです。
これを絶賛する人が偉いのか?
キャラの癖が強すギルと思った。
言葉選びがキザすぎて、個人的には少し鼻に付く。笑
結局、壮大なテーマに対するなんの解釈も示さずに物語が収束。このテーマになんらかの結論を出すことが難しいのはわかるが、映画に対する否定的な意見が出たとしても、何かわかりやすく提示して欲しかった。
大切なことは言葉では交わさないとか、この映画は考えるものじゃないとか、そんな風にして逃げてるようにしか感じられず。
絶賛してる人に、どの辺が素晴らしいのか純粋に教えてもらいたい。
Don’t think, feel
原作既読。
クライマックスで一気に振り落とされる感じは原作と一緒だったw
映像は原作の絵をそのままアニメにしたようなクオリティーの高さで、作品全体の空気感も五十嵐作品を忠実に再現しようという心意気を感じた。
物語が難解という指摘もあるけど、ただでさえ難解な原作を2時間にぎゅっと圧縮してるんだから「そりゃそうだ」って思うし、この物語を分かりやすく“翻訳”出来たとして、それをしてしまったら「海獣の子供」ではなくなる気もする。
Don’t think, feel
ジュゴンに育てられた少年
夏休みに父の働く水族館に行った女子中学生が主人公、ジュゴンに育てられた同年代の少年と出会う。
あとはよくわからない展開になり、独特の絵を眺めることに。
年齢的についていけなくなったなぁ。
す、凄い! 観に行けばよかった😭
生命誕生の瞬間をかなり遅れながらではありますが、刮目してきました!映像が綺麗過ぎてTVの画面でしたが、それでも画面に呑まれそうな勢いだった。映画館の大きなスクリーンだとどうなっていたか😓
多くは書きませんが、確認用に。
最後のオチは海がルカの母親から生まれた赤ちゃんに、空は祭り開催の狼煙を上げた鯨(台風の目)に転生したってことでいいよね⁈
個人的なアカデミー賞は天気の子ではなく、こっちでした。
追記
私は先述のように解釈していましたが、レビューサイト等を観ていてより有効な説を多数みつけました。まだまだ、感受性が足りていないです。
感性でみる作品
後半にかけてストーリーが哲学的になります。生命って、世界の摂理って、シンプルでいて難解…美しい映像、音楽、ナレーションがあってこそ、この作品は意味を持つと感じました。映画館でみてよかった作品ですね。
是非部屋を真っ暗にして、休日にみて下さい。終わった後は、頭がじーんとして思いを馳せてしまうでしょう。
いい意味で理解しきれない映画(原作未読)
まず見ていてきつかったところを言います。
声優さんです。
有名俳優を起用し、演技派で固めたのは良かったと思います。
が、やはりここは声優が本業ではない俳優さん。
淡々と演技するのが絵ともあってないし、口の動きとも合わせられない。違和感でした。
個々の俳優さん自体は好きなんですけどね…
この声優に関してで星を一つマイナスにしました。
しかし一言、映像美!素晴らしい!!
「祭り」にふさわしいとてつもない情報量、美術感、音響美
そして生命の尊さ、死生観、宗教観
2時間圧倒され続け、鳥肌が立ちまくりでした。
しかし、内容は理解しきれないまま。というか、思考が追いつかない。
この辺は原作を読みしっかり理解していきたいと思います。
まぁ、制作側も完全に理解できてるかどうかは謎ですがね。
たしかに、「考えるな。感じろ。」
初見の方にとってはこの一言で尽きると思います。
美術感的要素にステータスを振った作品でした。
アート ~抽象世界と具体世界の狭間~
【一言でいうと】
「一番大切なことは言葉にならない。」という最後の台詞を大事にしたいですが、
敢えて一言でこの映画を表現するとしたら「アート」でしょう。
生命・宇宙の神秘を地球を舞台にして表現したアートだと感じました。
【原作、音楽について】
原作である五十嵐大介氏の「まずヴィジュアルありき」という作風を一貫して感じる
ことができたし、何よりも映像が美しい。音楽も言わずと知れた久石譲氏とあり、
場面に沿った演出は流石の一言。個人的にはクライマックスに向かう道中の音楽
テンポがコミカルに聞こえ、恐怖感よりも高揚感を表現したかったように感じました。
【分かりにくいについて】
確かに内容的には難しく感じることも多く、解明できていない事象も多いです。
しかし、作品を抽象画と同じような捉え方をしたら少しは心のモヤモヤも晴れるのでは?
