軍中楽園のレビュー・感想・評価
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『2.28事件』を題材にしたホウ・シャオシェン監督の『悲情城市』と同じテーマだ。
『2.28事件』を題材にしたホウ・シャオシェン監督の『悲情城市』と同じテーマだ。
2.28事件とは国民党軍の台湾人民に対する弾圧である。市民を守るはずの軍隊が、同国民を虐殺する事件である。
この映画も、哀愁を漂わせて、涙を誘う作りになっているが、女性の人格を否定して、女性を防共(共産主義からの防衛)の道具として扱っている。そう考えて、コミカルな場面や、涙を誘う場面や、夢のような場面は、全てアイロニーと判断することした。
中華人民共和国のある中国大陸を目の前に、国防(防共)と言う大義名分をかかげ、緊張感をあおっているが、その緊張する兵士を慰安すると称して、女性を食い物にする鬼畜行為を、国民党軍は国家ぐるみで行ってきた。それは言論の自由になってから、1992年まで続くのだ。
カイロ宣言以降、連合軍の後押しで、日本軍の武装解除の為に、蒋介石率いる国民党政府軍が、大陸よりやってきた。それが、台湾に国民党政府を置くきっかけになり、更に、2.28事件がきっかけで、その後、李登輝総統が刑法を改正して『言論の自由』が認められる1987年迄の間、国民党政府は、台湾全土に戒厳令を引き、台湾人を弾圧し続けた。つまり、台湾は、本省人(元からの台湾人)と外省人(大陸からやってきた主に漢民族)と二分される。そして、国民党は外省人であっても、中国共産党との関係を疑い、弾圧して、4,000人近くが処刑され、約130,000人が投獄された。(詳細はきちんとした文献で確かめて貰いたい。Wikipediaから一部引用)
僕の台湾に対するイメージは、軍事国家で防共の為に存在している国と理解していた。なお、安倍元総理の祖父の岸信介は蒋介石と親密であった事は、僕の時代の人達なら、誰でも知っている。
しかし、現在の台湾政府は、蒋介石の起こした白色テロを否定していて、中正紀念堂にある蒋介石の銅像を撤去する話まである。
『1つとか、2つの中国』と割り切れない事情が、台湾側にはあるのだ。
金門島の位置をGoogle Earthとかで見てみることをお薦めする。緊張する位置だ。
追伸 あってはならない『従軍慰安所』が『言論の自由』が叫ばれてから、5年間も存在していたなんて、とんでもない事だ。がしかし、本当に無くなったのだろうか?僕は昭和32年生まれだが、昭和33年の『売春防止法』の制定まで赤線があったと親父に聞かされた。がしかし、自由で民主的なクールな日本に、それと似た様な場所がまだあると聞く。
立ち上がれ!女性諸君!馬鹿な男の食い物にされるな!
俯瞰した言い方ですみません。
昭和色の日本映画だった
おじさん向け昭和エレジー。切なかった。戻れない川。過去へ戻れる人間は居ない。だから前に進むしかない。
娼婦アジャオの言う事が、一々胸にグサっと来るから。男達に踏みつけられた卑しい女と結婚出来るのか。綺麗なモノを欲しいと思うのはいけないことか。毎日顔を見る度に娼館を思い出す。などなど。この娘の生き方が、結構好き。正直に欲しいものを求めてただけで。
娼館を取り巻く男女の話は、リアルでありながら暗くなり過ぎる事もなく、切なさばかりが胸に残った。
日本では、もうこんな映画、誰も撮ってくれないんだろうなぁ、残念ながら。と思いながら劇場を後にしました。
かなり好き。女優さんの美しさ抜きにしても。
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2/26追記
愚かなるもの。汝の名は女なり。
イヤー、そうとも限らんわけで。
男性陣は、こう。
*本土から台湾へ逃げ渡る国民軍に攫われるようにして、連れて来られた士官長は、故郷の許嫁を思い出させる、瓜二つね娼婦との結婚を夢見る。
