悪と仮面のルールのレビュー・感想・評価
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思った以上にさわやかな終局にびっくりしました
原作のどろりとした情念がバッサリカット。
これは映画という時間の都合で仕方ないと思いますが、その分タイトルの意味と深みがわかりにくくなってしまったように思います。
ただ、代わりに後味がすっきりとして思った以上にさわやかな終局になったように思います。
映画単品としては良かったと。
原作ありきとしては少し残念なところもあった、という印象でした。
タイトルの意味が…
結局、タイトルの意味がよくわからなかった。
設定は悪くなかったと思うけど、根本的になんで?っていうのがついて回り、さらには主人公のセリフが説教臭く…。
正直、何の印象もないかなぁ…。
もっとやりようはあったと思うし、ちょっと残念…。
最後の最後で救われる。不気味すぎる“悪”の本質。
【賛否両論チェック】
賛:計画された通りに“悪”へと染まっていく主人公の姿を通して、善悪や生きる意義、そして人間としての幸福論等、奥深いテーマを掘り下げていく様が印象的。
否:セリフの言い回しや展開がどこか小説的で、あまり現実味がないか。グロシーンもあり。
内容的にはサスペンスではありますが、どちらかというと人間の闇の部分を深く探っていくような、どこか哲学的で難解な部類の作品です。“悪”として意図的に作られ、“父を殺す”という経験から、次第にその狙い通りに悪の道へと染まっていく主人公の姿が、不気味でもあり切なくもあります。
その一方で、登場人物達の言動に理解しがたい部分が多かったり、セリフがかなり小説チックだったり、かなりグロいシーンがあったりと、観る人によって好き嫌いは大きく分かれそうでもあります。
敢えて挙げるとするならば、ラストのシーンは非常に心に響く場面だと感じました。気になった方にはオススメです。
奥手
原作未読
「邪」の者となるべく育てられた軍事産業を手がけ圧倒的力も持つ財閥の子息が、14歳になったら地獄をみせると父親に宣言され、父親の死をもってそれを阻止した十数年後の話。
確かに普通の存在ではないかも知れないが、いわゆる「悪」ではなく「邪」とも違う主人公でタイトルやあらすじとはエラい違い。
ドロドロとしたものを期待していたけれど、どちかというと綺麗どころか純愛的な感じ。
「邪」のものとして出てくる敵役もただの嗜好にしか感じないし、探偵にしても敵約にしてもテロリストにしても刑事にしても脇が甘くて情報ダダ漏れ過ぎ。
刑事に至っては余分な上に墓地のシーンはどんな情報網だよと白けてしまった。
空気感は嫌いじゃないしつまらなくはないけれど、期待したものとは違いマイルド過ぎた。
「伝わり易く」は会話のルール
抽象的な映画やナレーション、あるいはそもそもが
誇張表現であるアニメーション等々ならある程度は
気にならないとは思うが、文章的な表現をそのまま
現実の会話で使用する人というのは、まずいない。
例えば「じゃ、明日の夕方には報告書を仕上げといてね」を
「然らば完成させるのだ、報告書を。明日、夕刻までにな……」
なんて具合に言う人はいないだろう。いたとしたら僕は、
苦笑いを浮かべてその人からそっと一歩距離を取る。
映画においても自然な会話表現は大切だと個人的には思う。
文章的な表現を使うにしても、ここぞという時
くらいに制限しないと、観る側は白けてしまう。
なぜこんな話をするかって?
