劇場公開日 2019年11月29日

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「短編を集めた長編映画だと思う。」読まれなかった小説 ku-chanさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0短編を集めた長編映画だと思う。

2019年11月27日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

この映画を見始めた時、すぐ、これは私の好きなタイプの映画だと感じた。この映画は主人公シナンが大学を卒業して故郷の田舎に帰ってくるところから始まる。バスから降りた途端、宝石屋の店主が、『お父さんが金を借りているので返してほしい』とシナンに声を掛ける。父親ドリスは地方の教員だが、シナンの母親に言わせると言葉のいいまわしに優れていて、それが魅力で惚れたと。賭け事で身上を潰してしまい、電気も止められてしまっているが、ドリスがいかに文才があるか息子シナンに証明する。
シナンは父親に似て、文才があるからきっと『Ahlat Ağacı』という私小説のような文学作品が書けたにちがいないが。。シナンのまわりのなかで、彼の父親だけが、シナンの作品を読んだなんて、父親を尊敬していないシナンが兵役を終わって戻ってきて再会した時初めてわかった。このシーンでこの二人の気持ちが通じ合っているのがよくわかる。文才のある二人の会話は文学的で、母親が言うようにドリスの言葉の使い方が粋だ(字幕で見ているのが残念)。長い間いがみ合って親子関係に摩擦があった二人が初めて落ち着いて自分たちをさらけ出していく。
シナンはカミュやガルシア・マルケスの肖像画のある本屋で地元の作家に偶然に会って、話しかけ心に秘めていた質問をし自分の作品『Ahlat Ağacı』読んで欲しいというが断られる。私にとって、この会話が深く高尚すぎて理解できないところがあったので、もう一度見てみたい。この二人の会話はかなり深く詳細で会話の質が高いのでここだけでも短編小説になれるようだ。

全体的に、シナンと母親との会話や、シナンと父親との会話、シナンと作家の会話、シナンと友達同士の会話(アラーの有無)それぞれの会話が気高く考え抜いた内容の物語になっているから、それぞれを独立させてもいいようにも思うが、このようにバラエテーがあり熟思された会話を聴くと、これらのシナンの取り巻きの人々がシナンを文学青年に育てた環境だと思う。この映画の脚本家と話してみたい。

最後にこの題の『Ahlat Ağacı』The Wild Pear Tree の意味を考えてみると、父親の言葉で、朝ごはんに食べてみたら美味しかったといっている。ゴツゴツした見かけに良くない野生の梨の木だがなる実はおいしいという意味は父親ドリスと息子シナンの関係のように、お互いにわかりあえないことも多い関係だが、二人の関係にはきっと実を結んだ時、味がある関係になる(なった)ということだとおもう。

それに、トルコの教職員免許取得の受験地獄、モスリムの国であるがこれからの宗教、純文学、私小説の軽視で商戦やコマーシャルになれる流行文学重視。これらの問題点も監督のヌーリ ジェイラン監督は投げかけていると思う。深くて思案に思案を重ねた作品だと思う。

私にとっては鑑賞後も気になっている映画なんです。昨夜も頭のなかで、シナンが父親ドリスの家の前に一緒に座ってはなしていることを考えてみました。ジェイラン監督の作品を何作かみたことがあるんですが、全ての作品は私好みなんです。彼が主役になっている映画もあったかと思います。人間関係を深く密接に描く映画は自分自身の人間関係と照らし合わして考えられるので、文化背景が異なっても普遍性があるので好きです。
私の経験からなんですが、中東映画の良さは詩歌、宗教など私にとってまだ未知で歴史の深さを感じさせるだけでなく、人の心を読んだり雰囲気で感じるより、文章や会話が長く、言いたいことを明確にして主張するという点が素晴らしいです。

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