スリー・ビルボードのレビュー・感想・評価
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孤立と怒りと愛の物語
丁寧な造りでモヤモヤと考えさせられる、実に観応えがあるたいへん好みのタイプの映画でした。
観始めのころは、狂気のような怒りに支配されたミルドレッドと底抜けにカスすぎるディクソンの泥沼対決が予測されたため、「これは葛城事件ばりの地獄映画かも…」と戦慄しながら観てましたが、ちゃんとヒューマンな展開があり、地獄感は中盤まででしたね。
娘を殺されたミルドレッドの怒りはもっともです。しかし、看板からは犯人というよりも警察へ怒りが向けられていました。DVで別れた元夫は元警察官。また、娘の死の遠因には彼女自身の態度も影響している。その罪悪感を抱えきれていない。娘のためといったシンプルなものではなく、もっと彼女自身のグチャグチャした怒りが看板に現れていたと感じました。だから街の人たちから反感を買ったのだと思います。
なぜそうなったのか。ミルドレッドの心を支える人が皆無だからだと思います。というよりも、ミルドレッドは誰かに支えられたことがなかったのかもしれない。
もうひとりの主人公・ディクソン。ディクソンの描写は秀逸でしたね。彼の背景が見えてくるのは中盤以降なので、前半はただのクズ野郎です。だが彼もクズに生きざるを得ない歴史があった。ひとりの人間として認めてくれる存在がなく、漂いながら不満を周囲にブチまけて生きるしかなかった。
つまり、ミルドレッドとディクソンは2人とも精神的に孤立しているという共通点がありました。孤立状態はそれだけで追い詰められているので、怒りには怒りで対抗するしかない。なので、前半はヤバい雰囲気満点でした。
しかし、ディクソンは中盤に自殺したウィロビーから手紙をもって認められます。ディクソンはこの一撃で大きく変わります。この時、彼は初めて自分には生きる価値がある、と実感できたのではないでしょうか。何せ、崇拝していたウィロビーからの承認ですからね。利害関係抜きに存在を認められることは、もうひとりぼっちではない、と感じられるのだと思います。
ウィロビーは死んでいないけど関係ない。その体験は永遠でしょう。
そして図らずしもミルドレッドにも、体を張って助けてくれるジェームズが現れます。ミルドレッドはディクソンのように一瞬で変わる訳ではないですが、これ以降彼女は静かに変化していったのかな、と想像。だからこそ、元夫のガールフレンドの「怒りは怒りを来す」が入ったのではないでしょうか。
ディクソンの変容シーンで使われた愛という言葉ですが、これは2人以上いないと発生しない概念ですよね。孤立によって怒る、当たるしかできなかったミルドレッドとディクソンが、愛を知り、その結果わずかに赦しに近づいていく。
なので個人的には、本作は愛の物語だと思いました。
音楽も映像も洗練されていて魅力たっぷり。3人目の主人公とも言えるウィロビー署長をはじめ、看板屋レッドや19歳のガールフレンド・ペネロペ(ルックスも超好み)とか、脇を固めるキャラもグレート。
些細なシーンですが、ディクソンが新しい黒人署長から、容疑者が軍に所属し国外にいた、との話を聞いた時に、まったく想像できなかったのが強く印象に残ってます。ホワイトトラッシュがどんだけ世界に興味がないかを伝えており、かなり衝撃受けましたね。そりゃトランプ支持されるわ。
しかし、犯罪においての対応がかなり現実的ではなく、ちょっと冷めますね。少なくともディクソンがレッドをボコったことが不問にされるのはおかしいだろ、と思います。この辺は本作のアキレス腱だと感じています。あれじゃあミルドレッドの娘の殺人犯捕まんないわ。もしくはアメリカの警官ってあんな行動が許されるものなのだろうか。
また、ウィロビー署長の自殺も物語を進めるためには必要なのかも、とは思いますが、ちょっと腑に落ちないです。犯人が軍関係者だから秘密を守るために自殺、と見ることもできるのかな、とは思いますが、あいつそこまでVipかな。
めちゃくちゃ面白い映画でしたが、上記の点で、Loveまでは行かなかったです。
(おっと、愛の映画なのに笑)
SNS時代の問題点を浮き彫りに
なるほど、噂通りのすごい映画だったけど、私にはちょっと恐ろしい映画だった
アメリカ ミズーリ州の小さな田舎町エビング
