いのちのはじまり 子育てが未来をつくるのレビュー・感想・評価
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世をダメにする政策を打ち出す輩に見せたい。
「人は石垣…」とは武田信玄の言葉。
なのに、経済発展の旗印の陰で、手をかけられていない子どもたち。
手をかけているつもりで、子ども園という”誰か”に預けて育ててもらおうという計画。
手をかけているつもりで通わせる習い事。
学校の運動会や学習発表会でさえ、ショー化を望む保護者達。
学校はサーカスの養成所でもないし、芸能プロダクションでもないのだけれどな。
周りの子と同じようにできるような、子どものロボット化が進んでいる。偏差値という数値だけで、できるできないで図られる子ども達。
芸をして、食事(餌)を与えられて、きれいな洋服で飾られたペット化した子どもたちが増えている。
恐ろしいのは、子ども自身も、その中でしか自分を測れない。
周りに、そんな子ども達が増えてきていて、憂いている今、この映画に出会った。
始まって数分で予告にもあるような胎内記憶の話が出てきて、イメージ先行のドキュメンタリーかと危ぶんだが、
最近の乳幼児研究等をベースにしたドキュメンタリ-。
教育者、心理学者、精神科医だけでなく、学習脳科学者から経済学者、他にもいろいろな方のコメントが挟まれ、そのコメントに合うようなドキュメンタリー映像や養育者のコメントという感じで構成されている。
これらのコメントを聞きながら、ボウルビーの研究や、昔受講した放送大学の講義や、柏木恵子先生の論文なんかを思い出す。
そういえば、放送大学で「父性とは社会化を進める役割、母性とは傷ついた体や心を癒す役割。子どもは元気な時は父性を求め、調子が悪い時は母性を求める。父性は必ずしも父が、母性は母が負わなくてもよく、男女逆でもいいし、身近な人が代替しても良いが、父性的・母性的に関わってくれる人が必要」と言っていたなあ(数組の親子を観察・調査した研究から)。
また、ある講演では、「子どもには、継続的に関わってくれる大人が必要(1年ごとに担当者が変わるのではなく)」という話も聞いたっけ。だから、3歳で措置替えになる、乳児院と児童養護施設というシステムが問題視されているとも。
カウンセリングで有名なカール・ロジャースの娘が、著書で、「家では喧嘩を見たことがなかったから、社会に出て喧嘩を見るのが怖くて、社会に出るのが怖かった」と書いてあった。家族心理学者のある方が、「喧嘩しても仲直りすればよい。最近の子は喧嘩して仲直りしたことがないから、喧嘩したらすべて終わりと思い、喧嘩ができなくなって、表面的な付き合いしかできない」とも言っていたなあ。
子どもにかける言葉の量や質(ポジティブな内容を聞かせるか、ネガティブな内容を聞かせるか)で、脳の発達が違うという研究もあるそうで、知的好奇心がうずきだす。
と、緻密な研究に裏付けられた知見と、そんな知見なんか知らずに、日々悩みながら子育てしている姿が映し出される。
なので、”映画”としてみると、堅苦しい。
”講義”としてみると、典拠やデータが示されていない。
なので、-0.5。
また、一貫して「子育ては素晴らしい」という論調なので、
世にたくさんいらっしゃる、相性が悪くて子育てに苦痛を感じていらっしゃる方や育てたくとも育てられなかった方にとっては、つらい映画なのではないか。
そんなところで、-0.5。
ただ、子育てに苦痛を感じていらっしゃる方や育てられなかった方を責めるような作りにはなっていない。冒頭母性神話を匂わすところもあるが、そこには固執していない。
様々な家族が出演されている。
ダウン症っぽい子どもも出演するが、特にコメントはなく、他の子と同じ扱いがうれしい。
そして、シングルマザーっぽい家族。
主夫として育児をされている家族。
幼い母の家族。
同性婚の家族。
兄弟が面倒を見ている家族。
祖父・祖母世帯が育児されている家族。
養子縁組された家族。
児童養護施設のような施設で育っている子ども達。
命を愛おしめて、子どもに関心を持ち、手をかけられる人が、やればいいというスタンスではある。
