「子宮感覚で時間が流れる」ハナレイ・ベイ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
子宮感覚で時間が流れる
不思議な作品である。吉田羊とカウアイ警察署の警官の妻以外は、出演者も原作者も監督もすべて男だが、何故か映画を観ている間ずっと、主人公と息子が、彼の産まれてきた子宮を媒体として繋がり続けているような感覚を覚えた。
吉田羊が演じた主人公サチはあまり母性を感じない表情で、母性よりも知性が勝っているように見えるし、そういう生き方をしているように見える。読んでいる英文の本は表紙にBlack Catと書かれていたから、おそらくエドガー・アラン・ポーの「黒猫」だと思うが、その辺りも知性的な彼女の性格を表現している気がする。
淡々と月日が過ぎていく映画だが、印象的な台詞はいくつかある。中でも村上虹郎の「わかっていないのはおばさんの方だよ」という台詞は、知性で物を考えようとする彼女に対して、人と人とはそういうものじゃないと異を唱えているように聞こえる。
知人の女性から子供について聞いたことだが、いつでもママのお腹に戻っておいでと思うそうである。男にはわからないはずのそんな感情が、この映画には底流となって流れているように感じる。生まれた大地、血のつながり、時の流れ、そして宇宙と、主人公の子宮から世界が広がるような、または主人公の子宮の中に宇宙のすべてがあるような、そんな気にさせる作品であった。
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