娘がレイプされ、殺されてしまい、未だ犯人が逮捕されないミルドレッド
そんな彼女は警察の不手際を告発する3枚の看板を立てる
その看板をきっかけに静かだった田舎町の町民を巻き込み、さまざまな事件を引き起こしていく
心の声を活字にすると、読み手によって、それは暴力にもなり得ると思った
ミルドレッドがしたことは、まさに現在、私たちがツイッターやインスタやフェイスブックを使って、様々なできごとに対し批判や抗議をしているのと何も変わらない
そこにあるのは、正義感かもしれないし、悔しさや憎しみといった負の感情かもしれない
私たちはツイートすることで世間に問題を提起し、なんだか良いことをしたかのような気分になる
賛同してくれる者もいれば、反対する者もいて、両者が議論をしているうちは良いけれど
それはいつしか「魔女狩り」へと発展していってしまう
「文字」というものは読み手によって様々な感情を引き起こし、問題をエスカレートさせるだけなのだ
それでは、レイプ事件だけでなく、人種差別や偏見といった問題は何も解決しないのだ
これは、まさに今の時代だからこその作品だと思った
アメリカの南部の田舎町が、何でできているのかを観た気がしたし
ラストの晴れやかな表情が私の気持ちを暗澹とさせる映画だった
一筋縄ではいかない人間の表裏
町山智弘さんのオススメで観に行った作品。
人は見かけによらないと言う話。
理不尽な殺され方をした娘の母の話といえば
何だか可哀想にと思うが、
それが実は遊んでばかりの自堕落な娘と
子供にも悪態をつく怖い鬼母となれば
最初の印象からはちょっと感じ方が変わってしまうよね〜。
そんな、ある人は実はこうで、
この人も実はこんな弱点があって
さらにあの人にもこんな面があってと
そんな一筋縄ではいかない人間の表裏が見事に絡み合って
話は思わぬ方向へ転んでゆく。
登場人物だけでなく観ているこちらも自分自身の裏表を思って
胸に手を当てて、自分にもそんなトコロあるかも〜〜
面白いけれどなかなかに考えさせられる。
★もう一度観るなら?「有料配信などでじっくり観たい」
迂闊に語ると怪我をする⁉︎
この世に存在する理不尽や不条理に対してのひとつの向き合い方を示してはいるが、誰もが納得できるものではないし、そもそも正解など存在しないということですよね。
犯人逮捕という強い意志と目的で始まった行動が、人間社会で色々な化学反応を引き起こしていくさまは、そういうことも確かにあってもおかしくないな、と感心することばかりでした。
この作品は迂闊に分かった風なことを言うと、自分の浅さが露呈する難しい(けど面白い)映画だと思いました。
考える機会を与えてくれる作品
映画は何も考えなくても楽しめる作品もあれば、観客の頭の片隅に残り続け、疑問を投げかけ続けてくる作品もある。間違いなく、この作品は後者だと思う。終わり方ひとつとっても、監督のそうした観客への訴え、問いかけが優しく伝わってきた。
最後の30分
あと1か月に迫ったアカデミー賞。セクハラ問題に揺れるハリウッド、政治利用されてケチをつけた去年のオスカーのようにならない事を願いたい。『スリービルボード』最後の30分までは全てのキャラクターを愛せないという珍しい、度重なるバイオレンスには少し嫌悪感も。でも観る方は全ての細かな言葉と描写を覚えておいてほしい、最後の30分に全てが繋がる。米軍、人種差別、南部など合衆国に蔓延る闇が凝縮された深い、でも随所にちりばめられた笑い。オスカーを期待したい。
母親の怒りが大爆発炸裂する
ベニス国際映画祭でプレミア初公開され、トロント国際映画祭でピープルズチョイス賞受賞。
2018年ゴールデングローブで、最高の賞に当たる作品賞、マーチン マクドナー監督に監督脚本賞、主演のフランシス マクド―ナンドに主演女優賞、サム ロックウェルに助演男優賞が賞与された。
ストーリーは、
ミズリー州、エビングの田舎町。
7か月前にテイーンだった娘がレイプされ殺された。警察による捜査は一向に進展せず、一人の容疑者さえも逮捕されていない。警察の非力に業を煮やした娘の母親、ミルドレッド ヘイズはハイウェイ沿いの巨大な看板広告に、警察は何をやっているのか、ウィロビー警察署長の責任を問う、まだ誰も捕まっていない、という3枚の看板広告を出す。
