「事実は既存並み」トゥルー・ストーリー 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
事実は既存並み
“トゥルー・ストーリー”とは何とも大胆なタイトルだ。よく堂々とタイトルにしたと思う。
実話を題材にした映画って、“実話が基”とか“史実に脚色を加えて”とかがほとんど。“史実通りに”とか“忠実に”などは皆無と言っていい。関係者から訴えられたり、史実と違うと指摘されても、脚色してあると言い訳出来るからだ。
さて本作も“実話を基に”だが、“トゥルー・ストーリー”とは二つの意味がある。実話を基にした作品である事と、真実を追求する内容である事。
SNS社会の今、頻発する成り済まし。
これもある意味、成り済ましから始まった話。
捏造記事を書いてNYタイムズを解雇された記者のマイケル・フィンケル。
ある日彼は、妻子を殺した容疑が掛けられている男クリスチャン・ロンゴが、自分の名前を騙っていた事を知り、刑務所に収監されている彼と面会する…。
著名人ならまだしも、一応実在の記者だが、ほとんど知らない人の名を騙るとは物好きな。
ロンゴの性格は何処か人を惹き寄せる。
面会を重ねる内に親交を深め、マイケルはロンゴの無実を信じ始める。
“トゥルー・ストーリー”と題したノンフィクション本を執筆。
社からの評判も良く、再び記者として返り咲くかと思われたが、裁判で…。
目新しかったのは、名前を騙っていた事で出会った奇妙な縁。
一方はこれを運命的なものと感じたが…。
真相の追求。
裁判で全く違う主張。
つまりフィンケルは、ロンゴに騙されていただけ。
失墜し、名誉挽回を図るフィンケルが、またしても窮地に陥る様は皮肉だが、実話が基とは言え、既存のフィクション・サスペンスの域を出ていない。
ロンゴの語った事は、真実か、嘘か。
明らかになっていく真実は…?
本当の“真実の物語”は…?
その醍醐味もいささか乏しい。
ジョナ・ヒルとジェームズ・フランコは熱演と巧演見せているが…。
フィンケルの妻役のフェリシティ・ジョーンズは印象を残す。ロンゴと面会した時、夫のように騙されず、ロンゴに翻弄もされず、全てを見抜いていた。
数ある“トゥルー・ストーリー”の中から本作を映画化したのだから、何か特筆すべきものが欲しかった。
事実は既存並み。