15時17分、パリ行きのレビュー・感想・評価
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勇気と行動
この作品はあくまでも列車内で起きた事件に対して、勇気と行動を見せた3人のただの若者の物語であり、そこにテロリズムへの警鐘とか、衝撃的なドラマ性とかはほぼなし。
映画としても彼らのバックグラウンドストーリーがほとんどを占めており、幼少期はヤンチャしたり、大人になっても変わらず友人とスカイプで話をしたり、そして旅行に行き、観光して写真を撮って、はしゃぎ過ぎて二日酔い…などあくまでも普通の人々の普通の過ごし方をしていた3人が画面にいるので、ラストに向けた電車内のシーンは緊迫感が高まる。
「ほんの少しの勇気と行動が誰かを救うかもしれない」という勇敢な若者たちのストーリーをきちんと描いた映画。
ここで評価が分かれるのは、実話ゆえに展開としては淡々としていることと実際に本人たちが演じている再現ドラマのようだということ。
実際の事件を本人たちが演じるということは映画制作的には新しい試みとも言えるし、実話なのでドラマティックな展開はない。
この辺が評価が分かれると思う。実際に事件に遭遇した人間がそれをやるというのは感動的なのかもしれないが、個人的にはそこまで意義は感じなかったかな。
ただ、イーストウッド監督がこの勇敢な若者たちの物語を映画としてあらゆる世代に伝えたいという想いは大なり小なり感じられたのかなと
14時05分の回で見ました
事件の当事者を本人が演じていると聞いて驚いたが、ラストの表彰式の実写映像に至ったところで合点が行った。同じ顔の面々がそこに居並ぶのを見て、本編からすんなりつながるのだ。
核となる事件そのものは短時間の出来事なので、どう映画にするのかと思っていたら、いきなり小学生の頃のエピソードから始まる。なるほど、テロ事件が起きた時間から逆算して、その場に導かれた3人の運命の転変を俯瞰して見せる構造かと。
彼らが偶然その列車に乗り合わせなかったら大惨事になったかもしれない(事実同年の11月にはパリで同時多発テロが起きて130人が亡くなっている)。落ちこぼれのレッテルを貼られていたような人間も、何かのきっかけで重要な役割を担うこともある。そうした運命の不思議を際立たせるために、それ以外の日常の描写を重ねていく手法は間違ってはいない。
クリント・イーストウッド監督はこのところ、老齢にしてどの映画にも堂々たる演出力を見せている。既に確固たる文体を手にしたと言ってもいいと思う。
演技力に!
たまたま車両に軍人が乗っていて、迅速かつ的確な行動でテロリストに立ち向かい、人命救助をした!という実話。
本当に迅速過ぎたし(本来ならとても素晴らしい事である!)、事実に映画的要素を肉付けするという部分では、やはり物足りないし、弱さがあるなぁと思います。
でもフィクションし過ぎず、大袈裟にやらなかったのもある意味評価できるかなと。
本人…と思いながら観ると、全員演技が上手すぎる。
子供時代のストーリーは特に回収されてはいないが、映画的に魅力のある本人を演じてるというのは、なかなか不思議な感覚でした。
オーディオコメンタリーやメイキングがあるなら是非観たいです。
うーん
役者が本人なのはすごいけどシンプルに面白くないなぁ
イーストウッドの他の実話系は好きだったから、多分題材が悪いんじゃないかと思う。これ必要なのかなぁと思う観光シーンが終わってやっとメインの列車シーンだ!と思ったら予想外に犯人が一瞬で取り押さえられる。
そしてあっという間にエンディング。そりゃ三人ともすごいけどさ、映画にできるような内容じゃないよ。世界仰天ニュースレベルだよ。
退屈な内容に意味があるとは。
90分という、短めの映画の中に、まぁ恐らく短い事件をどのように映画に入れてくるのかと思っていたら、初めの60分間くらいは、親友3人の馴れ初めと、ヨーロッパ旅行が延々と流れていく時間に、退屈した。
事件のことも、映画のこともあまり知らずに見に行ったせいか、3人の演技は全然普通だし、息がぴったりあっていてすごいな、、、誰だろ。と思ってみていた。
ヨーロッパ旅行の合間にも、サブリミナルに事件のシーンがカットインしてきたため、深刻な事件だったんだなぁと思ってみたあとの後半戦、事件自体は解決し、3人に栄誉が与えられたシーンで終わる。
なんだこれは。正直思った。事件の解決方法や、3人の気持ちの変化が、馴れ初め~事件が終わるまでに表現されていて、初志貫徹の素晴らしいストーリーだとは思ったものの、前半の退屈、事件の単純さが入り交じり、いい映画とは思わずに終わった。
エンドロール、早めに帰らなくて本当によかった。
