Ryuichi Sakamoto: CODA : インタビュー
坂本龍一&スティーブン・ノムラ・シブル監督が提示する、新たな旅路の幕開け
考えてみれば、坂本龍一のドキュメンタリーはこれまでほとんど作られたことがない。これほど世界的なアーティストであることを考えれば意外な気もするものの、「本来人前に出るのは苦手」という性格だけに縁がなかったのかもしれない。そんな彼のドキュメンタリーができたこと自体がニュースだが、映画を見るとなおさら驚かされるだろう。(取材・文/佐藤久理子)
スティーブン・ノムラ・シブル監督による「Ryuichi Sakamoto: CODA」は、坂本が自宅で作曲中の横顔や、バケツを頭に被り雨の音に聞き入る日常生活のプライベートな姿が出てくる。2012年に撮影を開始し、途中病気療養による中断を挟みながら、5年の歳月の末に完成した。YMO時代や「ラストエンペラー」のエピソードを交えつつも、東日本大震災後の福島を訪れたり、北極圏で氷の解ける音を採集する姿など、現在の坂本龍一の幅広い活動と自然体の素顔を捕らえ、彼の本質を浮き上がらせる作りだ。こうしたアプローチを選んだ監督と、懐深くそれを受け入れた坂本の両者に、本作の真意を語ってもらった。
——ドキュメンタリーのなかでは、ご自宅でのプライベートな場面も出てきますが、そこまでカメラが入ることについてご自身の心境はいかがだったのでしょうか。
坂本「もちろん嫌でしたよ(笑)。もともとシャイですし、人前に自分を晒すのが好きではないので、世界中の人に自分のプライバシーを見せることは意思ではなかった。シブルさんの人柄に惹かれたことが大きかったです。とても謙虚で誠実な人で、一緒に居てリラックスできる。でもやはりご飯を食べたり、歯を磨いたり、真剣に作曲をしているときにカメラがあるというのはどうもね(笑)。でも一方では僕もアーティストなので、他では見られない姿が見られるというのは映画のためにはいい、というのはわかる。ましてや深刻な病気になったなんて非常にドラマティックなわけです(笑)」
——事前に監督とは作品の方向性や、いま追求されている音などについて話し合われたのですか。
坂本「いえ、何も話していないです。ただ僕がやっていることを追いかけてもらっただけで。それをどう料理するかはまったく彼の判断でした。もちろん編集の途中で観たりはしましたけれど、僕が口を出す筋合いはないので。ただ個人的にこれは見せたくないといったことは言いました」
シブル「もともと僕の気持ちとして、言葉も関係ないぐらい音と音楽とそれを撮っている映像、そういうミュージカルな要素だけでできないかなという思いがありました。それと坂本さんのキャリアが、とにかくいろいろな方向性でさまざまなジャンルのことをやられているので、統一感のある形でなおかつ自然な流れを作るのが大変でした。最終的には考えても無理だと思い、即興的にというか、直感でやらざるを得なかった。坂本さん自身も<インプロバイザー>ですし」
坂本「青写真があって、その通りに何か作っていこうというのが僕は嫌いなんです。形式とか映画の文法を無視して、直感でやっていくしかないと思います。ただ時間感覚やリズム感は大事だと思う」
シブル「おっしゃる通りですね。もちろん音もちゃんと聞ける映画にしたいと思いました。それと、多種多様なキャリアを築いていらっしゃる坂本さんに対して、とくに海外のお客さんなどは統一したイメージを持っていない方もいるので、人物ポートレートとして理解しやすくするのも意識しました。いま目の前にいる坂本さんが何を考え、どういう音を試されているのか、それを自然に整えるにはどんな方法がいいのか、という」
東京生まれで18歳まで東京で育ったシブル監督は、10代初期にYMOの全盛期を体験したという。89年、彼がニューヨークに移り住んだ翌年に、坂本がニューヨークに移住。知り合うきっかけとなったのは、東日本大震災後だった。
シブル「ニューヨークでその関連の講演会を聞きにいったとき、坂本さんが1列目にいらしたんです。その後彼が脱原発を訴えるチャリティ音楽フェスティバルNo Nukesに参加していることを知って、何かストーリーにできないかと考え始めた。彼も僕も、3.11にとてもショックを受けていましたし、日本の状況を案じていましたから。おもに坂本さんの活動を追いつつ、彼が新しい音楽を生み出すまでを描こうと思ったんです」
——それが最新アルバムの「async」だったわけですが、この映画のなかでもシンバルをマグカップでこすったり、テクノロジーを使わずにユニークな音を出す場面が出てきます。震災後、より自然回帰の方向に行ってらっしゃるのかなという印象を受けました。
坂本「それはアルバムのひとつのテーマで、<物の音>という、雨の音だったり、歩く音だったり、楽器じゃないものが発する音というのが面白いと思ったんです。自然の音は面白いですが、逆に言えば楽器が出せる音がもうつまらないと感じ始めたということかもしれない。楽器の音を完全に捨て去ってしまうわけじゃないけれど、音のパレットをもっと増やしたいということだと思います」
最終楽章<CODA>にして、まさしく新たな旅路の幕開け。その自由で確固とした足取りは、観る者を魅了して止まない。