この映画の台詞が始めから終わりまでそんな調子で、
悪い意味での鳥肌立ちっぱなしだったせいだ。
覚え書きだが一例を書き出してみようか。
「お前は私の手でひとつの『邪(じゃ)』となる」
「お前はあの女を損ないたいのだろう?」
「ならばどうして生きる? 感情の空白を
感じてまでして、どうして生きる?」
「全部が消えればいい! 私の憂鬱の中で、
全部が消えればいいんだ! ハッハッハッハッ!」
……まあ、なんだ、こんな感じ。
だいたい『邪(じゃ)』なんて言葉は発音だけ聞いても
意味がピンと来ないので普通使うはずもないのに、
本作では誰も彼もがじゃじゃじゃと連呼しまくる。
『悪』か『邪悪』でええやん。
『損なう』も『汚す』とかでええやん。
原作未読なのでこの映画の台詞が原作をどこまで
踏襲してるのかは知らないが、 いずれにせよ生身
の人間が吐くと違和感だらけの台詞のつるべ打ち。
中二病をこじらせたまま成長した高校生どうしの
禅問答みたいなやりとりが延々と続く。
...
会話シーンは最たるものだが、他にも本作では
キャラ描写や細かな演出に疑問を感じる点が多い。
もっとも『?』なのは主人公と対立するあの黒幕。
主人公との因縁が全く描かれないのも妙だし、
あの目的を果たす為ならなぜ国外ではなく
国内の小規模な○○を利用したのか?とか、
脅しも中途半端だとか言動も意味不明だとか、
稀に見る迷キャラに仕上がってしまっている。
ヒロインも、いくら心の清い女性だとしても、
あまりに偶像視され過ぎじゃないかしら。
柄本明の役も、主人公の行動を監視する厄介なキャラ
と思わせつつ実は本筋には全く絡んでこないし。
あと主人公。
知らない人間から着信が掛かってきただけで
大慌てで周囲の人や建物を見回し始めたり
(着信だけでなぜ「誰かが近くで見ている」と気付く?)、
初めて刑事と出会うシーンで、まだ刑事が来た理由も
言わない段階から物凄く不安そうな顔をしたり――。
ヒロインを影から守る立場を目指すには
感情隠すのヘタ過ぎない?とも思うのだが、
そもそも演出する側が各シーンでの感情の流れを
ちゃんと整理できていないんじゃないかと思える。
映像面でも、寄りの画がやたらに多かったり、
人物の顔の一部をわざとフレームアウトさせる等の
意図不明のカットがあったり、拡がりの無い画ばかりで
全体的に映画の雰囲気が窮屈に感じた。
...
映像も台詞も展開もキャラも非常に……
なのだが、それでも長所を探すなら……
玉木宏、吉沢亮、新木優子といった美男美女が
主人公なのはまだ救いだし、光石研や柄本明に
至っては味のある表情だけでなく、勿体ぶった
台詞の数々も違和感無くモノにしていて流石。
愛する人の為に顔も変え、姿も消し、報われる事も望まず、
ただただ自らの手を汚し続ける主人公、という設定も良いし、
ヒロインとのあの最後のやりとりも悪くはない
(だがもっと感動的になったはずのこの場面はダラダラ冗長)。
正直、中盤に入る前には本作に辟易していたのだが、
それでも上記の点のおかげで最後まで観る事は出来た。
まあそれでも……
個人的には新年早々2018年ワースト級作品な気がする。
役者さんのファン以外にはちょっと勧められないかな。
うーむ、かなりイマイチの 2.0判定で。1.5でも良い位かも。
<2018.01.13鑑賞>
究極の見守り愛
資産家に生を受けた兄(文宏)が、互いに惹かれ合いながら生き別れてしまった血の繋がらない妹(香織)を探し求める物語。生き別れには生家の黒歴史が深く関わっているようですが、その辺りの事情は作中では断片的にしか説明されません。しかし、妹を陰で見守る兄(玉木宏)のいじらしい程の思い遣りと恋情が熱かったです。タイトルからは分かりにくいのですが、とても美しい純愛ストーリーでありました。
中村文則は手強い。
2018年は中村文則の小説が相次いで映画化された年として記憶されるのだろうか。その第1弾。
中村文則は手強い作家と勝手に思っていて、結局、本作も読まないまま映画を観ることになった。
そして、映画も手強かった。
原作で表現されていたことが、映像にきっちりと映されていたのだろうか。それがはなはだ疑問である。
中村文則の本をパラパラと見ると、文字でぎっしり埋まっている印象を受けた。言葉で何かを表現するにはこれだけの分量を要するのだと主張しているかのようであった。
今回の中村哲平監督の作品でそこまで原作と斬り結ぶことができたのか。村井國夫や中村達也の怪演でかろうじて表現しえた程度ではないか。
中村文則の映画化はやっぱりハードルが高そうだ。第2弾の「去年の冬、きみと別れ」の瀧本智行監督はどうだろうか。
「邪」「悪」の定義
原作は未読です。
なかなか見ごたえはあった。
主人公の葛藤も見えてきたし、「邪」として育った兄弟の苦悩を刻みつけたような表情は印象的でなにか深いものを感じた。
でも、なぜ一族が「邪」を生み出さなければならないのか、その捉え方や定義が曖昧だったように思う。
そして兄弟役がブランキーの達也さんだったことをエンドロールで知って納得。
モヤモヤも残るけど心に残るものもあり、見てよかったと思う。
原作は未読。大げさに悪、悪と言う割に、悪の定義が子供でも思い付く程...