しかも、「あなたが大切」等のポジティブな言葉をかけながら、手元にあるもので遊べばいいというお金のかからない方法を見せてくれる。
この論調をベースにした構成になっているので、上記のように”いろいろな”形態の家族を映し出してはいるが、予告を見て期待した”いろいろ”とはちょっと違う気がして、ちょっと肩透かし。
と、”映画”としては欠点もあるが、世に広めたい映画。
とはいえ、これを実践するには課題もある。
一つ目は、親世代がすでに、手元にある道具を使って遊びを生み出せなくなっている。子どもとの遊び方がわからない人が増えている。勉強ばっかりやってきたからなあ。マニュアルやワークブックがないと不安だという。
まあ、そういう人は、東京なら各地に増えているプレイパークや、各自治体にある児童館にでも行ってもらえば、そこにいるプレイメイトが教えてくれるけれど。
二つ目は雇用の問題。
派遣やバイトで食べている人は、休んでいるうちに誰かにとってかわられそうで休めないという現実的な問題。
そして、育休制度がある会社でも、いまだに「迷惑をかける」という発想。そしてもっと深刻なのが、出世競争等の「遅れをとる」という意識。閑職に回される恐怖。
派遣やバイトで食べている方は、現実的な問題だけれど、「遅れをとる」という意識は、受験を勝ち抜いてきたその弊害。そしてそれを煽る団塊世代の祖父たち。
卵が先か、鶏が先かわからないけれど、”精神的に豊かな世界”の到来は、まだ先なのかもしれない。
なんて、堅苦しく考えても仕舞うが、
子どもの表情が駄々こねしている姿でさえ、愛おしい。
希望がもらえます。
(イベントにて鑑賞)
母親至上主義
子育てとはなんぞや、というのを世界中の育児を取材したドキュメンタリーでした。まだ子供のいない夫婦や、女性(母親)にはオススメです。
しかし、ちゃんと子育てや家のことをやっていながらも迫害されてる父親は、見ると少しつらい、「母親至上主義」映画にも感じられる内容でした。
基本的に何十人ものインタビューで綴られる内容なのでが、違和感を感じたのが「夫婦でインタビューに応えてる」のがほとんどありません。もちろん男性(イクメン)も出てくるのですが、そこには母親の姿が見えません。夫婦で仲良く子育てをしているという描写が一切ないのです。「父親がいなくても、母親がいれば子供はちゃんと育てることができる」という具体的な表現もありました。
演出上、あえて環境のよくない人たちにフォーカスをあてるというのは解ります。しかし、映像制作の仕事に携わってる自分としては「いちおうイクメンにもインタビューしておき、コメントとして『父親の役目も大事です』と言っておけば体裁は保てるでしょ?」という監督の意図を感じてしまいます。
ひと昔と違い、近年では男性も子育てをやるようになったと言われてます。これはやはり女性の主張があったからこその文化だと思いますが、そのため「少しやるだけなら、やらないほうがいい。でも、全くやらないのは最悪」という矛盾した対応も大きく生み出してました。
そのため父親が子育てに参加するようになっても「両親が各々子供に目を向けるようにはなるが、両親同士が目を合わせることがない」状況を生み出しやすくなっていると思います。
ただでさえ結婚しない人が増えている昨今、現在の(日本の)子育て問題というのは、街や社会の受け入れ環境の改善ではなく「夫婦同士の関係を見直す」ことが重要なのではないでしょうか。
どの育児教則には「仲の良い両親が良い子を育てる」と書かれてますが、仲の良い夫婦のほうが少ないと思います。昔は大家族や村ぐるみで「誰かがこどもの面倒を見てくれる」という環境だったと思いますが、今のように核家族がほとんどの社会では「仲の良い夫婦」を作れる周りの環境、文化や考え方を浸透させることで、育児環境を良くしていけるのではないでしょうか。
斜め上の偏見の強い感想かもしれませんが、この映画を見終わったあとに感じたことを書きました。一部のイクメンさんに参考にしてもらえれば幸いです。
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