ん?3人のキャスト、同じ名前…
3人とも、本人であることに最後に気づいた時鳥肌が凄かった。
それならば、3人の息ぴったりさも、実際の映像シーンの荒い映像も理解できる。
実話だが、ドラマチックにするために少し手を加えたという注釈も、なんだか心温まるものであった。
この映画は、単純にストーリーとか演技とかでは測れない、本当の実話だった。ので、点数は甘め。
ハドソン川の奇跡は本当に感動したが、さすが、としか言いようがない。
事実を再現しても映画にならないということ
タイトルの列車に乗ったら、テロと遭遇して、一念発起ししてやっつけた、そういう映画。
で、それを、本人が再現している・・・
となると「映画」なんだかどうかってことになるのだけれど、映画としては、そこんところだけでは映画にならないので、その前にお話があります。
でね、その前のところがあまりにツマラナイ。
工夫も何もない。
たしかに、一市民の青年三人(でも、ふたりは軍人)の若い時ってそんなに面白ことなどないだろうが、それをみせられて「映画」にならない。
結果として、彼らの英雄的行為を再現するだけの取り組みになってしまい、最近の実録映画ばかり撮っているクリント・イーストウッド監督の中でもいちばんツマラナイ作品になった、と思います。
あなたはとっさに動けるか?
誰しもヒーローのように常に緊張し、そのことばかりに対応しているわけではない。退屈で平凡な日常が人生のほとんどの時間だ。
だからこそ「イザ!」という時に、英雄的行動のスイッチを弾き入れ、瞬時に自らを切り替えることがどれほど難しいことなのか。。。
続く観光シーンに退屈を感じている人ほど(どっぷりつかっている人ほど)、そしてその後の決定的瞬間に興奮した人ほど(イザというとき冷静でいられない人ほど)難しいのではないかと感じる。
もちろんたいがいの人がそんな具合のはず。
本作品は、それら落差を見せつけることで現実を体感させることが、喚起することが狙いの映画と鑑賞した。
これがまたシンプル極まる仕組みながら、毎度キレキレの手腕を見せるイーストウッドに脱帽。
本人出演もカッコ良すぎず、むしろ好感を持つ。
障害じゃなくて、運命
昨今、男の子によくある特性が発達障害と呼ばれたり、
男性ホルモンの内包する暴力性が、社会にとって悪しきものであるとして否定・排除されたりと、
男の子にとってはとにかく受難の時代である。
男性が男性として存在すること自体が否定されているようである。
けれどその暴力性も、道徳心や倫理観、信仰心と合わされば
こんなにも皆の役に立つものになる、というより
男の子の暴力的特性というのは、本来こうやって社会で用いられるためのものなのであると、はっきり説明している。
平和のための道具になりたい、という
彼の無私の祈りの美しさに泣いた。
最後のシーン、なぜか平昌オリンピックでメダルをとった
日本女子カーリングチームが、地元の北見市に凱旋した時の
場面が浮かぶ。
チームに参加するに至るまでの、それぞれの経緯。
オリンピックでの試合内容。
映画も、本人たちの意志や努力もあるにはあるけれど、
それよりも支配的なのは、運命というものは予め決められていて
誰もがそこへ向かって動かされているだけという
キリスト教の予定説の世界観である。
もう決まっているのだから、人は何も迷う必要はない。
やることは、ただ自分の運命を信じるだけ、なのである。
定められた運命へ向かって動く人生が描かれている。
叩かれがちな、男の子が生まれ持つ特性もまた
善悪の裁きや人智を超えた、この世で何らかの意味のある
運命の一部なのである。
その運命をこうして俯瞰的に、全肯定的に描くことで
アメリカの男の子、息子たちへの愛という
監督の偉大な父性も感じられる。ほとんど神聖なものの域である。
愛するとは、運命を肯定することである。
映画館を出た時、同じ回で観ていた他の観客のカップルの
男の子の方だけがとても感激していた。
男の子は、自分の生に何か意味があるということに
憧れるのでしょうね。
セルフィ
「父親からの星条旗」や「アメリカン・スナイパー」でのヒーローと違って、この映画のヒーローは心の暗さが表面に出てこない。子供の頃はいろいろと悩んだけど、成長して克服していく。
自分で自分を演じることにもためらいがないように見えた。3人とも表裏がない素直な性格なのだろう。女の子には淡泊。そういう素直さが英雄的な行動を可能にしたのだろう。
観光旅行の場面が若者の素人っぽさが強調されていて面白かった。自撮り棒で自分を獲るセルフィが好きな若者。女の子をナンパする場面はアマチュアがプロを相手にしている感じ。ホステルで部屋を案内する女性を下から見上げたシーンのカメラもおどおどした感じで、若者の視線を意識した感じ。
