「人生はつらい」読まれなかった小説 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
人生はつらい
大学を卒業したばかりの主人公シナンは、まだ若くて一貫性がない。若者らしく既存の価値観を否定するのはいいのだが、その一方で父親を非難する拠り所は既存の価値観だ。
人間は元々整合性に欠ける存在である。理想を言えば言うほど、そしてその理想が高ければ高いほど、整合性は損なわれる。理想と現実が一致することは決してあり得ず、ふたつの乖離はひとりの人間の存在に現れる。
主人公はそこのところが理解できておらず、父親を非難し、母親を傷つける。職業作家のスレイマンが主人公の矛盾を鋭く指摘すると、今度は相手の人格攻撃をはじめる。更にそれを指摘されると、そんなつもりではないと誤魔化す。
実に感情移入しにくい主人公であり、観客として戸惑うところである。シナンが議論を吹きかける相手は世代的に上の人間たちだ。大学を出ても恵まれない自分の身の上から、社会に対して敵愾心を持つのである。中島みゆきの「世情」という歌を思い出した。歌詞に次の一節がある。
シュプレヒコールの波通り過ぎてゆく
変わらない夢を流れに求めて
時の流れを止めて変わらない夢を
見たがる者たちと闘うため
中島みゆきらしく不思議にわかりにくい歌詞だが、保守と革新のせめぎ合いの中に人間の哀れな本質を嘆いている歌詞だと思う。つまり世の中の支配層は自分たちの支配が続いて不自由のない生活が続くことを願い、被支配層は世の中が変わって貧しい生活から脱却出来ることを願う。そのために支配層である権力者と闘うのだ。生活の維持向上を願っている点はどちらも同じである。
富の公平な分配は凡そ実現困難で、たとえ共産主義の国になろうとも、分配を司る者と分配を受ける者たちとの間で否応なしに格差が生まれる。それはロシアを見ても中国を見ても明らかだ。そして権力者による公平な分配は安定と画一を生み、社会を停滞させる。格差はダイナミズムであり、社会や文明が発展する力になる。人間は本質的に格差が好きなのだ。中国経済は富の分配を縮小した途端に飛躍的に成長した。
格差は否応なしに存在する。スポーツに熱狂する人は格差を愛する人である。スポーツに限らず、優劣を決めるのは格の違いを決めることだ。勝負の世界に平等はない。
格差をなくして自由平等な世界を作ろうとするシュプレヒコールの波は、必ず壁に突き当たって挫折する。格差を認めて自分だけ上の方に這い上がろうとするのが人間の悲しい性であるからだ。格差を乗り越えて巨万の富を得る者が出現することがあり、アメリカン・ドリームと呼ばれる。日本語で言えば単なる成金だ。
本作品はトルコ経済の厳しい現状の中で、人々が何を悩み、何を求めているのかを切実に描き出す。就職の狭き門、無為で無益な兵役、朝食の小遣いにも不自由する年配者、ギャンブルにしか楽しみを見いだせない文化度の低い社会、そしてイスラム教。
政治にも宗教にも救われない苦しい生活の中で、それでも人々は日々の生活に小さな喜びを見出しながら生きていく。井戸を掘って水が出れば農家が楽になるという父の夢は、冷めた息子にどのように映っていたのか。
延々と会話の続く作品だが、登場人物それぞれに知識や考え方が偏っている上に学者のようなニュートラルな議論ができないから、会話に未来はない。でこぼこ道に水たまりが残るような、そんな会話ばかりだ。それは主人公の自省の欠如に由来する。その傲岸不遜な性格はさておき、主人公の言葉の端々には家族に対する思いやりや優しさ、感謝の気持ちが微かに感じられる。特にラストシーンだ。そのあたりが本作品の救いだと思う。