劇場公開日 2018年7月7日

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「マドンナのいる青春」君が君で君だ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0マドンナのいる青春

2018年8月9日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

 かつて通っていた大学のフランス文学科は総勢66人のうち、男子44人に対して女子が22人だった。受講する科目は人それぞれなので、同じクラスといっても必ずしも仲がよくなる訳でもなく、男女比も特に意味を持たなかった。
 しかし22名の女学生の中にひとりだけ、おっとりした育ちのいい感じの美人がいた。入学して間もなく、同じ仏文科のクラスの男子学生のほとんどが彼女をとても好きになった。誰もが彼女と会えることを楽しみに通学していたと思う。もちろん当方もそのひとりであったが、多くの男子たちと同様に、彼女と付き合いたいというよりも、遠くから眺めていることで満足していた。それは2次元のアイドルを大切にするオタクたちの心理に似ていて、彼女の存在が心の中にある灯のように光と熱を与えてくれていた。しかし心の奥底で、いつかみんなに祝福されながら彼女と結ばれることを微かに夢見ている部分もあった。文学部だったので彼女を漱石の「坊ちゃん」に出てくるマドンナと重ね合わせ、いつしか男子学生は皆、彼女を名前ではなくマドンナと呼ぶようになった。
 この映画を見て、学生時代を思い出し、マドンナを思い出した。マドンナのいた4年間の学生生活は、マドンナのいない4年間を考えてみたとき、かなりマシな4年間だったと思う。本作品の3人の若者たちにとって、韓国人女性のソンはマドンナだったのである。マドンナは彼女でもなく、恋人でもなく、ましてや婚約者でもなく、マドンナはマドンナなのだ。そしてただ生きているだけで自分たちの心に灯をともしてくれる、あたたかい存在なのである。

 池松壮亮がいい。この世界に何の望みも持てなくても、彼女を見つめていることで生きていけるという若者独特の気持ちを、ストレートにではなく様々な行動や言葉、表情であぶりだすように表現する。物語が進んでいくのにつれて、彼らの気持ちがだんだんわかってくる。その気持ちは次第に、向井理が演じたチンピラにも伝わっていく。心に灯をともす存在は誰にとっても必要な存在なのである。
 必死で青春を生きた彼らの姿に、人生の切なさがこみあげてくる。人の心を上手に描いた佳作である。

耶馬英彦