ローマンという名の男 信念の行方のレビュー・感想・評価
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変わる社会と変わらない信念
有能だが、冴えない見た目と難のある性格を抱え、事務所で裏方として働く人権弁護士・ローマン。この映画は、事務所の共同経営者・ウィリアムが倒れたことで、ローマンの人生に訪れた「変化」を描く骨太なドラマだ。
面白そうだな~、とは思っていたけど、想像以上にハイレベルな面白さだった。
ローマンは約40年間変化のない男である。同じアパートに住み、服装もアップデートされない。
公民権運動の時代の空気感のまま、その時代に感じた信念に身を捧げ、己に忠実に生きてきた。
ローマンの目には、信念と立ち向かうべき壁しか映らない。そんな彼を支えてきたのは、ウィリアムという「揺るぎない土台」であり、ウィリアムを失ったことでローマンは変化の波へと放り込まれる。
流れ出した時の中で、ローマンは新しい出会いを迎える。ウィリアムの後輩だというやり手弁護士のジョージは、ローマンの有能さを見抜き、自分の事務所へと招く。
ジョージのやり方に反発したローマンが活路を求め、訪ねた先で出会う人権活動家のマヤは、ローマンを活動の先達として尊敬するが、集会に招かれたローマンは「公民権時代」のまま停止してしまった信念と世代のギャップを痛感させられる事になる。
時代から取り残されたようなローマンのアパートを囲むように、建設途中のビルが何度もスクリーンに写し出される。ローマンの人権への思い自体は現代でも充分に通用するし、長い間取り組み続けてきた不屈の精神は驚嘆すべきものだ。
だが、集会では若い女性に「騎士道」という女性蔑視スレスレの信念を指摘され、職場では同僚に「拝金主義」という偏見を押し付けるローマンは、実のところ周りが見えていないのである。
とはいえ、当のローマンはそんな俯瞰した視点を持てるわけがなく、器用さを持ち合わせてもいないのだから、彼に絶望するなというのは土台無理な話だ。担当した依頼人の司法取引に失敗し、寄り添うはずだった「弱き者」を守りきれなかったことも災いした。
守秘義務を破り懸賞金を手にしたローマンは、今までの生き方を捨て、何もかも忘れて羽根を伸ばし、極端なくらい現状に適応しようとする。
ビーチで波に興じるローマン。浅瀬から見る水平線は遥か遠く、沖合いに見える船にすら届きそうもない。その昔、駆け出しのジョージにウィリアムがかけた言葉が思い出される。
「どうした、浅瀬でもうギブアップか?」
ローマンはジョージがもがいた浅瀬より、もっと進んできたはずなのに、それでも理想の水平はまだあんなにも遠く、進めば進むほど足は海底を離れて支えを失ってしまう。
イタリア製の靴を履き、新調したスーツに身を包み、事務所の仕事に馴染んでいくローマンとは裏腹に、ジョージは経営の安定を図りつつも無料弁護に力を入れていく方針を打ち出す。人生の大半を信念に費やした男の姿が、ジョージに忘れていた理想を思い出させたから。
ジョージがローマンと違うのは、理想に身も心も捧げ視野を狭めるのではなく、「稼ぐ」と「闘う」を両立させようとしたところだ。
ウィリアムも成せなかったことを、ローマンの力を借りて継承していこうとしたのである。
もう一方の出会いだったマヤも、自分の正義感が行き過ぎているのではないか?この信念に人生を賭けていいのか?という揺らぎを抱えていた。
そんな彼女にとって、ローマンは不器用でありつつも、マヤを肯定してくれる存在。信念と共に生きていく素晴らしさをマヤが感じられるのは、ローマンのような人がいて、その人たちが道を示してくれたから、に他ならない。
堕ちていくローマンと、他ならぬローマンその人に背中を押されて高まっていく二人の対比が抜群に良い。
理想に目が眩み、依頼人を死なせ、あろうことかその情報を元に利益を得たことで、ローマンはギャングに命を狙われる事になる。そうなって初めて、己の罪を感じたローマンは本当の意味で「依頼人」と同じ目線に立つことが出来た。
思想の中にしか存在していなかった「権利を侵害される者たち」と、同じ苦しみを抱えたことが、ローマンを真の意味で「闘う男」にしたと言えるだろう。
ローマン自身はウィリアムと同様、何も形にすることが無いまま闘いの舞台から去る事になった。それでもマヤには信念を貫く闘志が、ジョージには信念を形にする武器が継承されていく。