そして、大切なことは言葉にならないし、出来ないからこそ、登場人物の発する
言葉は非常に重みを持っています。「宇宙と人は似ている」「この世のほとんどの
モノは見ることすらできない」この非常に抽象的な概念が具体的な海を舞台
として、また、人の行動として具象化されているところが奥深い。
登場人物の発する言葉に集中し、映像的な表現はぼんやりと、ああ、この映像は
こんなことを表現しているのかな?と、ON・OFFを使い分けて観てはどうでしょうか?
(だからこそ映像場面で眠くなるのかもしれませんが・・・笑)
【感じたこと】
この映画はメタ思考(抽象的思考)の大事さを強く感じさせてくれました。
抽象画に近い作品だからこそ、メタ思考が必要となります。
具体的な数値や結果を追い求めることは素晴らしいことですし、大切です。
しかし、逆の考え方もまた同じように大切だと思います。
具体的に起こっている事象をどう捉えるか?末端で起こっていることは、
大きな視点から見たら実はこんなことだった。
そしてそれは末端・全体に関わらず全く同じ動きであった。
このような大きさ視座から物事を見ることができます。
例えば、作品の本筋である生命の営み。
これは末端の生物も地球も同じ原理だったこと。
(地球については作者の創作でしょうが)
私自身が強く納得したのが、「歌」です。鯨の発する「歌」は地球の子守歌であり、
その子守歌は末端である人間の流花にまで伝承していた。
台詞としては出てこないものの、流花はそのことをしっかり体感したでしょう。
この映画で得られたこと。
それは、ものごとを具体的に捉え、抽象的に考えることの大事さ。
生命・宇宙の神秘を映画というアートで伝えてくれ、自身の五感に強い刺激を与えてくれました。
是非原作も読んでみたいと思います。
「なんか凄かったな…」ってなる映画
色彩というよりも線がうねって迫ってくるようなイメージ。話も幻想的で分かり辛く、かと言ってただ美しいだけではない生々しさを感じる。何を言っているかよく分からないと思うが、映画自体も何を言っているのかよく分からないのだ。ただ暴力的なまでに迫ってくる。
原作を読み、楽しみにしていました(超長文)
率直に言って、かなり残念な出来栄えでした。
映像の表現力=最高
物語の表現力=最低の一歩手前
という印象です……。
※以下、勝手な原作考察が交ざった異常な長さの私見です
お目汚し失礼いたします※
あらかじめ断っておくと、なにも原作礼賛をしたいわけではありません。
この映画がなぜこうも「よくわからない」作品になってしまったのか、原作自体が「よくわからない」テイストだから致し方なかったのか、その点についてのだらだらとした感想です。
映像と作中音楽は本当に本当に素晴らしいです。
映像化可能な限界を追求していると感じ、素直に感動して見入ることができました。
特にタイトルまでのイントロ部分などは、そこだけで涙を誘われたほどです。
それだけに、ストーリーの陳腐・矮小化や、作品の芯を捉えられていない点の口惜しさが際立ちます。
確かに、原作は一部難解ですし、抽象的・感覚的な表現や、多元的な数々の要素が入り組んでいます。
五巻分の内容を二時間に落とし込もうとすれば、ある程度割愛・改変を行いつつ再構成しなければならないのは当然です。また、琉花という一人の少女の物語に絞って描いたのも英断だと感じます(「物語を絞って描く」ことは、必ずしもストーリーの陳腐・矮小化を招くわけではありません)が、要素の取捨選択と演出に失敗した結果、むしろ原作以上に難解な、方向性も情報もとっ散らかった映像作品になってしまっている印象です。
上記の印象を最も端的に物語るのが主題歌です。歌詞に原作のキーワードがふんだんに盛り込まれており、良く言えば「原作世界を再現」していますが、悪く言えば「原作の言葉をつぎはぎした表面的なあらすじ」以上の何でもないように見えてしまいます。もっとも、音楽まで含めて一つの曲なので、歌詞だけで一概に批判は行えませんし、あくまで「タイアップ曲」という立場の範囲内で作品に奉仕していると思えば、十分美しい曲には違いないのですが。
こういった物足りなさやちぐはぐさが、映画本編でも随所に感じられます。
ボリュームダウンの工夫として、例えば、作品を解釈する上で重要な役割を占めていた(と個人的には思う)多くの要素がかなり大胆に削られているのですが、その中でもぱっと目に付いたのが下記です。
①「食べられる」こと
②一連の「海にまつわる証言」
原作未読の方のために一応補足しておくと、原作では、光の粒となって霧散した「海の幽霊」が、その光の粒を他の生物に食べられる様子が繰り返し描かれています。また、空が海中へ消える時、他の生物に食い荒らされる様にも、かなり丁寧にページを費しています。
