「ベアトリーチェに「歓べ」ない…」歓びのトスカーナ 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
ベアトリーチェに「歓べ」ない…
監督はパオロ・ヴィルズィ、本作でもダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞(イタリア・アカデミー賞)の5部門を受賞し、前作『人間の値打ち』でも同賞7部門の受賞経歴を持つイタリアを代表する映画監督の1人である。
筆者も前作『人間の値打ち』は観ているが、正直あまり印象にない。
特に去年は映画館で300本以上の映画を観たせいか本当に面白いと思ったものや変わった作品しか記憶にない。
ハリウッドはハリウッドで似た映画は多いが、筆者はヨーロッパの映画も人間悲喜劇の似た映画が多いように感じる。
100年以上の映画の歴史の中でハリウッドにもヨーロッパ各国にも名作は非常に多い。もちろんわが国にも。
その影響下から抜け出して新しい映画を創るのは至難の業である。
ヨーロッパ映画には奇抜さを追求しすぎるあまり内容が深く理解できない作品も多い。
精神医療施設で出会った全く正反対の性格の女性患者2人が施設を抜け出して自分探しの旅に出るロードムービーだ。
イタリア映画らしく過剰なドタバタさが随所に盛り込まれている。
コメディ映画に盛り込まれる分には問題ないが、このような根がシリアスな作品に盛り込まれると筆者にはいささかうるさく感じられる。
監督が明かしているが、着想は『カッコーの巣の上で』でから、主役のベアトリーチェには『欲望という名の電車』のブランチの傍迷惑な性格が反映されているらしい。
なるほど筆者は上記2作も観ているのでその共通性はよくわかる。両者ともに社会性のある作品であり、本作もテーマがテーマだけに社会性のある作品に仕上がっている。
ただこのベアトリーチェのハチャメチャな横暴ぶりは精神病患者の役とはいえゲスすぎないだろうか。彼女というキャラクターに説得力を感じない。
もちろん本当に描きたかったのはもう1人の主人公であるドナテッラの心の動きであり彼女は物語の狂言回しの役割を兼ねているのも理解しているのだが、とにかくその存在がうるさい。
この役を演じたヴァレリア・ブルーニ・テデスキの見事な演技には感心させられるのだが…
ハリウッド映画にくらべてヨーロッパ映画は作家性が重視されるせいか監督が脚本を兼ねることも多く、必ずどこかに過剰な演出が存在する。
現に本作も共同執筆とはいえヴィルズィが脚本に絡んでいる。
そしてそのため人によって絶対に好き嫌いが分かれる。
脚本や映像の出来不出来だけで測れない癖が必ずある。
監督と脚本が完全に分業されている一般的なハリウッド映画や邦画ではまれである。
おそらくヨーロッパ映画が苦手という人はこの各作品の持つ癖が苦手なのではないだろうか。
ただ逆を言うなら作家性の強いヨーロッパ映画には必ずどんな人にも絶対的にはまってしまう映画監督や作品が見つかる。
そして率直に言うと筆者はこの作品の癖が苦手だ。
すごい!とは思っても何か手放しで受け入れられない感覚。
日本でも作家性の強い監督は存在し、『あん』以外の河瀬直美の作品にそれを強く感じる。
原作のないオリジナル作品であればある程作家性が強くなり、苦手であれば受け入れられなさもより強くなる。
河瀬が大きな映画祭で審査員を努めるほどヨーロッパで評価が高いのも彼女が脚本を自分で執筆する作家性を全面に押し出す監督だからだろう。
時には監督も人間なので作家性が変化していく場合もある。
いずれにしてもヨーロッパ映画に限らず監督が脚本を兼ねるような作家性の強い作品の好き嫌いは分かれる。
人間賛歌とか人生賛歌と謳われても観心地の悪さから自分の中で惨禍になる作品は腐るほどある。
だから筆者は作家性の強い作品その監督と対話しに行くようなものだと思って観ている。
今回はどんなことを言われるんだろう?そんなスリルも期待しつつ観に行く。
ごめんなさい!本作は苦手です!合いませんでした!