「一匹だけ混じったカサゴは醜いか?」ハートストーン 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
一匹だけ混じったカサゴは醜いか?
丁度、性に目覚め、生を自問するような年頃の少年たち。異性を意識したり、性に未熟すぎるあまりに早熟になってしまったり、また同性への熱望を自覚したり。少し前までは「ただの子供たち」でいられた少年たちが、性に目覚め始めたころのもどかしいようなどうすることもできないような感覚がこの映画に描かれている気がして、なかなか良かったように思う。
ポスターのイメージからすると、同性愛がテーマの映画かな?という気もしてくるのだけれど、個人的にはこの映画は「青春群像劇」だと思う(少しも爽やかではないけれど)。ソウル、クリスチャンだけでなく、性に奔放な(フリをしている?)ベータや、ソウルの姉妹たちも含めて、10代の落ち着かない心を持った少年たちの群像ドラマとして、見応えがあったなぁと思うし、終盤でクリスチャンが起こすある「事故」が、それまで「子ども」として振る舞うことを許されていた(あるいは子供として振る舞うことで逃げていた)ソウルたちがそれぞれに自己と対峙する引き金となり、少年たちを「子供」ではなくしてしまう切なさを感じて、ドラマティックだと思った。
正直なことを言うと、映画としてはちょっと長いか?と思う。特に前半部分の描写は丁寧ながらも少々冗漫だったような気がしてならなかったし、作中、性にまつわる表現と、死の描写が直接的でかなり面くらってしまったようなところもあり、心が落ち着かないような気持にさせられたりもした。しかし考えてみれば、ローティーンの少年たちが性と生を意識してもやもやと生きる表現の上で、確かに意味のある暗喩だったのかという風にも思うのだけれど。
同性愛の要素もあるが、それを前面に押し出した作風ではない。あくまでも、性と生を自己に問いかけ始めた少年たちの物語だった。閉鎖的な地方の村で、自分を異質だと感じてしまったクリスチャンの心の内を思うと、本当に胸が痛くなったし、結末も含めて切なくてやりきれなかった。10代の頃には、こういう自分の力ではどうすることもできないような巨大な何かにぶつかって、そして抗うこともできずに自分の無力さを思い知るような出来事が起こるものだ。この後、ソウルたちはもう二度と無邪気な子供には戻れないんだろうなぁと、なんとなくそんな気がした。
ラストシーン。桟橋で一人の少年がカサゴを一匹吊り上げ、醜いからと言って海に投げる様子をソウルは見かける。そしてふと冒頭のシーンを思い出す。主人公のソウルやクリスチャンら仲間たちで、桟橋で魚を釣る。その中で一匹だけカサゴが混じっている。同じように醜いからと言ってみんなで踏みつけて死なせてしまう。一匹だけ混じったカサゴは醜いのか?ソウルはきっと自問したのではないだろうか?