原作は未読。大げさに悪、悪と言う割に、悪の定義が子供でも思い付く程度しか描かれていない。成人してからの文宏と香織の見た目年齢が隔離しすぎ。俳優としての格も玉木宏のほうが桁違いに上なため、下手すると親子ぐらいの差を感じる。ラストシーン、香織の方は無垢な鈍感娘のままで終わりかいと、少々興ざめだった。ただ、玉木宏はカッコ良いしよく演っていたと思う。
ひとりの女性の為に
嫌な雰囲気を期待して鑑賞。この手の映画は暗い終わり方をするんだろうなと思って観ていたが、意外にも泣けてくるラストでよかった。切なすぎる殺人者は、これからどのように生きていくのだろうかと、あとは鑑賞した人の考えに任せます、といった感じ。
普通に感動した。
本人より周りが悪だな
玉木宏のイケメンぶりで持ってる映画 セックスシーンも肝心な場面カットしてるし悪と言っても余り大した事ない 新木優子と子役の少女が顔違い過ぎ 悪の血筋を説明したいのだろうが本人良い人過ぎる 題名が失敗だ
2018-2
闇のクセがすごい。
誰でも闇のひとつやふたつ抱えて生きてると思うけど、
ある日お父ちゃんから、「お前はダークサイドに墜ちるべくして産まれたんや、14歳になったら墜ちるで」と言われる中学生はいないでしょう。
ルークでも大人になるまで言われてなかったよ。
全編通して歪んでて、暗くて、黒くて、狂ってて、
ユーモアとかは全くありません。
同じ列に座ってたおじいちゃんがたまにクスクス笑うのが謎すぎた。
笑えるとこ一個もないでしょ。
ってくらい闇深いです。
ただ、玉木宏が新木優子に会うときだけ人間臭くなるのが救い。
中学生のキスシーンがやたら多いのはおばちゃん気になっちゃいましたが、
闇に包まれた家庭のなかで唯一見つけた温もりだったんでしょう。
関係ないけど、一番の闇は、原作読んだことあるのに、「あぁあのシーンね」ともならず、全編通して初見すぎる自分の記憶力のなさが邪でした。
悪は愛のために、愛は悪のために存在する
この作品の原作を面白かったと思った人たちは
この映像作品は納得するものだったんだろうか…
私は…
やっぱりこの作品の中核となる「悪」の定義にシンパシーを感じることが出来ず、作品にのめり込めなかった…というのが正直な感想だった
原作を読んでいない人が見ても
十分楽しめる映像作品にはなっており
主人公の文宏と彼の生涯の想い人カオリの純粋な部分をクローズUPし
上手く構成されていたため
原作とはまた雰囲気の違う、判り易い内容に仕上がっている
二人の「純愛」が際立つ映像作品となっているから
ラストシーンにグッとくる人も多いかと思う
その反面
中村文則氏の世界観が好きなヒトは
ちょっと物足りない映像作品となってしまっているかも知れない…
終始取り巻く
陰鬱で寂寞とした独特な雰囲気を持つ原作の面白さは
残念ながら半減してしまったように感じる
少年時代の文宏とカオリの関係性が
成熟した男女間の
それも純粋な愛を育む世界をキッチリと描ききることで
絶対悪=邪の世界の片鱗がみえ
ラストの悲劇がより際立ち
文宏が強いられた邪の世界が巨悪で絶対悪の姿であればある程
文宏の仮面の下で行う悪の行為が正当化されて
絶対的悪に対する悪のルールも構築されていく…はずだったのに
巨悪で絶対悪の「邪」の姿は どこか貧弱で空虚な印象を拭えず、悪の象徴となるはずだった幹彦の姿は、心を病んだ普通の犯罪者の姿にしか見えなかった(これは演じた方の技量の問題でない)
