ローサは密告されたのレビュー・感想・評価
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ドゥテルテ大統領就任前でもこれだから・・・
マニラのスラム街で小さな雑貨店を営むローサと夫ネストール。四輪自動車が通れないほどの小路にひしめく露店や小売業。どことなく戦争直後の日本の闇市にも似た雰囲気で、人々の絆も深そうな賑わいを見せている。ローサには4人の子供たちがおり、雑貨、駄菓子を売るだけでは家計を支えられず、本業に加えて少量の麻薬を扱っていた。ある日、密告によりローサ夫婦は逮捕される。「刑務所に入るわけにはいきません。貧しいんです」・・・
売人の密告をするか、保釈金として20万ペソ(日本円で40万強)を払えと言われ、しぶしぶ麻薬を彼らに売っていたジョマールの名前を挙げる。電話をさせられ、売人ジョマールを捕まえた警察。巡査たちはジョマールにも金を要求するが、ジョマールが上級警部へ携帯メールしたために袋叩きにする。何とか15万ペソを手に入れた巡査たちだったが、足りない5万ペソをローサ夫婦に要求する。保釈金とは名ばかりで、金を山分けし、彼らのふところへと消えていくかねなのだ。
ローサの子供たち女子高生のラルケ、長男ジャクソン、次男アーウィンが警察を訪れて、なんとか両親を解放しようと懇願するが、5万ペソの要求は変わらない。ラルケは親せきから金を工面しようと頭を下げまくり、ジャクソンは家のテレビをなんとか売ろうと頑張り、アーウィンは男色のおっさんを捕まえて体を売るという悲しくなるほど惨めな行為で金を集める。ようやく貯まった4万6千ペソを持って警察へと向かうが、足りない分はラルケの携帯を質に入れるしか道がなかった・・・
ラストのローサの涙には少なからず心を揺さぶられるが、最も悲惨だったのはやはり次男アーウィンの行為。映画はずっとハンディカメラで彼らを追い、リアルな貧困層を映し出していたのですが、警察署の周りをぐるぐる歩くシーンは何か意味があったのだろうか。ローサたちを尋問する取調室には制服の巡査がいなかったし、オネエ野郎と呼ばれる子どもまでいた。アットホームな対応をするものの、巻き上げた金を着服するという特別室みたいなものだったのかもしれない。
映画としてはラストに大きな展開もなく、驚愕のエンディングを期待していたのに裏切られた感じもする。訴えたい内容も伝わってくるのですが、まだまだ甘いようにも感じるのは、ドゥテルテ大統領が就任してからは映画以上の凄惨な現場が溢れているだろうから。麻薬の売人たちは銃殺してもかまわない。刑務所に自ら入る売人たちといったニュースも記憶に新しい。ただし、この出来事を他人事のように捉えてはいけないのだろう。日本だって共謀罪が成立したのだから、ちょっとした政治的言動によってテロリストとして扱われ、密告も日常茶飯事になる可能性があるのだから。
【2017年10月映画館にて】
フィリピンもグローバリズムの犠牲者
麻薬に汚染されたフィリピンの現状をドキュメンタリー的な手法を用いて描いた映画である。
まず何よりフィリピンのスラム街の小さな雑貨屋であまりにも簡単に覚醒剤などの麻薬が手に入ることに驚く。
また、それを売る側にも買う側にも全く罪悪感のようなものが感じられない、いたって日常なことにさらに驚く。
もはやこの手のマグマのような力強さを放つ映画は日本では作り得ないことを感じさせる。
発展していない社会は自分たちの目を背けたくなるような暗部を暴こうと果敢に挑戦できる。
日本にも厳然として暗部はあり、それをテーマにした作品は制作されているのだが、独居老人の問題であったり、ニートであったり、ある一定の世代間でしか共有できない問題をテーマにした場合が多く、社会全体として共有しうる大きなうねりに発展するものは少ない。
北朝鮮問題がタイムリーな話題であるので安全保障などは本来は日本国民全体に関わる大きな問題だが、実際に核爆弾でも落とされない限りどこか遠いことのように感じている国民は多いだろうし、そもそも日々の生活に直結しない。
表面的には日本は発展して安定した社会になったということの現れなのだろうが、現在の日本映画からこの手のパワーを感じることはまずない。
この映画のコンセプトはドゥテルテ大統領が当選する前に作られたようだが、なるほどドゥテルテが密売人は殺して構わないと発言して麻薬撲滅戦争に突き進んでいったのはこういう社会だったからかと妙に納得させられた。
それぐらい庶民の日常に麻薬があふれている。
作品中、セブンイレブンの前で小学生ぐらいのこどもが2人、地べたに座り込んでふくらんだビニール袋から何かを吸い込んでいるシーンが登場する。
シンナーを吸い込んでいるように見えるが、警察署で雑用係のようなことをしているこどもはそれを見かけても全く気に留めない。
また一方で取り締まる側の警察が麻薬関係者に保釈金をふっかけてそれを横領するという問題も描かれている。
この映画を観るとドゥテルテが厳しく取り締まってもフィリピンの麻薬問題は解決できないのではないかと危惧してしまう。
