「2つの悪の物語でもある」おクジラさま ふたつの正義の物語 doronjoさんの映画レビュー(感想・評価)
2つの悪の物語でもある
題にあるように、現代戦争とは生存のため等ではなく、およそ、「正義」と「正義」の闘いである。
「正義 vs 正義」は、ある視点に立つと 「正義 vs 悪」であるために、戦争の大義名分となる。
2009年に発表されたザ・コーヴは、「正義 vs 悪」を描き出した映画だった。
そこを「正義 vs 正義」に戻そうという試みが、この映画と理解した。
そして、それは同時に、「悪 vs 悪」でもあるというメッセ―ジでもあった。
観ていくと、どちらの立場にも、「もっとできることがあるのではないか?」と思わされる。
活動家が価値の押しつけをしてくるのと同じように、太地町の人々(や日本人全般)もまた、外から伝統に口出しされることを拒否することは正義であると意固地になっている姿が映された。
太地町に過度に肩入れせず、比較的ニュートラルに撮れている映画だと感じた。
* 以下は極めて個人的な意見です。
人が不愉快に感じるものなんて文化や宗教によって異なるし、家庭環境といったサイズでも異なる。
すべての人が承諾できることしかできないのであれば何もできないし、お互いに尊重するべきなのではないか。
まったくもって、一理ある。
ただ、太地町が伝統・文化を捨ててもいのではないか?と私は映画を観て感じた。
その理由は…
1. 生きる術としてのクジラ(太地ではイルカもクジラと呼ぶ)漁の価値の低下
他に産業のない太地町においてクジラ漁は、生きるための術として400年前にはじまったという。
しかし、「生きるため」の価値はかなり低下した。
クジラ肉は安全懸念(水銀含有)もあり、味も よくない上に、国際批判にさらされ、マーケット価値が劇的に低下( イルカ 一頭の食肉としての価格はこの20年で40~50万円 -> 1.2万円。 日本国民の平均消費量は40g/年 )している。
また、 世界動物園水族館協会(WAZA) からの制裁により、イルカを水族館に売ることも難しくなっている。
生きるためにはじめた伝統であれば、不要になった時点で新しい伝統を作りだす方向に舵をとってもよいのではないだろうか。
クジラに頼って生きるという方向性をある程度残した上でも。
世界の注目を浴びた町ということを逆手にとって事業をしやすくなっているだろうし、その方法を例えばシーシェパードと協力して模索する方向に歩み寄ってもよかったのではないか。
2. 世界家族化
グローバリゼーション行き詰まりが顕在化しつつある現在ではあるが、世界が狭くなり、世界家族化しつつある中、世界の多くの人が不愉快に感じることは避けられるなら避けてもよいのではないかと一方で思う。
クジラ漁に関しては、前述のように価値の低下が著しく、避けられる部類の文化になっているのではと感じる。