表現という作業に付きまとう「バランスをとる」という感覚
これが ここまでこの作品の良さを削いでしまったことは
誠に残念としか言いようがない
本作品の主演の玉木宏氏はなかなかの踏ん張りで好印象
吉沢亮氏は繊細な演技でテロリスト役を好演
でも、一番印象に残ったのは
探偵さんの光石研氏の演技
最後の登場シーンのセリフは 文宏だけでなく
試写会場に居た全員の心の中の蟠りを一瞬にほぐした
このシーンは原作でもホッとする場面だったけど
実際に映像としてみるとグッと来た
単なる「純愛」物語としてはイケナイ作品のような気がするが
「邪」が「純粋な愛」に浄化される
今の時代の表現では このカタチがベストなのかもしれない
流行りの毒親ものだけど…
圧倒的な支配力で息子たちを操ろうとする父親と、その呪縛から逃れるために生まれ変わる息子の物語
んー
私としては、全てにおいて食い足りなかった
毒親の影響力も、サスペンス的要素も、忘れられない恋も、テロリストの恐ろしさも
どこからハイライトがやってきて、盛り上がるんだろう…
と思っている間に終了していた…
それにしても、最近は毒親ものが流行りだなぁ
原作どおり(第一印象は要メリハリ。
135分の映画です。120分を超える映画に対してはどうしても「テンポ」とか「メリハリ」とか「冗長性」とかに目が行ってしまいます。そしてこの映画も、見るうちに「冗長」と感じてしまいました。物語が動かないシーンを映画に入れるということは、監督はそれで雰囲気とかいろいろなことを鑑賞者に伝えようとしているのは分るのですが。映画観終わってから感じたのは、「この映画、120分か110分ぐらいにまとめたら、もっとテンポよくてもっと面白くかんじたんじゃないか」ということでした。
二人の子役は良かった。若い主人公役も、若いヒロイン役も。蒼い恋愛している感じが良く出ていました。
最後の主人公の涙はないなーと思いました。彼女は泣いても良いけど、主人公は「泣きたいけども涙は見せられないから(必死に)淡々と話す」べきかと。そんなシーンは難しいし、安易に主人公を泣かせて無難にしたのかもと思いますが、玉木にはそんなシーンにチャレンジしてもらいたかった。
原作も読んでみようと思いました。
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その後、原作を読んでみました。そうかー。原作からこのような主人公なんだな。原作を読むと、この映画の主人公像は原作どおりだということがわかります。邪にさせられようとしたが邪になりきれず、香織に告白(嘘)するところでは泣いてしまう主人公は原作どおりなのでした。原作で感じなかった違和感が映画で感じてしまうということは、映画からは「邪になりきれず苦しんでいる」主人公の感じが私には受け取れず、ってところなんでしょう。2時間15分じゃ足りないのか。映画では吉岡恭子はほぼカットで時短してるんですが、主人公のあがきとか抵抗とかもっと描く必要があったのか? 原作を読んで思ったのは、監督は良くやったと思うしこの映画は原作キラーな映画ではないです。うん。なので評価修正しました。
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