幼少期も青年期も鬱屈していたにせよ、周囲に反抗することなく育ったように描かれていたのが気になった。
よかった
幼馴染の友情物語がとてもよかった。テロリストとの戦いがほんの一瞬だったのだがめちゃくちゃリアルだった。3人でリンチみたいにしているところがよかった。
観光場面はいくらなんでもというレベルで退屈だった。
3人の英雄の話。
これは、実話を本人たちがドキュメントや再現VTRとして出演したものだと思ってみるとちょうどいいかんじ。
サクラメントで育った3人の悪ガキ。小学校でもたびたび校長室に呼ばれ、親も呼び出されるようなタイプ。
そのアメリカ人3人がヨーロッパに行って単純に旅行を楽しむ。ローマ・アムステルダムとドイツ、その後はパリへ特急で向かう。
その車内で銃を持った男が暴れ出すが3人によって取り押さえられる。他の乗客で撃たれた人もいたが、軍隊内で学んだ止血方法を実践し、救助を待つ。
銃乱射事件が重要ではなく、その時に役立ったことはそれぞれの生い立ちや学習したことがそこにつながっている。その描き方はウッド監督さすが。
中心の3人は実際の3人だが、役者でもないのにリアリティあるお芝居、いや芝居ではなく再現しただけなのか。
こういう映画の作り方もあるんだ、と思った。
派手さはない、でも印象に残った
絶景も華麗なスタントもイケメン美女のラブシーンもない。
途中の旅行シーンはまるで映画というより紀行番組かホームビデオのようで、ごく普通の人間のごく普通の日常ばかりを映している。
でもそんな彼らがひとつの悲劇を阻止した。それが偶然なのか必然なのか神の導きなのか。この映画は実話を元にしたドキュメンタリーだそうだが、現実は小説より奇なりとはこのようなことをいうのかと思った。
実話という完全武装
「ハドソン川の奇跡」でもちらほらと本人出演や実際のシチュエーションに限りなく近付けるまさしく現実の完全記録のようなことをしていたが、今回もその完全記録さが、主役に本人出演というネクストレベルへと進んだなぁという印象。
ただ映画としてどうか?という評価が非常に難しく、物語は本当のことであるためケチのつけようがない。人の人生に対して「ここが面白くない」なんて言えないし(笑)
映画の話の流れでは、幼少期から運命の瞬間に至るまでの経緯が淡々と描写されている。
幼い頃からシングルマザーの家庭だから子供に問題が起きやすいなどという偏見を受けたり、自由奔放な性格のため周囲の大人から冷ややかな態度を取られたりと、世間のレッテル貼(こうあるべき、こうでなければ変という型にはめようとする風潮)に逆らってきた、戦ってきたという描写がある。だからこそあの運命の瞬間に動くことが出来たのか?というとそうではなく、彼らが幼い頃からの夢であった「人を助けたい」という思いと、軍の訓練を受けていたからこそのような気がするのである。
「アメリカン・スナイパー」ははっきりしたメッセージ性があり映画的な演出もそのメッセージに向かって洗練されていた。
「ハドソン川の奇跡」はクライマックスがチープなCGの検証映像だった(これ以外にやりようもないが)のが少し物足りなかったが、間違えていること・人に対して「それは間違っている!」と上から抑えつけるのではなく、優しく愛がありちょこっとユーモアを交えるという大人な解決方法に感銘を受けた。
本作はというと完璧だしケチのつけようがないし、ラストの当日の映像への繋ぎ方なんて違和感が全くなくすごいのだが、、、強いて言えば味付けがない。映画としての雑味、旨味がないといったところであろうか。なんだかものすごくオーガニックで健康的な料理を食べた後の物足りなさに近い(笑)←私個人の偏見です。
ジャンクフードも好きな私には正直に言って物足りない!!(言ってしまった)
主人公の幼少期から15時17分発の電車に乗ったその日
一生懸命やっても、親からも教師からもクラスメイトからもがっかりされてしまう嫌がられてしまう不甲斐なかった子ども時代。幼い頃から夢見ていた夢にあともうひとつのところで手が届かなかった過去。人を助けたい、単純かもしれないけれどその青年にとってはとても大きな夢で、自分を誇りに思うための大切な夢、そんな夢が叶った。怪我人はでたけれど犠牲者はでなかったから言ってもいいかな?…良かったね、おめでとう!あなたは凄い人だよ素晴らしい人なんだよと、男性に言いたくなった。電車内から無事な乗客が続々と降りていくときの彼の顔、なんとも言えない観て感じてほしい、私は泣きそうになった。彼の今までの努力も悔しさも全部報われた気がした。彼は今何をしているんだろう、幸せかな?
