「自由への夜明け前」ヒトラーへの285枚の葉書 みかずきさんの映画レビュー(感想・評価)
自由への夜明け前
地味で静かな佇まいの作品だったが予想通りの見応えのある傑作だった。本作は、1940年、第2次大戦下のベルリンで起きた実話をベースにしたヒューマンドラマである。ヒトラー独裁政権支配下のなかで起きた、ある夫婦の勇気ある行動の記録である。
本作の主人公は、ベルリンで暮らす夫婦、オットーとアンナ。フランスに勝利し街中が戦勝ムードに溢れていた時、彼らの元に一人息子の戦死の訃報が届く。悲嘆にくれる夫婦。夫はある決意をする。彼はペンと取り、葉書に独裁政権批判のメッセージを綴り、街中に置いた。最初は、夫の行動に批判的だった妻も、次第に夫を理解し、夫に協力していく。しかし、彼らの行動を知ったゲシュタポ(秘密警察)は、次第に彼らを追い詰めていく・・・。
オットー夫婦の行動は、一人息子の戦死が起点となっているので、戦争の不条理への強い憤りによるものとも考えられるが、1940年ベルリンという設定に、もっと奥深いものを感じた。
第1次世界大戦で大打撃を受け疲弊していたドイツ国民は、ヒトラーという政治家にドイツの繁栄を託す。しかし、ヒトラーは、独裁政権を樹立し、言論の自由など多くの自由を国民から奪っていく。国民は、疑心暗鬼になりながらも、それでもドイツの繁栄を信じてヒトラーに従っていく。オットー夫婦もそんなドイツ国民であったと推察できる。そんな矢先に、一人息子が戦死し、オットー夫婦の疑念は確信に変わる。彼らは覚醒する。奪われた自由を取り戻すために独裁政権に立向っていく。
従って、オットー夫婦の行動は、独裁政権によって奪われた自由を奪還する闘いであったと解釈できる。オットーが逮捕=死刑への恐怖を感じながら、行動すると開放感が得られる、自由になれたと感じると吐露するシーンに、それまでの彼らが如何に抑圧されていたかが如実に表現されている。
オットー役のブレンダン・グリーソンの終始怒りに満ちた表情が良い。独裁政権への怒りと、自分たちがそんな独裁政権を選んでしまったという自責の念、一人息子を失った憤りが表情に滲み出ている。アンナ役のエマ・トンプソンも、冒頭の不安な表情、決意してからの晴々とした表情の対比が素晴らしい。
街中に285枚の葉書を置くオットー夫婦、犯人を追うゲシュタポの警部(ダニエル・ブリューク)、ここはサスペンス仕立てになっていて、緊迫感があり、オットー夫婦が捕まらないかとハラハラさせられる。彼らが置いた全285枚の葉書のうち267枚が警察に届けられる。未回収の葉書は18枚のみ。信じ難い数字であるが、それだけ当時の独裁政権の支配力の凄さが判る数字である。しかし、一方で、未回収の18枚の葉書は、独裁政権に揺らぐ国民の想い、独裁政権が盤石でないことを示唆している。
ラスト。捜査の過程で独裁政権への疑念を強めていったゲシュタポの警部(ダニエル・ブリューク)の取った行動はオットー夫婦の意志を次に繋げるものであり、未来への希望を感じた。夜明けは近いと感じた。独裁政権は、オットー夫婦の行動から5年後の1945年に崩壊するが、その間、多くの犠牲が出たのは歴史上の事実である。
このように、一旦奪われた自由を取り戻すことが如何に困難なことなのかを、本作は切々と訴えている。幸いなことに、今の我々は自由であり、自由を謳歌している。しかし、その自由は、ただで与えられたものではなく、多くの人々が艱難辛苦の末に勝ち取ったものであることを決して忘れてはならない。しっかりと守っていかなければならない。歴史を繰り返してはならない。本作を観て、そう強く感じた。
日本はかなり自由な国ですが、お隣さんや赤組の国々をみると日本人が感じている自由も、作り出された真実のなかで踊らされているだけなのか?と少し疑心暗鬼に陥ります。
今晩は。
今作は、私の第3の故郷である反政権の気風ある毎年反戦映画を上映してくれるミニシアターで鑑賞しました。
そして、今作が実話であったことに心打たれました。
当時はそんな状況では有りませんでしたが、現況下で言うとロシアを統べる愚かしき男に良いように操作されているロシアの民に観て欲しい映画だと思います。
予備役を招集するに至っては、ロシアを統べる男の失策は明らかであり、第二の第二次世界大戦時のドイツにならない事を願っています。
因みに私が働く会社は、ロシアでの生産を中止する事を発表しましたが、その後のサイバーテロ攻撃が凄くって・・。
ショートスリーパーなので、前日の夜中に観た”現実逃避”の映画のレビューを挙げていますが、正直対応に苦慮しています。
では。