こういった「食べられる」反復描写の先に待っているのが、映画にもある、琉花が元・海だった光の粒を食べる場面です。そう考えると、一番最後の場面だけを映画内で示しても、物語の繋がりも感動も、さっぱり分からないのではないでしょうか。
さらに、「食べられる」ことを「他の生物の栄養となる」と読み替えれば、作品を司る詩の「人は乳房」にも通ずる部分があり、ますます幅広く自由な解釈の余地が生まれます。
したがって、「食べられる」ことは作品にとって相当大切な要素のように思われるのですが、なぜ削られたのか合点がいきません。食事のシーンを丁寧に描写することで補おうと試みたのかもしれませんが、あくまで「食べる」者としての人間の姿しか描かれていないので、片手落ちです。
一方で、「海にまつわる証言」が削られたことにはまだ納得がいきます。
「海にまつわる証言」とは、原作で物語の合間に挿入される、世界各国様々な地域の人から収集したという設定の「海にまつわる不思議な体験談」です。全部で十ほど紹介され、中には登場人物のバックボーンに触れるものもあります。しかし、本編に対して傍流の位置付けなので、そこまで重要視しかねるのも、二時間の映画にこれらまでねじ込むのは難しいと判断するのも妥当でしょう。
しかし、盛り込めないにしても、どうにか他の工夫で補う余地が無かったか……と思われて仕方がありません。
なぜなら、そもそもなぜこの作品に「海にまつわる証言」が必要だったのかという考察にも通じますが、作品自体の構造と主眼についての重要なヒントを孕んでいると思うからです。
「海にまつわる証言」は、時間も場所も人も性質もばらばらで、一見すると互いに(ものによっては本編とさえ)全く無関係な挿話の集合体のようですが、実ははっきりした共通点があります。
第一に、全ての話が徹底して「体験談」に終始します。不気味さや謎めいた雰囲気を持ちますが、怪談ではありません。したがってオチもありません。道徳も教訓もありませんし、答えもありません。淡々と「こういうことがあった」と語るだけの、剥き出しの「体験」そのものなのです。
第二に、「海にまつわる証言」の話者、つまり不思議な「体験」の当事者は、恐れたり、不思議がったりと、受け止め方こそ個々人で異なっていますが、いずれも「体験」が以後の人生に大きな影響を及ぼしています。海に二度と潜れなくなった水中カメラマン、世界中の海を転々とすることになった青年、海洋学者になった女性、失踪した姉を数十年待ち続ける妹……「体験」を経たことにより、生き方が決定的に変わっているのです。
上記の二つの共通点に、映画にもあった台詞ですが、「本番」後のデデの言葉が響いてきます。
「案外… わたしたちが思ってるよりしょっちゅう起きてる現象なのかもしれないよ」
これは、「海にまつわる証言」という下準備があってこそ、すとんと胸に落ちてくる言葉ではないでしょうか。すなわち、「琉花のもとには「少年・海と空」の形で訪れ、人生を変えた海と生命の不思議が、流花のもとだけでなく、世界の様々な場所に、様々な形で現れているのかもしれない」と想起させるのです。
(同様の示唆は、スケールを変えつつ、作中で何度も何度も繰り返されています。感情を届ける鯨の歌、水の記憶、痕跡としての「幽霊」、……この辺りについては、作品終盤の台詞「世界の秘密はそのヒントを、……」が全てを物語っていると思います)
かなり遠回りになってしまいましたが、要は、『海獣の子供』という作品は、それ自体が一つの「海にまつわる証言」として、あまり理由や意味、目的意識、解答提示に囚われず、読者それぞれが「体験」して自由に受け止め、解釈するよう意図して描かれているのではないか、という意見です。
映画内に「海にまつわる証言」を取り入れるも取り入れないももちろん自由ですが、このような構造上の工夫を、しっかり押さえた作劇にぜひともしてほしかったと思います。多くの方の感想に噴出する「分からない」も、もしかするとその何割かは、この点を扱い損ねたことによるかもしれません。
(ちなみに、「分からない」ことは悪でもなんでもありません。この作品は各個人の自由な受け取り方を喚起するものであり、「分からない」もまた、この作品という「体験」に導かれた立派な反応の一つと考えられるからです。「分からない」という感想を侮辱するような意見は、むしろ作品の本質を捉えられていません)
「わざわざ「海にまつわる証言」が無くとも、各自自由に「体験」すればよい作品であることくらい分かるよ」という方も、もちろん大勢いらっしゃるでしょう。「海にまつわる証言」はあくまで作品に対する補助線であり、無くとも作品へのアプローチは可能です。
しかし、この映画では、せっかくの補助線を自ら外したばかりか、あろうことかストーリーラインに解答らしきものをこじつけて純粋な「体験」としての性質を大きく損なっています。
これは受け取る側ではなく、制作した側の悪手に責任があると思います。