名指しで看板に名前を書かれたウィロビー警察署長は、家庭では二人の娘を持つ優しい父親だが、心情的には人種差別主義者であり、気短で喧嘩早い男だ。彼が膵臓癌を患っていることは,街の住民にとっては周知のことだった。また、彼の右腕、警察副所長のデイクソンはラテイーノで、母親と二人で暮らしていて母親に頭が上がらない小心者のくせに、ウィロビーに似て短気な男だ。
娘を殺されたミルドレッド ヘイズは警察など怖くない。警察は娘のアンジェラを殺した犯人を見つけられない腰抜けどもの集まりだ。警察が黒人虐めばかりしている間にも、娘を殺した犯人は第2第3の犠牲者を作っているに違いないと、毒付く。しかし警察を信頼し、ウィロビー所長を尊敬している市民たちはミルドレッドを非難する。殺されたアンジェラの弟チャーリーは、姉と同じ高校に通っていたが、彼は学校で虐められていて、母親のやりすぎは良い迷惑だと思っている。母親は飲めば暴力を奮う父親と離婚して、19歳の若い女と同棲している。父が母親に会いに来て、言い争いから暴力を奮おうとすると、チャーリーは、父の喉元に包丁を突き付けて母親をかばって守ろうとする。
父親は死んだ娘が、実はしつけの厳しい母親を嫌って、自分と一緒に暮らしたがっていたと言って、故意に母親を傷つける。母親は、娘のアンジェラが誘拐され殺された日、執拗に車を借りたがっていたのを覚えている。だが彼女は車を貸してやらなかった。車を持ち出せば、遊びに行って友達と車の中で「ヤク」をやるに決まっている。車を借りられなかった娘は怒って、「じゃあいいわよ。歩いて帰ってきて途中で誰かにレイプされるから、、、」と怒鳴って出かけた。そして、彼女の言った通りになってしまった。誰よりも母親の怒りは自分に向けられている。怒り、憤り、そして後悔して、歎き悲しむ。出て行ったときのままにしている娘の部屋で母親は自分を責め続ける。
一方ウィロビー警察署長は、アンジェラの再捜査を始めたところで、膵臓癌が悪化したその痛みに耐えかねて、妻とミルドレッドと部下のデイクソンに手紙を残して自殺する。所長の死は、ミルドレッドが出した看板広告が原因でストレスになったせいだと、街の放送局が報道したため、市民の怒りと反発は増々膨れ上がった。ミルドレッドは、嫌がらせをされ、脅迫され、3枚の巨大広告は誰かによって放火された。看板を必死で消火しようとして走り回る母親を見て息子のチャーリーは胸を痛める。そんな母親に味方が現れる。同僚の黒人女性、黒人の人権活動家、小人症の男性などだ。力を合わせて3枚の看板は元通りにされた。亡くなったウィロビー署長の寄付金にも助けられた。
しかしミルドレッドの怒りは収まらない。火炎びんで警察署を放火する。たまたま署で故ウィロビー署長からの、自分あての手紙を読んでいたデイクソンは、大やけどを負う。遺書である手紙には、アンジェラの事件をしっかり捜査してミルドレッドの力になってやるように書かれていた。その日からデイクソンにとってミルドレッドは、ただの疫病神ではなくなり、本気で警察官として彼女の力になろうとする。デイクソンはその後、バーで見慣れない男を見る。男は娘が誘拐されて殺された時もこの町に居た。調べてみるとこの男はアイダホから来ている。デイクソンはこの男が犯人に違いないと確信し、一方的に男を怒らせて殴らせて、わざと半殺しの目にあう。そのおかげで男の拳の皮膚が採取出来て、DNAの検査に出すことができた。デイクソンはミルドレッドにそれを伝える。しかし、新しく着任した警察署長は、この男はDNAで犯人にマッチしなかったし、事件の起こった日にはこの町にいなかった、とデイクソンに言い渡す。
この男は確かに事件の日、この町に居た。デイクソンは警察署長の言うことを信じない。ミルドレッドも信じない。この男は野獣のように自分を脅迫した。
デイクソンは母親の髪を優しくなでて家を出る。ミルドレッドも息子の安らかな寝顔に別れを告げて家を出る。二人の行先はアイダホ。歩むハイウェイは一方通行だ。
というお話。
娘を殺された母親の怒りが大爆発、炸裂する。ハイウェイに弱腰警察を揶揄する大広告看板を出し、良識的市民から批判され、牧師から訪問され、車にミルクをぶつけられ、チンピラから恐喝され、協力者を半殺しにされ、歯医者に麻酔なしに歯を抜かれそうになり、勤め先を壊され、放送局から警察署長殺しとなじられ、署長未亡人から非難され、前夫から首を絞められても、彼女は動じない。怒る母は、一歩も退かない。孤立無援など全然怖くない。法的に犯人を警察が逮捕できないことがわかると、少しの迷いもなく自らの退路を断ち、リベンジに突き進む。潔い。
