「悪意の政治家と尻尾を振るだけの役人たち」僕の帰る場所 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
悪意の政治家と尻尾を振るだけの役人たち
子供たちの演技は驚くほど上手である。それもそのはずで、父親以外は実際のビルマ人の母子が演じている。上映後の舞台挨拶でそう話していた。当時7歳のお兄ちゃんはそれなりに演技をしていたが、当時3歳の弟は気持ちのままに声を出したり動いたりしていたそうだ。自然な演技は当然である。
作品は坦々としたストーリーだが、頼るあてもない異国の地で身分の保証もなくその日暮らしを続ける心細さが伝わってくる。かといって故国に帰っても仕事はなく、生活の目処が立たない。軍事政権からアウンサンスーチーに権力が移っても、庶民の生活が改善されるまでにはまだまだ時間がかかるのだ。
そもそも子供たちと豊かに暮らすために世界3位の経済大国に来たのだ。みんなを連れてきた夫としては、帰る選択肢は考えにくい。ビルマで培ってきたそれなりの技術はある。難民認定が受けられれば単純労働ではない職に就くことができる。そう考えてひたすら我慢の日々を送るが、入国管理局はなかなか認定してくれない。
入国管理局の役人も公務員である。日本国憲法第15条第2項の規定のとおり、すべて公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない。しかし、ほとんどの役人は自分が国民のために尽力する下僕であることを忘れて、法律の番人だと誤解している。だから番犬が吠えるみたいに、窓口に来た人々に吠える。そういえば先ごろ五輪担当相に選ばれた大臣は「選んでくれた総理大臣のために任務を果たす」と言っていた。大臣が特別公務員であることも知らないのだろう。
働き方改革では、労働者の権利を守る労働基準法の徹底を図ろうとする労働基準局は何も動かなかった。そして今回の出入国管理法の変更は、犯罪者が入ってくるのを防ごうとする入国管理局の役割と真っ向から対立するはずだが、入国管理局は何も発言しない。
役人も政治家も公務員である。たしかに権力は政治家に集中しているが、その権力は国民から信託されたものだ。だから一般の公務員も特別公務員に対して物が言えるはずだが、役人は皆、権力を背負った政治家の前に出ると、飼い犬のように尻尾を振るだけである。少しは役人としての矜持を見せたらどうなのだろうか。
悪意のある政治家と、唯々諾々と従うだけの役人たちのおかげで、日本ではこれからも外国人労働者は低賃金の繰り返し単純労働に従事させられ、資本主義らしい酷薄な搾取をされ続けるだろう。そういう扱いが外国人労働者だけでなく、日本人の99パーセントにまで広がるのはそう遠い先のことではない。