「「観る」から「作品の舞台へ赴く」への飛躍的進化。」アバター ウェイ・オブ・ウォーター image_taroさんの映画レビュー(感想・評価)
「観る」から「作品の舞台へ赴く」への飛躍的進化。
IMAX HFR 3Dにて2回、2Dにて1回鑑賞した上でこのレビューを書いている。映画館での鑑賞というのは、少なからず「観る」以上の「体験する」レベルの鑑賞となるが…この作品はさらに上を行く感じだ。前作を観た時にも「映画を観に行くという感覚を超え、映画というポータルを通してパンドラという星を体験しに行く感じ」との感想を持ったが…今回、その行った先の「実在感」が激増し状態なのである。もはや作品の舞台へ赴いて、登場人物たちと共に体験しているかの如く。特筆すべきは、なんと言っても海中のシーンの美しさ。全く筆舌に尽くし難いとはこのこと。実際に体験してもらうほかない。
プロモーションでは今回のテーマが「家族の絆」であることが触れられていたが…確かにそういう側面が前面に押し出されていることは間違いない。ただし、実に巧妙で上手いなと思わされたのは、そういう表向きのモチーフにさりげなく繋がるような形で、「自分は何者なのか?」という根源的なテーマが頭をもたげるようになっていて、そういう意味で「出自としての自分の家族はどこなのか?」という形で静かに物語が深化していくようになっている。そもそもサリー一家の中で純粋なナヴィはネイティリただひとりであり、きょうだい達は皆アバターとの混血種で、そのことによる疎外感を味わわずにはいられないし、養子として迎えられているキリに至ってはなぜどのようにして生まれるに至ったのかさえ定かではない。更に、注目すべきキャラクターはスカイ・ピープルのスパイダーで、ナヴィと生活を共にしてはいるが、クオリッチ大佐の息子であることが明言されている。そしてこの父と子…息子の方にも、DNAを受け継いだアバターである「リコンビナント」としてのクオリッチ大佐の方にも、ささやかに葛藤を感じさせる描写がなされていて、「善vs悪」「ナヴィvsスカイ・ピープル」という構図に少しずつ揺らぎが生まれるような仕掛けがなされている。この辺りが、今後どのように物語に影響していくのか…
ジェームズ・キャメロンは常に普遍性の高い(ある意味では神話的なレベルと言ってもいいほどに)シンプルで分かりやすい(悪く言えば捻りがない、新鮮味がないと批判もされる)ストーリーで攻めてくるのだが(おかげで考える必要がないので映像に集中できる!)、今回はそこにさりげなく伏線を張っているようにお見受けした。どんな展開が待っているのか、次の物語を楽しみに待とう。