*家が金持ちであることへのやっかみから、小隊の苛めに遭っていた男は、心折れた娼婦を恋し、二人で島を逃れて海峡を渡ろうとする。
*初めての経験の相手を心に決めていた男は、恋い焦がれていたはずの娼館の女との「初夜」から逃げ出してしまう。
一方の女性陣。
*欲するものを欲し続け、自分の置かれた卑しい立場に涙した女は、その正直さゆえに絞殺される。
*娼館で身ごもった子を産む女。
*放火殺人の罪の軽減のために娼館に身を投じ、ただただ時の過ぎるのを待つ女。
渡った川は、もう戻れない。
総じて言うと、男の方が愚かだったと思う。恋心ゆえに「間違えた」川を渡る。娼館の女は、不幸で哀しい立場にありながら、強かでもあり、川を見つめる冷たさもあって。
愚かなる男達の戦中の恋心。渡ってしまえば元に戻れないが、渡らなければ手に入らない幸せもある。誰も彼もの気持ちが、よーーーーく判るだけに、心に滲みる映画でした。
River of No return
所謂、華流映画のカテゴリーに入るのであろうか、しかしコンセプトは中々シビアで政治的でもある作品だ。しかしそのやりきれない不条理さはアジア映画(除日本)そのものである。
日本には耳の痛い題材である『慰安所』が舞台である。第二次世界大戦直後に中国では、国民党が共産党との戦いの中で台湾に逃げ込み、台中戦争が勃発する中、台湾側では徴兵制がとられ、その軍律を維持するために国営の風俗所が作られ、日々その軍人達の欲望を吐出させる為の行為が行なわれていた。主人公の徴兵された若者は、獰猛と恐れられていた上長をひょんなことから助けることになる。そのお返しなのか、慰安所の管理に転属された男は、その異様な雰囲気に戸惑いを覚えながらも、持ち前の真面目さで仕事に励む。話の筋は三本であり、主人公が惹かれる慰安婦の一人の旦那を殺した罪の減免で慰安に志願した女。次に主人公の親友が、家が裕福なために壮絶な虐めを受け、その中で別の慰安婦を好きになり、二人で台湾から脱獄する話。そして主人公の上長の悲しい過去である、大陸から無理矢理兵士として連れてこられ、生き別れになった母親に想いを寄せながら、許嫁と顔が似ている慰安婦を愛する話。特に上長と主人公の関係が、正に親子のような兄弟のように心を通わせ始める。しかし、運命は思い通りには行かず、それぞれの幸せ、そして現実への諦観などがどんどんと登場人物達を悲しみに堕としてゆく。それは閉じられた特殊な世界の中で、藻掻き苦しむヒューマンドラマなのである。結局は三様共ハッピーエンドに成就せず、ほろ苦いラストを向えるのだが、監督の優しさが滲み出ている部分がラストの、もし皆想いを遂げられていたらというシチュエーションでのスナップ写真や風景を流していたところである。観客の落ち込んだ気持ちをこうして救ってくれる構成は秀逸である。自分の一番の泣きのシーンは、慰安婦に裏切られた上長が逆上し殺めてしまい、軍に捕まってしまう。上長の私物を預かった主人公は、しかし、その私物である、思い出の靴や故郷への未達の手紙を燃やしてしまう。なぜならば主人公は不憫に思った故、その手紙を自分の力で故郷の母親に送ってあげると優しい嘘を上長についてしまっていたのである。もう送られることがない手紙、そして悲しい嘘。自分のしでかした罪に苛む主人公の号泣シーンには、かなり胸を打たれた。そもそもが登場人物が総て理不尽にも、人生を翻弄され、今の現実に連れてこられた悲しい立場故の悲劇なのである。アバンタイトルの『それは運命だったのだと・・・』の言葉が非常に重く、心を揺さぶられる作品である。最後に本作のテーマとは関係無いが、中国系映画の、オーバーリアクション(※所謂、ジャッキー・チェン的動作や演技)は、こういうところでも影響されていたのがコミカルだが、必要だったのだろうか、それともデファクトなのだろうか?一寸思った次第であるw
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