それからのレビュー・感想・評価
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チャンカンマン
また、かなり不思議で難解なモノクローム映像である。BGMもまるで昔のレコードを鳴らしているように、ブツブツと雑音が入ったような効果で、ここぞと言うときに演出されているタイミングである。
映像演出もパンやズームが家庭用ビデオカメラで撮っているような、表現は悪いが『安っぽい』表現になっているのも益々ミステリーを掻立てる。そして、題名は、まさしく夏目漱石の三部作の一つであり、ラストシーンで、女性にプレゼントする本である。
さて、ならば本作のストーリーと、漱石の作品と、一体どんな関係、又はオーバーラップなのか、影響要素があるのかというと、全く無学であり、文学的素養もない自分には、恥ずかしながらその関係性を見出すことは出来なかった。結局、共通項があるとすれば、本作では男が我が娘の姿を見て心を入れ替える、漱石作品では、主人公の男が、本当に好きな女の為に全てを捨てる、その覚悟みたいなものに帰着するということなのだが、しかしその帰着までの経過がまるで繋がっていないので、無関係の作品として捉えてしまうのである。観る人が観れば、違った解釈があり、そしてそのイマジネーションも又豊富なのだろうけど・・・
それよりも、単体で本作の鑑賞後の印象自体を感じた方が良いと思う。なので、漱石の作品や、それ自体の題名は、実際のところ雑音、ミスリードに陥ってしまい、折角の良さを殺してしまうのではないだろうか。
男の優柔不断さ、女の怖さやしたたかさ、そして働き出した女の一風変わった考え、宗教観や倫理観みたいなものが、それこそ、漱石の言うところの『ニル・アドミラリ』に通づるところで、一種、菩薩のような悟りで、そのおとぼけのようなキャラが、修羅場に絶妙のアクセントを水面に石を投げるように波紋が拡がるイメージを浮かび上がらせる印象である。
何のことはない浮気とそれがバレ、そしてそこに巻き込まれる無関係の女という、映像というより、演劇作品に近い造りなのだが、これもまた、ホン・サンス文学なのだろう。そういえば、漱石も“私小説”、そして監督も虚実入り交じるストーリー展開、こういうことが共有しているのかな?シーンの時系列がかなり難解なので、その繫ぎ合せも又苦労する作品であるが、これも又“ワールド”w
強烈な作家性、韓流アートであることは確かである。
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