逮捕されたローサと夫のネストールは自分たちが釈放してもらうために麻薬の売人をさらに密告していく。
だがそこにも後悔の色は全く感じられない。あっさり警察に売ってしまうのだ。
どんなに普段仲良くしていても家族以外は全く信用しない社会が描かれているのだ。
この映画はタガログ語の会話が90%以上を占めて、英語の会話はほとんど登場しない。
両親の保釈金を工面するために次男がカフェで人を待つシーンがあるが、次男の横には漢民族系だろうか上流階級と思しき若者たちがPCについての会話をしている。
彼らの会話がまさに英語なのである。次男はそんな彼らをうらやましそうに眺める。
本作の監督はインタビューの中で「20%の裕福な階級はこの国を代表しない」と言っているがまさに言語の断絶も意識して描かれているのである。
また、筆者はこの映画を観て現在の日本に住んでいる幸運を感じたが、「先進国でも不正はあり、もっと上層部で行われるため、人の眼に触れることがないだけ」という監督の言葉を知ってそんな思いも吹き飛ばされてしまった。
ドキュメンタリー的な手持ちカメラの長回しは作品の性質上絶大な効果をあげている。
フィリピンの気候を反映してか土砂降りになり、道路などが水溜りになり場合によってはぬかるむシーンがあるが、撮影陣は大変だったろうことが推察される。
またローサ役のジャクリン・ホセは本作の演技が高く評価されてカンヌ映画祭で主演女優賞を受賞したようだが、その他の出演者も真に迫っていて素晴らしい。
監督は出演者たちに脚本も与えず台詞はある程度自由にさせたようだ。
そのせいか出演者の演技に全くもって不自然さがなく見事だ。
発展途上国においても裕福な20%とそれ以外の80%の貧困家庭、世界はどこも似たような状況であることをあらためて認識させられた。
フィリピンの肝っ玉母さん
フィリピン映画が一般の劇場で公開され、結構人も入っているというのは、私たちアジア映画ファンにとってはうれしいことだ。近年の大阪アジアン映画祭ではフィリピン映画が毎年結構たくさん上映され、そのレベルの高さには目を見張る。
さて、この「ローサは密告された」だが、どこまでが事実を基にしているかは、私たちには推し量ることも難しいが、ある程度は現実のフィリピン社会を反映していると考えていいのだろう。この厳しいフィリピン社会を生きる人たちと、苦境を生き延びる力強さが感じられる作品だ。
スラム街で雑貨屋を営むローサ。夫は麻薬を扱い、自分もときどき手を出しているようだ。このスラム街の中では比較的裕福な方の部類に入るのであろうローサ一家だが、それでも生活はかつかつだ。(もちろん、社会全体、ましてや世界を基準とすれば超貧困家庭だが。)
そんなローサ一家の生活を映画は時系列に沿って淡々と描いていく。何のけれんもなく、トリックやどんでんもなく、本当にストレートな表現だけが使われている。ドキュメンタリータッチと言ってもいいかもしれないが、ちょっと違う。
ある日、ローサの店に警察の手入れが入った。彼らはローサ夫婦を連れ去るが留置所に入れるわけではなく、自分たちの部屋に閉じ込める。もちろん、賄賂が目的だ。20万ペソ(50万円くらい)出せば解放するという。そこからがこの一家のしたたかなところ。さまざまな交渉術と家族の金策でこの危機を乗り越えようとするのだ。
この作品で「正義」が声たかだかにうたわれることは一度もない。この映画にも、フィリピン社会にも正義など存在しないのだ。警察が「悪」を非難することもないし、正しい道を歩むよう説得することもない。捕まった夫婦は裁判や服役などということはいっさい考えていない。はじめから金で解決することしか頭にないのだ。映画もいわゆる「社会派」の態度をとらない。
警察は減額の代わりにたれこみを要求し、(そもそもローサ夫婦も密告されたのだが)それで捕まった売人はさらに別の警察幹部に連絡をとろうとする。誰も「法律」による解決など望んでいない。
ローサ夫婦は4人の子どもたちの必死の金策により何とか解放されるのだが、それで何かが解決されたわけではない。さらなる密告の連鎖は続いていくだろうし、彼ら夫婦には大きな借金が残る。
しかし、映画はとことん暗い印象を残すかというと、決してそうではない。金策に走り回る一家のしたたかさ。また、悪態をつきながらも彼らを助ける親戚やコミュニティ。それはそれで何とか回っていくフィリピン社会の不思議さみたいなものも描かれる。
我々の目から見ればとんでもなく絶望的な社会を描きながら、なぜか暗くはない。そこがフィリピン社会の面白さでもあり、この映画の良さでもある。
予告、タイトルのまんま
ドキュメンタリーのようにうまく作られていたと思います。
ただ警察の腐敗やローサの生活などすべて想定の範囲内での出来事。
ニュースなどで見聞きするまんまでした。
クスリを売って、捕まって、残された子供達のドタバタ、それだけです。
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