託されたブルドッグは、マヤたちを守るように凛々しく、集団訴訟の書類を携えたジョージの背中は大勢の遺志を背負うのに相応しい覚悟に満ちている。
緻密な筋立てと、要所に効く演出。そしてデンゼル・ワシントンとコリン・ファレルの演技が高次元で昇華する、見応えのある映画だった。
娯楽性と社会性を兼ね備えたこんな素晴らしい映画が、なぜ劇場未公開なのか理解不能。
公民権運動にあまり馴染みがないから、日本ではウケない、ってことなのか。面白かっただけにちょっと淋しいよね。
タイトルなし
デンゼル・ワシントンが信念を貫き通す姿、自らの信念を裏切り、経済的には豊かになった生き生きした姿、自分の過ちを指摘され、再び自分を取り戻していく姿の3シーンを演出と共に上手く演じ分けている。弁護士事務所代表のコリン・ファレルが切れ者弁護士を演じ、格好いい。地味だが良作。
過ちから正し、培われていく信念
『フェンス』に続き、デンゼル・ワシントンがオスカーにノミネートされながらも、またしても日本未公開となった本作。
本国アメリカでも決して作品評価は高いものではなく、興行的にも不発。デンゼルの演技は絶賛されたものの、『The Disaster Artist』のジェームズ・フランコのスキャンダル疑惑が無ければ彼がノミネートされて、デンゼルはノミネートされてなかったくらいのギリギリライン。
デンゼルの数ある主演作の中でもあっという間に忘れられるというか、ほとんど知られていないくらい地味っちゃあ地味だが、個人的にはなかなか見応えあったと思う。
人権派弁護士のローマン・J・イズラエル。
弁護士としての才能はあるものの、長年法廷には立たず、恩師である弁護士のパートナーとして、裏方に徹してきた。
ある日、パートナーが病に倒れ、赤字続きだった事務所の閉鎖が決定。
彼の才能を高く評価したエリート弁護士に引き抜かれ、その下で働く事になるが…。
何と言っても、デンゼルの凝った役作りや演技が見もの。
スターオーラを消し、体重を増やし、冴えない風貌。唯一目立つのは、アフロヘアだけ。
ローマンの人物性格も、口下手、人付き合いが苦手、時々まどろっこしい言い方もする。余計な事を言って相手に毛嫌いされる事もしばしば。
が、金や自分の名声なんかより、依頼人の身になって親身に真剣に向き合ってくれる。
何より、どんな些細な間違いや不正に黙っていられない。
長年、司法制度変革案を書き溜めている。
メチャ頼り無さげではあるが、ついこの弁護士に相談したくなる。
数々の名作での名演、現在公開中の『イコライザー2』などで披露しているキレッキレのアクションも素晴らしいが、デンゼルの人柄滲み出る役柄に感じた。
そんなローマンに運命の分かれ道が…。
表舞台に立って改めて知った、司法の現実。
ビジネス優先。間違いや不正など誰も気にも留めず、指摘してもその声は一切届かない。
生真面目な自分だけが馬鹿を見る。いつだって貧乏くじ。
法の世界に全てを捧げてきて、家庭は持たず。狭いアパートに帰れば、寂しい独り暮らし。隣は夜なのに条令違反の工事中。
何故、自分だけついてない…?
周りの弁護士は皆、甘い汁を吸っている。
恩師と二人三脚でやってきたこれまでの険しい道、何より確固たる信念は理想に過ぎなかったのか…?
彼の中で何かが崩れた…。
弁護士でありながら守秘義務に違反してある密告をし、懸賞金を手に入れる。
初めて甘い汁を吸う。
これは、恵みなのだ。
誰かだってやった事ある筈。
自分もその大勢の中の一人になっただけ。ちょっとおこぼれを頂戴しただけ。
…が、元々生真面目な善人がそれに耐えられる訳が無い。
ヤバい筋に命を狙われる事になるが、それ以上に、自責の念に押し潰される…。
人は変化する生き物だ。
環境や境遇に応じ、変化を受け入れるのは人として自然な事だ。
が、自身の信念を偽ってまで変化したら、自分が自分じゃなくなる。
ローマンはローマンだから良かった。
周りの色に染まった彼に、相談したいという気持ちは薄れてしまった。
変化と言えば、ローマンを引き抜いたエリート弁護士。
当初はビジネス優先。
が、ローマンの信念に触れ、考えが変わり始める。
ビジネスも大事だが、ローマンのように依頼人の立場に立ち、無料相談を始める。
時にローマンと意見が対し、やがて彼を信じ、彼を案じる。
コリン・ファレルが好演。
変わりはしなかったが、人権運動団体の女性は、次の世代のローマンだ。
愚かに変わってしまったのは、他でもない、自分だけなのだ。
人は弱く、脆い。
幾度も迷い、悩み、躓き、挫け…。
ならば、信念は何処に…?