映像・音楽の素晴らしさは、まさにそのような「体験」的性質を見事に捉えています。脚本さえ誤らなければ、「体験」としての核心にもっともっと迫ることが出来たのでは……と考えると、無念でなりません。
「ストーリーラインにこじつけられた解答らしきもの」とは、主に終盤の場面、「父母が揃って琉花を助けに来る描写」と「部活メンバーとの和解を示唆する描写」を指しています。
もちろん、映画独自の解釈で原作に無い場面を挿入すること自体は悪くないどころか、必須の工夫です。しかしこの映画において、これらの場面は紛れもなく大失敗だと思われます。場面に至るまでのストーリーの運びも何もなく、唐突に、ご都合的に挟まれた描写でしかない上、作品の方向性と場面の意味するメッセージが全く食い違っているためです。
ちなみに原作の情報を補完すると、まず琉花を助けに来るのは母だけです。母が自らデデに頼み、デデと二人で琉花を救いに向かいます。また、「部活メンバーと和解する描写」は原作には全く無い、完全オリジナルの場面です。代わりに、と言ってはなんですが、映画では省かれた物語後の時間軸として、年老いた琉花の描写があります。この作品は年老いた琉花の場面から始まり、年老いた琉花の場面に戻って終わります。(そもそも『海獣の子供』の物語は、日に焼けた肌にサングラス・サンバイザーという出で立ちの琉花が、モーターボートで海を行きながら、同乗している少年(恐らく孫)に自分のかつての「体験」を語って聞かせたもの、という構造なのです)
ここまでですでに、原作未読の方でも、原作と映画では随分雰囲気が違うんだな、とお感じになるのではないでしょうか。
「父母が揃って琉花を助けに来る描写」、「部活メンバーとの和解を示唆する描写」に、なぜここまで憤っているのかと言うと、作品内でも最も忌避されている、人間社会の一元的な価値観の押し付け、つまり「一般論やステレオタイプの押し付け」に過ぎないからです。
推察するに、ファミリー向け映画として舵を取るための改変なのでしょう。(もしくは、「少女・琉花」のミニマムな物語としてオチをつける意図か……しかし、オチを求める性質の作品でないことはすでに述べたとおりです)とはいえ、人間社会の範疇を飛び出し、人間の理解を超えた現象に遭遇し、世界の秘密に触れる「体験」……「約束」を胸に抱いて人生を送る、という物語の結末が、「ハイお父さんお母さん仲直りして一緒に来てくれました、家族円満、ヨカッタネ」「ハイ部活の仲間とも仲直りできました、ヨカッタネ」では、あんまりと言う他ありません。「本作が『海獣の子供』である」という大前提を取っ払ってさえも、今の時代におけるクリエーションの在り方としてあまりに甘すぎると思います。
ましてこの作品では、人間の認知世界や社会・常識・思想・言語がいかに狭いか、その外側に、いかに豊かで開けた世界があるかを謳い続けています。人間社会に居場所が見つからず、そこを飛び出して海と空に出会った琉花が、さして脈絡も無くまた狭い社会に戻っていくというのは、なんとも作品の主眼を蔑ろにした作劇ではないでしょうか。
(話が逸れますが、芦田愛菜さんという役者について、「ステレオタイプの演技をさらにコテコテに塗り固めて演じる人」という印象だったので、琉花役と知った時、不器用と豊かな感性を兼ね備えたナイーブな琉花の像に、果たして彼女の演技がマッチするのか懸念がありました。予告の「夏は、体が軽いっ」は悪い意味で期待に違わず、ああやっぱり……と落胆しました。ところが、いざ鑑賞を終えて抱いたのは、これほど陳腐化したストーリーであれば、芦田さんの演技は却ってマッチしていたかもな、という皮肉な感想です。息遣いや呻きなどのちょっとした演技は素敵だったのですが、およそ台詞めいたことを喋らせると、良くも悪くも『芦田愛菜』が前面に出てしまっている気がします)
ストーリーが台無しでも、映像と音楽はとにかく素晴らしかったことを、重ねて最後に申し上げます。
こんなとんでもない長さのレビューを読んでくださり、どうもありがとうございました!
歌や絵は最高だが
絵は綺麗で米津さんの歌も素晴らしいなんだけど、肝心の内容が全く意味不明。
いやいや、大切なことは言葉にならないって甘えじゃん。
作者が美大出身ってことで納得。これ、セリフを適当につけただけの画集だわ。
ちなみに原作を見れば分かるという方もおられるが、原作もメッセージは全くわからないorかなり陳腐なものです。
ハイビスカスの美しさ
「こういうテーマなんだろうけど、なぜこういう展開になるのかがよくわからん」などと思いながら、怒涛のアート映像を浴びせかけられる。画力は、なるほど凄まじいものがあり一見の価値はある。
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