「大切なものを託せる友がいる?」しあわせな人生の選択 Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
大切なものを託せる友がいる?
もし、トルーマンがこの映画に存在しなければ、ただ『お涙頂戴』のよくある映画になってしまったと思う。トルーマンの存在が、末期癌のフリアンと友達の間のブレーキ役になっていて、この4日間の現実が、フリアンにとって、自分のことだけを考えられないように設定してあるのがいい。トマスにとっても、友達とはいえ、お金を払うだけで何もできない歯痒さを感じているから、トルーマンが一つのファンクションになっていると思う。
この映画はユニバーサルな課題を扱っているので、私の予想通りに話は運んでいく。いくつか気になったことを書く。
まず、フリアンのこと。フリアンはハンサムな役者役で、女にもモテる役で、既婚者の妻と浮気をしたりしていたが、彼が、末期癌と分かってから、友達や人が彼を避けるようになった。しかし、レストランで、妻が浮気されたある男性がフリアンのテーブルに来て、いたわりの言葉をかけ『なにか困ったことがあったら言ってくれ』と。この態度に感激した。トランプがコロナ感染したときに、ジョーバイデンや、オバマ元大統領が、いたわりの言葉をかけているのと同じ。気持ちがあるから見舞いの言葉がかけられるのであって、気持ちがなければかけにくい。どんな人にでも、敵であっても、お互いが人間であることを忘れたくないものだ。
トマスだが、4日の休暇をとって、フリアンのためにモントリオールから来ている。映画の初めから多くの素性を掴むことは難しかったが、エスパニアのパスポートを空港でみせるシーンがあったので、スペイン国籍(二重国籍?)だとわかった。その後、大学で、教授をしていることもわかった。フリアンとは全く反対の性格のようだし、財政的にも恵まれている。トマスはフリアンのために何かをしたいと思ってきたようだし、なにができるかの答えも持っていなかったようだ。フリアンにしてみれば、そばにいてくれるだけでいいんだが、トマスにしてみると何かしてあげたいと思う。金銭的な面でしか援助ができないと感じ、それを惜しむ態度はまるっきりないので、金銭的にだけでも援助してあげられて、嬉しく思っているようだ。最後に、フリアンにとって一番大事なことを援助してあげるんだけど。
末期ガンのフリアンが自分の最期をどう決めたかを聞く準備はいとこのポウラにはできていない。この感情を共有できるのはトマスだけだった。この抑えきれない失望感を二人はセックス通して抑えたんだと思った。