…いや、確固な信念など元々無いのだ。
過ちに気付き、後悔し、正す。
そうやって信念というものは培われていく。
そんな人間臭い信念こそ、信じ、引き継がれていく。
社会的な自殺、復讐としての他殺。
本国でも作品評価がよろしくなく、結局日本でもDVDスルーになってしまった一作だけれども、個人的にはなかなか楽しめるいい映画だった。こういう映画と出会うといつも気づかされるのだが私は多分「過ちを犯す人間のこころの動き」をドラマに見るのが好きなのだと思う。だから私はヒーロー映画が苦手だったりする。
原題の"Roman J. Israel, Esq."にある"Esq."の意味が分からず、なんなら読み方すら分からないな、なんて思って調べてみた。主に法曹界で使われている敬称らしく、この映画の主人公ローマンのように自ら"Esq."をつけて名乗るのは珍しいことのよう。でもこの映画の場合、ローマンがそうして"Esq."を付けて名乗っているところに、彼自身の人としての尊厳の高さや、法律家であることに対する責任感のようなものが表現されているように思え、"Esq."の敬称に恥じぬ人間であらんとする彼の人となりを知る一つの手がかりとして効果的だと感じた。そう、彼は見た目こそ時代遅れの洗練されない衣服をまとってはいるものの、人としての気位や品格の高い善良な人物。そんな善良な男の正義感やモラリティがぐらりと傾き、彼を法や倫理に反した行動へと手招いていく様子と、その時に生じるこころの揺らぎがドラマティックに描かれたなかなか良質な社会派ドラマだったと思う。
この映画の中には3人のローマン・J・イズラエル,Esq.がいた。優秀だけれどもひどく内向的で老いも隠しきれない一人目のローマン。そしてある悪事に手を染めたことによって皮肉にもみるみる洗練され自信を獲得していくローマン。そしてその悪事が表沙汰となり始めたところから一度は見失いかけた自らの信念と直面していくもっとも裸に近いローマン・J・イズラエル,Esq.。一人の人間でありながら、置かれた状況によってその様子を見事に演じ分けるデンゼル・ワシントンのベテランの奥義が素晴らしくて、名優とはこういうものだというのを見せつけられるかのよう。そして対抗するコリン・ファレルがまた冷静かつパワフルな演技で向き合っていて実に充実した演技対決。物語の「善良な人間が悪事の誘惑に負け人生が大きく狂わされていく・・・」というプロット自体にはさほど目新しさはないものの、そこに二人の熱量の高い演技と、「ナイトクローラー」の晴れ晴れしい実績も記憶に新しいダン・ギルロイ監督のシャープな演出が作品を一気にグレードアップさせていたと思う。
ただどうしても納得がいかないのが結末部分で、悪事が露見し逃げ場を失ったローマンがその後にする行動には、ローマンが元来善人であることを確かめるような強調しか存在せず、さらに彼を銃口が狙うことでローマンに同情を寄せさせ、更には銃声が響くことで彼の禊がさも済まされてしまったかのような印象操作を感じてしまい、ローマンの償いや自らの信念に背いたことに対する自責と言う部分があまりにも簡潔かつ表面的に済まされてしまったような気がしてならなかった。ローマンほどの人格者であるならば、禊も済まされぬうちに銃で撃たれるのは不本意であるはずだ。何しろ彼は社会的に自殺しようとした人間だ。己の人権を奪ってほしいと法に呼び掛けた男だ。それを復讐の他殺で決着をつけるのはあまりに安易だ。私はアメリカの法制度に疎いので、ローマンがあの銃弾に伏したのか辛くも生還し裁判が行われようとしているのかはちょっと理解できなかったが、いずれにしても、悪事に手を染めた後のローマンに対してあまりに甘い結末ではなかったか?と思ってしまった。
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