劇場公開日 2019年5月31日

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「ザにほんえいがのひとつ」さよならくちびる 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

1.5ザにほんえいがのひとつ

2020年8月12日
PCから投稿

個人的に思っている日本映画の一定義なんですが、
日本映画はモラトリアムなにんげんを描いている。
日本映画はモラトリアムな作家によってつくられている。
日本映画はモラトリアムな人々に好まれる。

この定義は、おおくの日本映画に合致してしまう。と思います。
才能はそこそこだけれど、なまいきに生きる──じぶんのダメさを、わかっちゃいるんだけど、まだめくってないページがあるんじゃなかろうか、まだ出会えていないインベスターがいるんじゃなかろうか・・・そこはかとない希望をたずさえながら、とくにすごい努力するわけでもなく←ここ重要、現実に屈服したフリをしながら生きる──と、日本映画ができあがる。ような気がします。

そこそこの才能、あまり努力はしてない、からめとられる現実→からの諦観→からの哀感→「等身大」という共感を獲得。
──日本映画の常套手段だと思います。

ハルレオの音楽性は個人的にはぜんぜんですが、このてが好かれることは知っています。それは映画と共通する感慨でもありました。映画も個人的にはぜんぜんですが、雰囲気が好まれる映画だとは思いました。

個人的な音楽嗜好ですが、歌詞に露骨な人生の励まし、直截な悲哀があるとムリです。反吐が出ます。絵音のmiwa評に賛同してます。
岡村孝子に「あなたの夢をあきらめないで」という一節がありますが、正常な大人がそれを聴いて勇気づけられるとは思いません。直截表現は、個人的には歌詞じゃありません。
田園に「空のミルク瓶にタンポポ刺すあいつ」という一節がありますが、たとえば「希望」を表現するなら、そのような点景や寓意に変換すべきです。それが詞の仕事であるはずです。
また、ふたりのボーカル、パート分離してました?聴いたかぎりぜんぶユニゾンだった。気がします。デュオ、しかも二人で並んで歌うもろデュオでハーモニーしないのは妙でした。
じっさいにハルレオの映画中オーディエンスは中高生であって、ならばかれらも、意味ありげに低回せず、ポップに生きていたほうが、音楽性に合致していたのではないか──と思いました。

人は悲しむことができますが、障壁のないところで、悲しがってはいけません。雰囲気で持っていける映画ですが、映画は雰囲気で持っていっちゃいけません。と思います。
映画も音楽も、そこそこなのであれば、そんなにタメ=もったいぶった空気感をつくっちゃいけないわけです。日本映画ってなんでタメるんですかねえ。いつもの日本映画だと思います。個人的に篠原ゆき子がお気にで一瞬だけなごみました。

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津次郎