「庭の千草」(The Last Rose of Summer)をソプラノ歌手が朗々と歌う背景を美しい田園風景が写される。アイルランドの詩人、トーマス モアが詩を詠んだクラシックの名曲だ。この曲が流れるなかを、牧歌的な光景の中にハイウェイがあり、3つの今は使われていない巨大な広告のための看板が映し出されるところから映画が始まる。116分の映画のなかで、もう一度だけ、この美しい旋律が流れる。娘を殺された母親が警察を告発する看板を出したその下に、花を植えた鉢を並べていたときに、奇跡の様に美しい鹿が姿を現して、母親の横で草を食む。思わず美しい鹿に見とれて涙を落とす母親が哀れで悲しい。そんなに自然が豊かで美しい場所なのに、現実にはテイーンが誘拐され、レイプされ、殺されて捨てられる。失業者には希望がない。黒人は歴然と差別される。小人症も差別されている。酒場では男達が暴力をふるい、粗暴で女を平気で殴る。それがアメリカだ。それが世界だ。
今年はアメリカの中で、保守的で白人中心主義を払拭できずにいた男社会ハリウッドで、女たちによる地崩れが起きている。権力を持った男達が告発されている。女たちによる反逆は、しばらくは収まりそうにない。法的にも、倫理的にもリベンジは正しい事ではない。しかし、娘を殺された母親は、怒りをこめて、100回殺しても殺し足りない勢いで男を殺すだろう。
クリント イーストウッド監督が、「ミリオンダラーベイビー」でアカデミー作品賞を受賞したときに、安楽死を認めるような映画に賞を与えることは正しくないという意見が飛び交った。時の流れというものは、その当時は法的にも倫理的にも反する事柄も、一歩先に時代を先取る映画では、それが許された。いずれどの国でも人が人としての尊厳を守るために厳しい条件のもとに安楽死は認めざるを得なくなるだろう。この映画でもリベンジは正しくない、ということは簡単だ。しかし、では、法的に女を守ることができなかった社会で、法的、倫理的な正義とは何なのか。
映画が終わった時、たくさんの女たちが涙を浮かべて拍手していた。ものすごい母親としての共感。熱い女性としての共感。思わず自分も拍手していた。
今年のゴールデングローブは、女性のための、差別されてきた有色人種のための賞だった。多くの参加者が黒服を着て参加。セシルBデミル賞を受賞したオプラ ウィンフリーのスピーチ「ミートゥー」には、長い長いスタンデイング オベーションがあった。こういった一連の流れが、一時的なものでなく、これからの女性差別へのと暴力、人種への差別と暴力、性的マイナーな人々への差別と暴力を失くす社会を構築する方向に、本気で向かってほしいと心から思う。
ラストにびっくり!
何がびっくりって終わるタイミングが。
思わず『えっ!』って声が出そうに。
始まりから音楽がサイコーで、名作の予感がしてたけど、本当にシンプルに面白かった。
物語が進むにつれ、各キャラクターの表と内面が見えてきて、登場人物皆が好きになってくる。
理解できてないこともたくさんありそうだから解説聞きながらもう一度見たい。
隅々まで面白い
殺人の被害者少女の母親が、いつまでも犯人を捕まえられない警察の捜査に業を煮やし、警察を批判する3枚のでかい看板広告を出す。警察の捜査に業を煮やす、というのはアメリカ映画で見かける素材で「プリズナーズ」「白い沈黙」(カナダ映画)なんかを連想したけど、これは自分でも捜査して犯人を捕まえるという方向には行かない。ただ、どれも都会が舞台ではないところがミソかも。
アメリカの社会問題を描いているけど、どの登場人物にもユーモラスな面があって面白い。主演のマクダーモッドは被害者の母親という悲劇的な役柄だがかなり荒っぽい性格で、息子を含む周囲もドン引き。敵対する警官は尊敬する署長を非難され怒りに燃える一本気なところもあるが、差別的でかなりデタラメな仕事ぶり。この母親も、広告会社の若手社員も笑える。署長だけは割と好人物。その他にも面白い登場人物が多い。途中までは「憎しみの連鎖」の話になるのかと思ったが、結末も良い。
良かった…。 人はみんな紙一重で、他人に傷付けられるけど、他人に救...