事件のシーンは少ないです
でも、だからこそリアルでした。
楽しい旅行記のシーンが長く続いた後で突然それが起こる…
誰しもテロに遭遇し得るという事と、その瞬間どう行動するか何が出来るかを問いかけたんですよね。
でも他のレビューの方達の言う通り、確かに犯人側の背景描写が皆無でバランス悪くも感じました。
”アメリカンヒーロー三部作”は、映画人としての矜恃
87歳にしてほぼ毎年、作品を世に出し続ける老匠クリント・イーストウッド監督の最新作。
近作「アメリカン・スナイパー」(2015)、「ハドソン川の奇跡」(2016)に続く本作は、またしても"事実に基づいた英雄"を描いており、これで"アメリカンヒーロー三部作"となった。しかしながら3作品とも"英雄の姿"が異なる。これは明らかにイーストウッド監督が意図したものに違いない。
映画興行の世界では、マーベル(ディズニー/MCU)の"アベンシャーズ"や、DC(ワーナー)の"ジャスティス・リーグ"のヒーローが、もてはやされているが、イーストウッド監督はあたかも"本物のヒーロー"を宣言しているようにも見える。これは映画人としての矜恃(きょうじ)なのかもしれない。
本作は、ユーロを走る高速列車"タリス"車内で2015年8月21日に発生したテロ事件、"タリス銃乱射事件"の映画化である。列車内でイスラム過激派の男が銃を乱射し、パニックが起きたが、たまたま乗り合わせた休暇中のアメリカ軍人2名と大学生1名が犯人を取り押さえ、大惨事を免れた事件である。
3人は幼なじみで、休暇を使った観光旅行中であり、事件の列車に偶然乗り合わせただけである。突然おとずれた緊迫の一瞬に、"そのとき、人は何をなすべきなのか"を問う。
テロ映画でありながら、テロ事件シーンはわずか10分だけ。あとは、幼なじみで親友同士のスペンサー、アレク、アンソニーの3人の出会いから現在に至る回想と、3人のヨーロッパ観光旅行のドキュメンタリーである。
お世辞にも映画的な題材とは言えない。本作におけるイーストウッド監督の凄さは、こんなにも映像的に地味な話を、感動作に持っていくワザである。
何者でもない普通の若者の、ありえない実体験を描くために取った手法は、主人公の若者3人、スペンサー、アレク、アンソニーを、なんとスペンサー、アレク、アンソニー本人が演じている。
巨匠の映画のメインキャストをプロの俳優ではなく、ドシロウトが演じているのだ。ところが94分という短めの尺で、計算されたカットやシーンメイク、脚本のセリフ、編集テクニックによって、ドキュメンタリー的なリアリティが生まれており、アマチュアの演技なのにそれをカバーして、感じさせない。
もちろん本職が軍人なので、肉体だけは屈強であるものの、イケメンでもなんでもない。
たとえは飛躍的だが、まるでシロウト素材を使いこなして、商業作品レベルに仕上げてしまう欽ちゃん(萩本欽一)の域である。老匠は達観すると、こういうマジックを使うのか・・・。
一方で、映像はできるだけドキュメンタリー的であるために、今回は手持ちカメラを含めた、普通の2K(フルHD)機材にアナモルフィックレンズを使い、普通のシネスコ映画に仕上げている。「ハドソン川の奇跡」のような6.5KカメラによるIMAX超解像度ではなく、画質的にはつまらない。
(2018/3/3/ユナイテッドシネマ豊洲/シネスコ/字幕:松浦美奈)
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