良かった…。
人はみんな紙一重で、他人に傷付けられるけど、他人に救われる。許されると、自分も許す。強がってても弱くて、ギリギリで、拠り所がそれしかなかったり。
上手く言えないけど、全編通して乾いて伝わる熱が物凄くて、凄い映画だった。
弱者利権
怒りの赤が徐々に変化していく物語に軽やかな音楽が良く映えていた。
が、見飽きたキリストのモチーフが鼻につく。
また、キャラクターの殆どが短絡的な思考の持ち主であり、倫理観もおかしい。
ウィロビーの死はヒロイズムに酔った身勝手なものであるし、ぶち壊された学校生活を無理矢理肯定させる様なロビーの結末にも疑問符が付く。
赦しが赦しを来すとでも言いたいのだろうが、ディクソンは兎も角、ミルドレッドは怒りも赦しも徹頭徹尾上から目線であり、嫌悪感を抱いた。
直情的に暴力を振るえる馬鹿が羨ましいよ。
勝手にやってろ。
人間の猜疑心
人間は不幸と猜疑心が重なると事実を確認せず思い込みで行動してしまうことを描写した映画でした。
憎しみと期待する解決のための行動の進捗がミスマッチすると正義感と整理して突き進んでしまうことは、日常にもありますよね。
面白い視点での人間の心の動きの描写が良かったです。
一体何人が結末を理解できたか??
一体何人の人が理解できただろうか、脚本が素晴らしすぎるが故に。
白人署長が自殺した理由、犯人のDNAが一致しなかったという黒人署長。
中盤に善のシンボルとして登場する署長もあっけなく事実を隠蔽した。犯人のレイプ魔が軍関係者であったが故に圧力がかかっていたのだろう。
それに対し、白人署長も犯人があいつだとは理解していたが、たった3枚の広告によって心を動かされて自殺を選ぶ。
善悪はつねに表裏一体であり、場面によってこのような結末を産む。
実際、作中にはそのような描写ははっきりと示されていない。しかし、この作品が賞レースを総なめにし、それを聞いた評判命の日本人が鑑賞しにくる。しかし、作品の本質を理解できず、曖昧な幕引きによって生まれる余韻も感じることなく首をかしげ帰ってしまう人たち。映画は見るべき人に見られることによって評価され価値を得る。鑑賞後、そのような人たちを見て少し作品がかわいそうでした。
何てことない映画
何てことない映画といえば何てことない映画。でも、登場人物がみんな人間臭くて「あー、わかるなー」と思えてくる。大きな後悔と行き場のない怒りと悲しみと、ほんのちょっと希望を持ってて心の中はドロドロなのに、流れる音楽はほのぼのと暖かくてやるせない気持ちになった。絶妙。
なんと!
そんな終わりかた?
これで良いの?
なんか、目的と手段が変わっていない?って感じだったが、いろんな人々の事情が絡み合い、あの終わりかたというか、顛末は現実的なのかなぁ…とも思え、観た後すぐは納得していた。
ただ、一方で、被害者の苦しみみたいなものがあまり前面に出ず、犯人逮捕だけを切望していることろに違和感もあり…。つまり、捕まえた犯人を殺すつもりだったの?(何のために犯人逮捕を熱望したの?)とも…。
それが最後の場面にも関わってきて、しばらく時間が経つと、単に被害者として泣き寝入りしない復讐鬼のお話なの?とも思えるようになり、違和感が大きくなった…。
納得できるかどうか
登場人物の行動がかなりぶっ飛んでる。
その過激な行動について、すっと理解できるのか、一寸立ち止まるのかで本作へのアプローチは変わってしまう気がする。3つの看板の影響で町の人々が起こした行動は、自分はやりすぎだと感じた。映画の後半、登場人物達はお互いを許しあう。だけど、あれだけエスカレートした暴力を、果たして飲み込めるのだろうか、という疑問がどうしてもはらせなかった。
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